株式会社の資本金制度②!!の巻

 
山場である!こりゃ大変だ!! ヾ(゜ロ゜*)ツ三ヾ(*゜ロ゜)ノ 

さっそくですが、株式会社制度の特徴。何度もいわなくてはいけない基本事項である。
→①株式制度と、②社員の間接有限責任である!
こんな性質を持つ株式会社。それゆえ、会社債権者を保護する必要がでてくる。
そのための資本金制度!ここまでが昨日の復習

たしかに、これが資本金制度の出発点ではあった。
 
しかし、大変なことに会社法が改正されるたびに、資本金制度は( ‥) ン?と思うほど、薄っぺらくなっちゃってるのだ!!なんてったって、資本金1円でも株式会社ができるのだから!!
 
これのどこが、会社債権者の保護なんだ!?ヾ(▼ヘ▼;)オイコラ!
 
まぁ、仕方ないのである。今は不景気で、会社債権者よりも企業活性化の方が経済的に重要!だから、資本金1円*1でも会社設立できるようにして、新規参入しやすくしよう!ってことを、国会議員の人が決めちゃったんだから・・・今となっては、株式や資本金との関連性は薄いのである。
こりゃ、今まで、資本金って会社債権者保護のために必要不可欠のものだぁ!!なんていう資本教信者にとっては、由々しき事態でありますぞっ!!
しかも、学者さんによっては資本金制度の評価が異なっていて、あたくしには手におえない奴になっちゃっているのだ。ハッハッハッ!(T▽T;)
 
ううっ。よく勉強生活はつらいって思うこともある。しかし、気の持ちようで楽しくなるものである!この宿敵(資本金)と戯れる勢いでいこーっと!!

新・会社法  100問

新・会社法 100問

そこで、とりあえず新会社法の立案担当者の葉玉匡美氏の新・会社法100問を参考に資本金制度を検討!大人気の会社法論文過去問集である。とりあえず、これに書いてあることを押えておけば、試験対策としては◎である!
  
簡単に言えば、資本金は、企業活動を営む上でのエネルギー基準値である。
この基準値を難しく定義すれば、
 
株主から過去に出資として払い込み、または、給付をされた財産の価格の全部、または、一部を計上した会社の計算書類上の計数
 
とかいいます。アタマイタイ。

とにかく、まず、会社は株なんかを買ってもらって、その分において資本金の額が充たされる。この時点で、いったん、会社に資本金の分の財産が現実に確保される。資本充実完了。
もっとも、会社財産は常に変動し得る。例えば、設備投資した会社の工場が、災害でぶっつぶれたりして、会社財産がものすんごく減っちゃうことだってある。資本金という、エネルギー基準値の枠はそのままでも、その内容であるエネルギー(会社財産)そのものは、資本金より少なくなってしまうこともある。このままでは、HPが0になって死んで(倒産して)しまうぞ!!って感じ。
だから、資本金は、会社債権者にとっては、過去に少なくとも資本金の額が現実に払い込まれた事実があるってことを登記を通じてお知らせするだけの機能しかない。つまり、資本金なんてものは、過去の出資に対する信頼に過ぎないのだ。
 
と、こんな現実を前提に、現在の資本金制度を考えてみる。以下の原則がある。
 

  1. 資本充実の原則
  2. 資本維持の原則
  3. 資本不変の原則

 
である。ちなみに、新会社法になって、資本確定の原則は、ほとんど重要じゃないので無視である。
 
 
①資本充実の原則とは、資本金の額に相当する財産が現実に会社に払い込まれなければならない、という原則である。
 
この資本充実の原則。実は、かなり灰色な奴になっているのだ*2
 
とりあえず、灰色なりに考えてみよう。
会社法の資本金は、株式の発行の際に、現実に出資された財産の価格のみを、この資本金に算入するという方法と採る。これよって、集めるべき資本金に相当する財産の確保を確実なものとしているのだ。この点で、資本充実の原則は実現されている。
この点だけでも、押えておこう!
 
②資本維持の原則とは、上述の充実させた会社財産の流出の制限する、という原則である。
う〜。。
あたくし。当初、これが理解できませんでした!!Σ(T▽T;) ぐわわぁぁ〜ん!
だって、事業を行う上で、会社財産を使って、利益を上げようということは、さっきも書いたけど、常に会社財産は変動し得る*3のである。にもかかわらず、資本金の額に相当する財産を維持しろっていうわけで・・・
しかも、資本金より会社財産が減ったからといって、株主が追加出資する義務を負っているわけでもない。
 
新会社法100問には、こう書いてある。
 
資本維持の原則とは、資本金の額に相当する財産が現実に会社に保有されていない場合には、剰余金の配当等をすることができないという原則をいう。
 
つまり、資本金を維持させとくために、使い残りの金(剰余金)があっても、株主に配当できる分は、制限されているのだ。この制限によって、一定程度、資本金は維持させることができるってことである。
すなわち、資本維持のため、金儲けしても、株主に対して、分配可能な分を制限するってことなのだ。ふむふむ。なるへそ〜。
 
ちなみに、①資本充実の原則と②資本維持の原則は、併せて、資本充実・維持の原則という。そのまんまである。
 
まとめると、
 
資本充実・維持の原則とは、

  • 設立や設立後の株式の募集時に、現実に出資された財産の価格のみが資本金の額となり(資本充実)、

           かつ、

  • 資本金の額に相当する財産が現実に会社に保有されていない場合には、剰余金の配当等をすることができない(資本維持)

する原則。ということになる。
 
最後に、③資本不変の原則とは、会社が自由に資本金を減少することができないという原則である。
これは簡単である。自由に資本金の額が減少しちゃうと、当初の目的「会社債権者の保護」にならない。だから、資本金の額は自由に変更できないようにしてるのだ。
登記を確認したときの資本金の額が100億で、いったんこれだけ出資されてるんなら、5億くらいどーってことないな、とか思って取引したら、なんと取引時には資本金1億円に変わってて、99億円は株主の配当に回しました!なんてことになったら、会社債権者は激怒ですな(爆)。
こんなことにならないように、会社債権者保護の見地から、資本金の額は原則として減少できないとした。


という説明は実は誤解なのだ。
いや、待って。怒ってるだろ。わかった。


次の葉玉先生のブログを見るとよくわかる。

 資本金が100億円だろうと、100兆円だろうと、10円の債務すら支払うことができない場合があります。
 資本金は、その株式会社に過去に100億円の出資があったことを示しているだけで、現在、資産がいくらあるかを示すものではありません。
 例えば、私が、100億円を出資して、
「資産100億円 負債0円 資本金100億円」の葉玉塾を設立し、葉玉塾は、その旗揚げ企画として、「会社法世界ツアー by A沢」を企画し、代表取締役の私が、息子から10円借りて、公衆電話でA沢さんに出演依頼をしたところ、A沢さんが快諾してくれたとしましょう。
 そして、葉玉塾が、100億円をかけ、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、南極大陸で、会社法講演会を実行したところ、うっかり通訳をつけ忘れたため、観客が暴動を起こし、チケット代の返還や損害賠償などで100億円の損失が出たとします。
 この場合、葉玉塾は、初年度でいきなり「資産0円 負債10円 資本金100億円」の会社になってしまうのです。

このとき、息子がやってきて「パパ、この前貸した10円早く返してよ。商事法定利息でお願いね!」と言ってきたとしても、資本金100億円の葉玉塾は、資産が0円であるために、息子に10円の返済すらできません。

 資本金については、「資本金の額に見合うだけの財産を会社に確保するための制度」と説明されるため、100億円の資本金のある会社は100億円の資産があると誤解されやすいのですが、本当は、資本金は、過去に出資されたという事実しか示していないので、登記を見て「この会社は、資本金が大きいから、安全だ」と考えるのは、大きな間違いなのです。


 
ううっ。今日はまったく理解不足、かつ、勉強不足のため、説明できてないとこが多々あるぞ〜。この点については、4月にでる神田先生や弥永先生の教科書を参考にしてから、まとめなおそう。
よーし!気を取り直して、明日は基本!でも大変な、株式についてお勉強なのさ!

*1:「1円会社」の場合でも、必ずしも「1円だけ」で会社を設立しなければならない訳ではなく、資本金は「50万円」でも「100万円」でも可能

*2:大昔に存在した法制では、その位置づけは明確だった。定款という会社の根本規則で資本金を定めて(資本確定の原則)、その資本金に見合うだけの株式について引受人、つまり株主になる人を見つけ、払込みをさせて、株式を発行する。まさに資本充実の原則である。つまり、資本金に見合う分の株式が発行されたんだな!って理解でよかった。ところが、色々ありましてこのような理解がしにくくなってきたのでございます。授権資本制の採用により、定款に定められた資本金の額に相当する株式の全部引き受けられることは要求されなくなった。そして、新会社法においては、資本金の額を定款の記載事項とせず、しかも、資本金の額から株式の数を決定することもない。このように、資本確定の原則が放棄されると、資本充実の原則がとたんに不明確になってしまった。神田先生は、資本維持の原則しか残ってないなんて言っちゃってます。

*3:そのため、始めに言った用に、資本金は、現在の会社の資産に対する信頼ではなく、過去の出資がこれだけはされたよ!という、過去に対する信頼にすぎないのである。