法律知らないでも予備試験受かる優秀な未修の話?。の巻

ロー二回目のローに行ってる、にーやんです。


我がロースクールについて思うのは、


既修と未修の差


前々から何度も言ってるけれども、未修の合格率がローの教育レベルを反映してると思う。
これは、にーやんだけでなく、色んな人が言ってたけれど、まさに体験してます。


未修でも、実質既修で、「○○大のローの既修に落ちたけど、こっちの未修に受かったから」
みたいな人もいて、未修の定義を見直すべきだと思う。


そんな同級生の彼は、上位ローで学費免除みたいな優遇措置を受けるくらい優秀。


予備試験を受けるけど、択一がって言うから、択一一か月前くらいにやり方を教えてあげた。
そしたら、20日くらいで、130点台から160点台に択一の点数が上昇。

まじびびった。

ものすごいポテンシャル。
採点実感かヒヤリングだったかな?
そういうポテンシャルを買うって。

その彼は、なんと1点差で予備択一に落ちた。

でも、たまたまだと思うけれど、ちょうど中間試験とかレポート課題でやった!っていう論点も予備論文には出てて、まぁぶっちゃけ重判レベルの論点だから、頑張った人はきっとできるってレベルの問題だけれど、そういうのをちょうどうちのローもやってたはずだから、ちゃんと予習、復習してる人は、予備論文も受かってた。

にーやん的には、同世代だとほぼ全員受かってるんじゃね?って思ってたけれども、そこまでちゃんと勉強してる人は少ないのか、思ったよりも少なかった。
あたくしも含めて。

く〜

予備論文で9点が足りなかった。8点だったか?

三振以来、すげえ悔しかった。

でも、予備論文受かった優秀層の友だちに質問されて、色々ダメ出ししたら、自分はまだまだとか言われて、申し訳ないと思う。
俺の方が格下なのに……

正しい指摘だったこともあって、そう言ってくれたんだろうけれど、客観的には格下です。
無駄に年老いた。
このブログをみると、そんなことを思い出させてもらえて、偉そうにしたらダメだと、反省の毎日です。

今は、ブレーンみたいに、試験でわからなかったところなんかの相談を受けるだけですが、そんな彼らをみて思うのは、知識と答案での点数は違うということ。


司法試験は、事務処理能力で受かる。


ここを前提にしたほうが、試験対策的にうまくいく。官僚の作る試験の発想。
無理難題の試験で、100点はまず取れない。けれども、点数を効率よく取る。
これ!

これは、採点も簡単だし、できる奴は効率よく点数を取るので、点数を取れない奴との差をつけやすい。

第一問が10点、第二問が60点、第三問が30点なのに、第一問しかわからないからといって、第一問に5割弱時間を使い、難問の第二問をほぼできず、簡単な第三問目に到達できずに途中答案。
その結果、第一問で9点、第二問で30点、第三問は0点。
合計39点。

これでは、受からない(経験者談)。

第一問はわかれば解く。でも、5点でもいい。
第二問で8割目指すべき。そうなると、時間の使い方も変る。
例えば、120分の試験だから、第一問は10分、第二問は60分、第三問を30分を費やして、
第一問は4点、第二問は40点、第三問は12点。
それども、合計56点。第二問が30点でも、46点。

ということで、さきほどの39点とは7〜17点は差がつく。
論文におけるこの点差は大きい。

そういう意味で、時間の使い方が重要というわけだ。

結論

事務処理能力×実力

これが、最大限実力を発揮するために要求される能力だと痛感したというお話。

学者向けじゃない理由もここにある。
そうなると、やるべき優先順位も考えやすい。

クソみたいな問題も含めて、とにかく効率よく論点にふれ、そこそこ書けるようにする。
これだけで、実力以上に点数もらえるはず。

そのために、対策をする。
典型論点での論証は素早く吐き出し、かつ、当てはめもする。
そのためには、きちんと当てはめの要素を抽出できるようにする。
そのためには、正確に定義・意義や趣旨を暗記しとく。
これによって、「バナナがおやつに入るかどうかの基準が明確になり、当てはめもなやまず、かつ、説得的に、つまり定期・趣旨等から示すことができる。

今日、未修の人と話をしていて思ったこと。

「この問題の論点は何?」

っていう解き方はダメと言うこと。
民法修士課程だったから言うわけではないけれど)去年の民法なんて、論点というよりも、基本事項をきちんと理解して、順を追って当てはめできる?って問題だった。
だから、少しは考えるけれど、普通に順を追って考えれば、まずこうなる。次にこうなる。
みたいな、説明問題のような感じで、いわゆる論点を書かせるといったものじゃないように思った。
だから、偉そうに司法試験の採点委員をしてる先生と飲み会やったときも、簡単とか言っちゃった。予備試験落ちてるのに。
予備試験の民法のほうが難しいかもって思うくらいだったし。

予備校で論文演習やって、問題を当てたとかいうのを信じて、勉強をしてたようで、そういう発想だと、勉強のやり方を間違えるんじゃないかな?その未修の方をみてって思った。

例えば、去年の商法では、ストックオプション判例類似の問題が出たけれど、これって別に判例知識の有無を問う問題じゃないのは明らか。それは、出題趣旨や採点実感だけでなく、判例の評釈をみても、大きく2パターンの結論が想定されていることからも明らか。
それを勘違いして、しかも旧法下の判例ということや、新法における条文の仕組なんかを無視しても、点数は小さいんじゃないかなと思う。

ちなみに、自分は不勉強で判例の知識はなかったけれども、ストックオプションを発行する際の条項が総会決議っっていうのは、条文を調べればわかったので、事後にその条件を変更することを取会レベルでできるかどうかって問題は、総会決議事項とされた意味との対比で考えればいいというのはわかった。
しかし、そこにさえたどり着ければ、結論は判例と違ってもいい、という問題だった。
現に、判タのコメントだったかでは、現行法では〜〜なので、みたいなことも書いてあった。
そういう意味では、知識の有無を問うのではなく、会社法の仕組や制度趣旨と照らし合わせて、それなりに論理的な文章を書ければ、そこそこ点数はもらえるんじゃないかなと思う。
ちなみに、そういう発想で今年の予備の商法論文はAだった。

ということで、試験対策としては、もちろん論点に気付くという意味では、最新判例は重要。ただ、そこで判例を暗記すればOKという話ではない。
これは、毎年各科目の祭典実感で指摘されているように思う。


「暗記だけではダメ」


しかし、これは「暗記は不要である」ということを意味しないという点が要注意!

よく友だちということは、例えば、刑訴の問題で、訴因変更の要否や伝聞証拠の問題では、まず論証を吐き出す。
しかも、規範吐き出すだけで、結構時間を喰らうという論点。
なので、いかにこの部分を省略するか。それは、予め用意して端的に素早く吐き出せるようにしておくということ。つまり、ここは暗記。

勝負は、その次の当てはめなんだから。
でも、最近では、当てはめを十分書く時間がないとかで、そもそもの規範自体しっかり書けてない、もしくは不十分って人が少なくないとか。

なるほど。受験生が減って、レベルが落ちているというのは、そういう意味なんだな。って最近思う。

上位ローと言われるところでも、そういう人がいるっていうとなおさらだろう。

話を戻すと、とにかく準備できることはやっとけってこと。
重要論点、しかもほぼ毎年のように聞くような論点については、論証や定義をきちんと暗記しとけってこと。
既判力の定義もいえない人が、未修には結構いて、
「どどどど、どこから、どうしよう……」
と思うことが前にあった。

色んな角度で問われる既判力という概念。

少なくとも、最小限の定義、例えば、後訴に対する判決の通用力のようなことでも瞬時にはき出せるようになっとかないと、時間切れになるし、もったいない。
できれば、藤田先生の(基準時や主観的範囲なんかも含めた)定義なんかを頭に入れといて、問題との関係で必要な事項を指摘できれば、超優秀だと思う。
客観的範囲の問題なら、そこに着目して114条との関係で既判力概念を指摘できるとか、主観的範囲の問題なら115条との関係で指摘するとか、そういうこと。

しかし、既判力自体のイメージもないためか、瞬時に定義がいえないとなると、どの程度既判力というものを理解しているのかが把握できない。

「前訴の判決主文の判断に既判力があって、それと矛盾・牴触する判断を後訴ではできない」

みたいな一般論は、多分言えるんだろうと思う。これさえ言えないと、既判力の問題はゼロ点だろう。
でも、具体的に、事例で聞くと、もう説明できない人が少なくない。
「じゃあ判決主文の判断って、主文で『請求を棄却する』って場合は、既判力はどうなるの?」
って聞くと、すぐに答えられない人がいる。
そうなると、訴訟物から説明する必要があって、そうなると審判対象って何かを説明しなければなくなる。

予備校本でも、この点は説明してると思うけれど、何でだろう?

確かに、体系書やコンメンタールといったレベルだと、「そういうの理解してるよね?」って前提で書かれているものも多い。
しかし、民訴で既判力って基本中の基本だろう。
未修とはいえ3年間何してたんだろうと、痛感した今日この頃。

誤解しないでほしいのは、これは未修に限った話ではなく、ゆえに未修をディスっているというわけではない。
勉強会なんかで、自分の経験したことをから、率直な感想をここに書いただけである。

民訴もローでも予備でも評価がAだったので、調子に乗ってるのかもしれない小生。

しかし、この話を聞いて、少なくとも「既判力」という概念を説明できないということ、それによる答案のレベルの差というのが、伝わるのではないかと思う。

勅使河原先生みたいに、別に既判力が「生じる」とか「及ぶ」とかいった表現の細かさを指摘してるわけではない。それ以前の話。
ちなみに、問題では、既判力が「及び」、どういう意味で前訴判決と矛盾・牴触するかが聞かれる。
既判力の作用については、基本書で数ページしか割かれていないが、とても大事。その作用と、既判力の積極的作用、消極的作用との関係をうまく説明できるだけで、差がつく。

論点として押さえようとすると、例えば、貸金返還請求で、弁済の抗弁をして、訴訟外でも相殺をしていたという事案で、相殺の主張を前訴ではしなかったというケースで、前訴で貸金返還請求が認められ、敗訴した当事者が後訴で相殺により返済した金銭につき不当利得だと主張した場合なんか考えると、これが相殺の既判力の問題か、基準時の問題か、よくわからないという人がいる。
しかし、順を追って考えれば、難しくはない。
結論からいうと、基準時により敗訴当事者の後訴は、既判力に反して主張できない。
というのも、これは基準時の問題だから。

まず、前訴で、相殺を主張していないので114条2項は問題にならない。
前訴で相殺をしたからすでに原告主張の貸金返還債権は消滅している、という事情は、弁済による債権消滅と同種の主張である。
貸金返還請求されて、弁済したという主張をしないまま敗訴した被告が、後訴で弁済による貸金返還債務不存在確認の訴えをしても、既判力によって認められないってのと同じ。
なぜならば、相殺っていう主張は債権消滅事由であって、それって自働債権をもって代物弁済した=弁済による債権消滅っていう主張と実質的には同じだから。

弁済だとわかるのに、相殺になった瞬間に、この関係を把握できないっていうのは、相殺の論点としてしか、把握できてなくて、体系的な既判力概念の理解が不十分だからじゃないかなと思う。

しかも、未修だけれど、うちのローで奨学金とか給付されてる優秀層でそれ。

そういえば、未修で数人が予備試験にうかったんだけれど、その中の一人が、ローで噂されていて、どうしようもなく舞い上がって、自分を優秀だと自慢するらしい。
よく飲みにいくローの先生も言っていたので、そうなんだろう。

で、そんな彼が、要件事実の問題で、
履行遅滞解除の帰責事由が規範的要件っていう話は聞いたことがないですね…」
と言っていました。

みなさんなら、どう答えるでしょうか?

履行遅滞の要件を思い出せば簡単でしょう。
この質問自体に出てる「帰責事由」について、どう考えるべきでしょうか?
判例がどう言っていたのかを思う出そうとなるんではないでしょうか?

彼に答えるとすれば、

「責めに帰すべき事由」とは、債務者の故意・過失および信義則上これと同視すべき事由と解されてるので、故意ならば事実、過失は規範的要件。また、信義則上これと同視すべき事由も規範的要件ではないでしょうか?

みたいなことを言うと思います。
つまり、帰責事由の内容がわかれば、必然的に答えがでる話。
帰責事由に過失って含まれるので、過失を規範的要件と考える以上、帰責事由の内容には、規範的要件たる過失、加えてそれと信義則上同視すべき事由すら含まれるとういこと。しかも、事案との関係を鑑みるに、過失が問題となるでしょって話だった。

予備試験に合格できる彼も、過失を規範的要件として理解しているので、試験で高得点と取る技術と、法的思考・知識レベルとが違うっていう典型例でしょうね。
別に、予備試験に受かった彼を貶めるつもりで引き合いに出したわけではなく、実際にはこういう点取り合戦なので、いかにうまく効率よく点数を稼げるのかってことを考えて、試験対策をしなければならないんじゃないかな?
そういう主張をしたいだけで、かつ、そのことをかみしめながら猛省しています。

もちろん、効率よく点数を取れるようにするために、試験対策をすると言うのは簡単で、実際にそれを実践するのは、すごく大変なことで、苦痛なことです。
ゆえに、上記で予備試験に受かった彼は、尊敬に値します。そういう努力をしたからこそ、未修でも予備試験に合格できたわけですから。

こういうことを言うと、
「法律の試験じゃなく、事務処理試験。大学入試のような暗記型試験」
みたいに批判する人もいるでしょう。
なんせ、文科省自体がこう言って、予備校の試験対策はだめと言って、ロースクールでの試験対策はするなと通達してるわけですから。


あほかと


ほんと、呆れる。
事務処理能力を上げたいなら、そういえ。
それは、実務家として必要なスキルだけれど、法律の理解がおぼつかなければ、本末転倒。
そういう批判をして、ロースクール制度をつくったのではなかったのか?

というわけで、結論。


   ロースクールは失敗でした!(すまんな@佐藤幸司)



(ノ∀`) アチャー

仕事できたらなぁ。の巻

まいど〜

にーやんです。

ロースクールの最後の試験が残りひとつで、二度目のロー生活が終了します。

刑事系の試験があったのだけれど、共犯なき正犯でました。
共犯泣き正犯orz

なんとなく変な事案だったなと思いつつ、試験終了後に友だちと話をしてて、
友人「これって、なんか共犯の問題になりそうだと思ったんですよね」
とか言い出して、いやいや共犯泣き正犯だから、認められないやん。
とかいって、あ、書いてないわこれって思った。
しかも、共犯なき正犯を認める説も結構有力だったんですね。

へこむわ〜

とか、今日は色々そんな話で盛り上がってました。

たーねーが言ってたけれども、やっぱりお金の良い使い方を考えないとなぁ。
急に、話題かわりましたが。
そんな話をしたなと思い出しつつ、
弁護士になったら、5年後を目処に友人と一緒に仕事できたらなぁ。

 

二度目のロースクールが早くも終わりそう。の巻

明けましておめでとうございます。

にーやんです。

ちょくちょく更新しようと思ってた二度目のロースクール生活ですが、
なんともう終わりそうです(爆)

もうすぐ久しぶりの司法試験。

絶対に合格するー。

(予定)

その前に生きること自体、大変なので、なんとかしなきゃ。
ハッハッハッ
こんなときこそ笑っておこう。

二度目のロースクール。の巻

ご無沙汰しております。
三振法務博士のにーやんです。


三振後、色々ありました。
予備試験にもチャレンジしておりました。
しかし、論文でアウトになること2回。
今年も受験予定ですが、リスクを軽減すべく、ロースクールに行き直すことにしました。
色々悩みましたが、尊敬する弁護士先生のアドバイスもあり、決意いたしました。


4月から進学するロースクールはいわゆる上位ローに分類されるところなので、しっかり授業の予習・復習をして、論文作成の訓練もして、万全の対策をしたいと思っています。


三度目の司法試験の結果は色々と思うところはありますが、未来を見据えた行動をしなければならないと思うのです。
正直言って、これまで十分な試験対策をすることができませんでした。
色々原因はありますが、とにかくこれからは気持ちを改めて司法試験に受かるよう努力しなければなりません。


ところで、予備試験には法律以外の一般教養科目なるものがあって、これが曲者です。
一度目の予備試験の択一は一般教養の対策をせず(というか何もせず)、難なく通ったので、二度目もその調子で択一対策はしませんでした。
が、二度目は一般教養の点数が悪く、合格ラインギリギリでした。
結果的に合格したものの、他で少しでも間違えていたら択一に落ちていました。


今年、また受験する予定だけれど、択一に落ちる可能性は十分にあるので、内心ビクビクです。
とりあえず、ローの予習と併行で最新判例についてチェックしていこうと考えています。


奨学金のことも考えると、優秀層に入りたい。
上位になるために具体策を考える必要がありそうだけれど、ここは王道で勝負するしかないかなと。
つまり、ちゃんと予習・復習して、しっかり理解してアウトプットできるようにするということ。
これって司法試験対策と同じだし、まぁ「実務と理論の架橋」がロースクールの役割でもあるわけで当然と言えば当然。


また、ここもちょくちょく更新していきたいなと思ってます。

ひさしぶり

バッファローのルータ買った

超早いぞこれ

「空気を読めるがあえて読まない」のと「空気を読めない」のは全然違う。の巻

朝井リョウという人が直木賞を受賞したというニュースをやっていた。


そこでは、朝井リョウのインタビューをやっていて、
「空気を読むのは止めましょう」
と言っていた。
好きなことをするためだという。


それ自体に異論をはさむつもりはないが、これは空気を読むことができることが前提だということを看過してしまう危険性があるように思う。


そもそも、空気を読むことすらできずに自分勝手なことをする人間というのが増えてきて困っているという、ゆとり世代に対する不平不満をよく耳にする。
こういう人ばかりではないのだけれど、こういったことを言われるゆとり世代の(一部の)人は、そもそも空気を読むという概念を観念することすらできない、もしくは、空気を読めてもそういうのは軽視して自己中心的な世界を構築する傾向にあるように思う。


こういう人間は、むしろ
「空気読めよ」
と言われてしまうんではないだろうか。


という自分自身も空気を(あえて)読まないで言いたいことを言うこともある。
だからこそ、誤ったことをを言ったのならば素直にそれを認めて謝罪するように心がけている。
しかし、それはそういう発言をした責任を負うつもりでやっていることで、そもそも空気を読めないまま発言の責任を負うつもりもない人間とは違う。


自由には責任がつきまとうという当たり前のことを理解していない若年層が多いのは、そういうことだろう。


幸いにも、自分の周りにそういうアホな人間はいない(ように思う)。
間違っていることを指摘して、それを省みることができる友人が多い。
だから、自分も嫌がられるようなことでも、必要ならば言うことができるように思う。


そこで思うのは、朝井リョウがアホ世代に対しても公共の電波を使って、翻意ではないかもしれないが、
「空気を読むのは止めましょう」
ということで、責任を負うつもりがない無責任な自由を是認したように映ってしまったということだ。
これは問題だろう。


テレビは電波法によって管理された公共の電波を使うことを特別に許されて放送できるものであり、老若男女、アホから天才まで色んな人が観ているわけで、そこではアホに対するアホみたいな配慮が要求されるのである。


とはいえ、ほんの少しの配慮でよかった。
「空気を読むのは止めましょう」
の後に
「ただ、空気を読むことができるようにはなりましょう」
ということを言えばよかったのである。
これによって、
「空気を読める」
「だがあえて空気は読まない」
という選択を自らすることができる。


これは、そもそも空気を読めない人間とは大きく異なる。
「空気が読めるにもかかわらず、空気を読まないことをする」
という自己決定には、責任を負うことを前提とされる。空気を読まない責任である。
しかし、空気を読めない人間には、そういう責任を負うかどうかの選択肢すらないのである。空気を読めないため、そもそも「責任」ということを観念できないからである。
責任を負うことすら無意識に放棄して勝手なことをするのは、自己中心的なテロリストと同じだろう。


そういうテロリスト的人間に限って、
「空気を読むのは止めましょう」

「ただ、空気を読むことができるようにはなりましょう」
という上の2つの文章は矛盾しています。なぜですか?


なんてアホなことを言う。
この意味すら理解できないようでは、救いようがないわけだが、それはこういう人間に育ててしまった親、学校、ひいては社会がその責任の一端を担っているということも事実だろう。
とはいえ、そういう人間になった本人自身が1番問題ありなのは言うまでもない。

と、久しぶりに思った。