別件逮捕について考えてみた。の巻

別件逮捕は、ひとつの捜査手法として編み出された、いわば捜査機関の裏技である。


別件逮捕とは、逮捕して取り調べたいA事実について逮捕の要件が備わっていないため、やむなくA事実以外の逮捕要件の備わっているA事実とは別件のB事実で逮捕して取り調べる捜査手法である。
別件逮捕でいう別件とは、本件であるA事実に対するB事実を指すわけである。そして、狙いを定めてるA事実が本件である。

要するに、「何か悪いことしないかなぁ・・・」なんて感じで、四六時中警察が狙っている感じである。
狙われたらもう街を歩くこともままならない、そんな感じでいつ職質や現行犯逮捕がとんで来るかわからない状況である。実際に殺人事件(本件)を狙って、窃盗(別件)で逮捕するということが度々問題となってたりする。( ̄人 ̄)南無南無

「こんな逮捕は違法だー!」 

なんつって学説が別件逮捕を批判したりする。

そもそも、逮捕は令状がないとできないのが原則である。
つまり、捜査機関である警察が、裁判所に行って、
「こんな悪いことしてる奴がいるから逮捕の許可( ̄人 ̄)オ・ネ・ガ・イ♪」
なんつって、許可を示す令状を出してもらって、それを印篭のごとく示して正々堂々と逮捕しちゃうって手続きでなければ原則として逮捕できないように法律でなってるわけである。

警察が令状許可のお願いをする際に、
裁判所「逮捕の必要があることが一応確かみたいだな」
って、裁判所が思うような資料を添えなければならない。もちろんここで嘘偽りの資料をでっちあげるなんてことはできない。違法な行為であるだけではなく、それは虚偽公文書作成罪(刑法156条)同行使罪(刑法158条)に該当しかねないわけで、逮捕する側が逮捕されるなんてことになっちまうのである(爆)
そのため、捜査機関としては、「あいつ絶対やってるのに逮捕するだけの資料がない!クソッ!!」
なんてことになることもある。

そこで、先ほどの「別件逮捕」なる手法を使うわけである。
本来なら、この程度のことで逮捕しないような事実であっても、逮捕要件を備えていれば、それに基づいて逮捕すること自体は違法ではない。しかも、別件逮捕なる手法によった結果、当初狙っていた罪について明らかにされれば、
「まぁ、悪いことしたんだから自業自得だよね」
なんて感じになってしまうこと必至である。

弁護士としては、
「そんな方法で逮捕すること自体が違法なんだから、そこで取り調べた供述は証拠として認めなられない!!自白したとしてもその証拠は使っちゃだめ!!」
なんてことを言わねばならない。たとえそれが悪人であっても、それが弁護士としての使命なのである。


そこで、別件逮捕を違法としたいところであるが、裁判所は、この別件逮捕について次のようにいうのである。
① 「捜査機関がはじめから本件の取調べに利用する目的・意図をもって、ことさらに別件で逮捕した事情がない限り、別件について逮捕の要件を満たして入れば、適法だ!」By最高裁

しかし、他方で
② 別件について逮捕の要件が備わっていても、捜査機関が本来意図した本件について逮捕の要件が備わっていないことを理由に、違法だ!とする下級審の裁判例も一部で出てきた。


そこで、捜査機関の本来の意図は本件についての取調べにあるから、本件を基準に判断すべきという見解がある。これを本件基準説と呼ぶ。
これに対して、あくまで別件には要件が備わっている以上、令状の請求された別件を基準として判断すべきという見解もある。これが別件基準説である。多くの裁判例はこの別件基準説を採用していると考えられている。

ここまでだと別件基準説と本件基準説の違いがよくわからん感じもするが、別件基準説と本件基準説の違いは次の点である。


1 まず、怪しいと考えている本件につき逮捕要件がない場合の別件の逮捕状請求が、違法か否かという問題
これについては、本件基準説では、本件について逮捕要件が満たされていない以上、違法となる。それゆえ、逮捕状請求は認められない。
しかし、別件基準説によれば、別件を基準に逮捕要件が満たされているかを考えるため、適法となる。

なお、別件につき逮捕の要件がない場合は、どの説に立っても違法である。


2 次に、別件逮捕中の取調べについては、
本件基準によれば、違法逮捕に基づく取調べということになるので、違法な身柄拘束下における取調べは違法、したがって、その取調べで得た自白について証拠能力が認められないということになる。
これに対して、別件基準説では、別件についての逮捕取調べである以上は適法であるが、本件については別件の余罪取調べの範疇であるかが問題とされる。要するに、別件を基準に考えて、それと関連がありそうな事実についての取調べといえる以上は、その本件についての取調べが別件の取調べともいえるのだからOK、ということである。
ここでやっかいなことは、さらに取調べを受忍すべき義務がそもそも余罪取調べについても及ぶかどうかが問題となるという点である。が、それは後にしておこう。


3 次は、別件の勾留請求についてである。
本件基準説では、逮捕前置主義に反するため違法となる。この逮捕前置主義とは、要するに、逮捕に引き続いて勾留を適法にするには、適法な逮捕手続きが前提となるということである。それゆえ、本件を基準とすると、本件の逮捕要件が備わっていない別件逮捕は違法な逮捕であるため、当然それに引き続いて勾留するのも違法と評価される。
これに対して、別件基準説では、別件を基準とするため、別件について逮捕要件が備わっている以上、適法な逮捕であり、それに引き続く勾留も逮捕前置主義に反しないので適法となる。
さらに、別件逮捕・勾留後に本件で逮捕する場合、本件基準説では一罪一逮捕一勾留の原則の問題となる。別件基準説でも、余罪取調べの限界を超えた違法な本件取調べは、令状主義を潜脱した違法な本件の身柄拘束と考えると同様の問題になる。


以上のように、本件基準説と別件基準説では結論が違法・適法と異なる場面が出てくるのである。


学説では、刑事訴訟法の世界では神的な存在である故田宮先生が本件基準説をかなり強く主張したこともあって、これが多数説であった。別件基準説は少数説?とも見られていたが、近時この構図に動きが見られる。


ところで、あたくしは、刑法については前田雅英先生の本を愛用しとるわけですが、刑事訴訟法も前田先生が手がけている池田修氏との共著を使用してお勉強してます。
この本は、判例・実務を中心に書かれているのです。そして、今回の別件逮捕についても別件基準説を前提に議論が進められております。
当初あたくしは、別件逮捕について、本件基準説と別件基準説、各々の問題の捉え方についてよくわかっていない状況でございました。

前田刑訴法123頁は、こう書かれていた。
別件逮捕の議論で争われるのは、別件で逮捕すること自体は一応適法な場合なのである。そこで、広義の別件逮捕を前提として、別件逮捕はどこまで許されるかを考察すべきである。」

広義の別件逮捕とは、形式的に見て令状に記載されていない事実についての取調べ目的があれば、すべて別件逮捕とする考えである。

これに対して、狭義の別件逮捕とは、令状に記載されていない事実についての取調べ目的に加えて、記載された事実について逮捕の理由・必要性もない場合が別件逮捕と考える。例えば、消しゴム1つを万引きしたような逮捕の必要性のない場合であり、すなわち逮捕の要件を欠くのに、殺人事件を追及するために窃盗罪の容疑で逮捕する場合である。
しかし、そもそもこのような場合、軽微な別件で逮捕すること自体が違法となるような場合であり、ここで問題とすべき別件逮捕ではない。前田刑訴法123頁では、このことを説明している。


本件基準説への批判は次の点にある。
まず、逮捕状請求の適法性についてである。
先ほど見たように本件基準説では、逮捕状請求の時点で違法と評価されるため、逮捕状が発行されず、そのため、逮捕ができない。この意味では、「違法逮捕の事前抑制」というのが、本件基準説の意図するところである。
しかし、本件基準説は、別件を口実にして本件を取り調べる捜査機関の「意図」を根拠に、

「別件による逮捕状請求は違法だ!」

という結論を導くが、この点で問題がある。つまり、この主観を問題にして違法と結論付けることには現実的にみて無理がある。
なぜなら、殺人で取り調べる意図で、窃盗について逮捕状請求した場合、この時点で本件基準説は違法となるが、被疑者を逮捕した後、窃盗のみを取調べ、殺人については取調べを一切しなかった場合、このような逮捕は客観的にはなんら違法と評価されるものではない。それゆえ、捜査機関の主観的な「意図」を基準に違法か適法化を論ずること自体、そもそも妥当ではないのである。そして、たとえ客観的に軽微と思われる被疑事実でも、逮捕状請求書に「書かれざる意図」を読み取るということは難しいのである。
実際の裁判例においても、「実質的にみて軽微と思われる犯罪であっても、捜査機関から、右事実につき捜査の必要性があると主張されれば、逮捕・勾留の理由・必要性が全くないと言い切るのは容易なことではない」とされている(浦和地裁平成2年10月12日)。

また、仮に捜査機関の「意図」によって逮捕状の請求が違法となる場合を認めたとしても、上記の通り逮捕状の発付に際して、裁判官は違法な別件逮捕だと見抜くことは甚だ困難である。「これは違法な別件逮捕かも!?」 というふうに違法であるかが明らかにされるのは訴訟時であって、違法な逮捕状請求がなされた後なのである。
要するに、本件基準説は、事後的に発覚した違法な「取調べ」を根拠としながら、時を遡って「逮捕状請求」がいほうだったと擬制しているに過ぎないのである。
それゆえ、本件基準説の当初意図していた「違法逮捕の事前抑制」は実効性をもっていないということとなる。したがって、要件を具備した別件による逮捕を違法と評価するということ自体がフィクションの上に成り立つ議論であり、そのような議論には意味がないのである。こんな議論すること自体あほなのである。しかし、田宮先生にそんなことは言えないからだんまりを決め込んでいたのである。ということにしておこう。

以上より、別件基準説が(広義の)別件逮捕における問題の処理として適当だということが明らかにされた。
では、別件逮捕説ではどのようにこの問題を処理することになるのであろうか?

別件基準説では、別件逮捕の事案であったとしても
1 別件について逮捕の要件が備わっている以上、逮捕状請求は適法である。したがって、裁判官は逮捕状を発付せざるを得ず、
2 逮捕に基づく身柄拘束も適法だといわざるを得ない。

このような別件逮捕は、逮捕権の運用の問題と捉えるべきだと言う人もいて(樋口眞人)、注釈刑事訴訟法なんかでも、この考えが正当だなんて指摘されている。前田・池田もこのような考えを前提としている。
つまり、別件逮捕における逮捕状請求に対しては、次のような対処法によるべきだという。すなわち、逮捕・勾留の理由と必要性を、別件を基準として厳格に行うことによって、軽微な別件を理由として口実的身柄拘束を排除する、という方法によって対処することが、逮捕権の運用としては適当であるというのである(前田124頁)。

3 ただし、身柄拘束中に行われた取り調べが違法となる場合はある。

たとえ適法な身柄拘束が行われたとしても、身柄拘束の理由となった犯罪事実(例えば、窃盗)に基づいて令状が発付されたのであるから、その被疑事実以外の無関係な犯罪事実(殺人)についての取り調べは許されない。これが事件単位の原則である。逮捕の基準は被疑事実を基準とされるのである。それゆえ、「窃盗」による身柄拘束中にこれとはまったく無関係の「殺人」について捜査機関が取調べることは許されないのである。
しかし、一般的に余罪として身柄拘束の理由となった犯罪事実と関連する別の犯罪事実の取調べは可能であると解されている。
なぜなら、余罪と逮捕事実と密接に関連する場合、余罪についての取調べが真実解明に不可欠なこともあり、余罪の取調べを全く認め得ないとするのは不合理だからである。
そこで、余罪取調べが認められることを前提として、問題とすべきはその認められる余罪取調べの範囲ということになる。

要するに、別件逮捕の問題は、逮捕権の運用と逮捕・勾留中の余罪取調べの問題として捉えるべきであって、本件基準説のような別件逮捕を抑制するための政策論として論じるのは筋違いということなのである。

ただ、酒巻先生が指摘するように、ここで余罪取調べの限界として「取調べ」を違法とする根拠に、逮捕・勾留を規律する事件単位説や令状主義と持ち出す場合、この逮捕・勾留という身柄拘束の目的に「取調べ」という別個の手続も含まれていることを前提とすることになる。すなわち、取調べ目的の身柄拘束を認めない多くの学説において、別件逮捕の限界で「事件単位原則」や「令状主義」を持ち出すことは誤りだという。なぜならば、「逮捕・勾留」と「取調べ」は別個の手続だからである。捜査実務、裁判例の多くは、「取調べ」も身柄拘束の目的に含まれると解しているといわれているので、別件逮捕の問題を「事件単位原則」や「令状主義」の問題とすることは誤りとはいえない。以上の指摘は、たぶん田口先生の令状主義潜脱説がおかしいって意味だと思われる。
そして、刑訴法198条1項但書の反対解釈から取調べ受忍義務を肯定する捜査実務・裁判例では、この取調べ受忍義務も事件単位原則が妥当し、したがって、余罪には取調べ受忍義務がないので、余罪の取調べは任意捜査の範疇に属する限りでしか認めないという。
その上で、余罪取調べは、事件単位原則からの制約として、余罪についての捜査が逮捕勾留の基礎となった事実についての捜査としても意味を有する場合に、逮捕勾留の基礎となった事実の捜査に付随して行われるに止まる限り許容されるという(東京地決昭和49年12月9日)。
これに対して、取調べ受忍義務を否定する場合、およそ取調べを強制することは許されない。したがって、これに強制処分である身柄拘束の規律である事件単位原則を根拠に「事件単位原則に反する余罪取調べは許されない」という規範定立は誤りということになる(なお、寺崎嘉博先生は、被疑者に取調べ受忍義務はないとしつつ、事件単位原則を身柄拘束中の取調べに適用して、取調べが可能な範囲を限定するという)。


まとめると
①「取調べ」も身柄拘束目的の1つ

②取調べ受忍義務肯定∴身柄拘束下の取調べは強制処分

③事件単位原則が「取調べ」にも妥当=逮捕勾留の基礎となった被疑事実の「取調べ」は強制処分
↓反対に
④余罪=身柄拘束の基礎事実ではない
∴取調べ受忍義務なし→∴「余罪」は任意捜査=余罪取調べの限界


ちなみに、この別件逮捕の問題で有名な学者である川出教授によると
そもそも、起訴前の身柄拘束期間は、「その身柄拘束の基礎となった被疑事実について」罪証隠滅や逃亡を阻止した状態で、「起訴・不起訴の決定に向けた捜査を行う期間」だから、別件による逮捕・勾留は、別件のための捜査といえる身柄拘束期間の利用実態があることが必要という。
それゆえ、別件のための捜査といえる範囲では本件の取調べ(余罪取調べ)は許されることになる。
反対に、その身柄拘束の実質が、、身柄拘束の基礎とされていない本件によるものと評価される場合、本件について、事前の司法審査を経ていない違法な身柄拘束状態となるという。それゆえ、違法な身柄拘束状態でなされた取調べも違法であり、そこで得られた自白調書は、令状主義を没却した重大な違法として証拠能力が否定されることとなる。
これは別件基準説を基本としつつ(しかし、視点は本件基準説・別件基準説とは異なる)、逮捕勾留の目的から説明したもので、別件逮捕も余罪取調べの限界も説明がつくし、取調べではなく身柄拘束の違法性から取調べを違法と説明するので、取調べ受忍義務否定説とも整合性を有する。最近の裁判例においても、この説によるものがある(百選19事件)。最近の学者はこの川出説を意識して、かならず引用している。今後、通説化すること間違いなしか?


解釈論の筋道のみ標した。問題の立て方で勝負がつく感じの問題。それが別件逮捕の問題である。
しかし、実は別件逮捕に基づく取調べが違法となった場合の証拠がもっと問題だったりする。問題もりだくさんである。違法収集証拠?自白法則?毒樹の果実??とくに、違法収集証拠と自白法則の関係なんて結構むずかちーもん!!

こんなことまで考え出したら、これはもはや日記ではなくなるので今日はここまでなのさ!

難しいな。法律って。