やるかやられるか、それが悪徳商法の世界。の巻
今日、ひさしぶりに悪徳商法の相談がきますた。
悪徳商法といえばやっぱネズミ講でしょ。
「3人会員にしたら貴様はシルバー会員からゴールド会員に昇格!配当金が2倍に!!そのかわり販売商品を10人分引受けてね(30万円)。」
とかいうやつ。聖闘士星矢みたいな昇格ぶり。
法律上、違法で罰則(懲役1年)とかになるのがネズミ講。
これと似てるのがマルチ商法。
一応、マルチ商法は合法となってる。ただし、特定商取引に関する法律33条の連鎖販売取引で、要件を満たすことが必要。
美容院とか、お客さんを紹介したらサービス券がもらえるというようなことやってるけどこれは適法。こういうのは結構多い。
こんな感じでソフトバンクでもやってる。
「紹介の連鎖」
この適法なマルチ商法とネズミ講は同じ図の連鎖を形成する。
しかし、違法とされるねずみ講が金品配当組織であるのに対して、マルチ商法は商品の販売組織(サービスのあっせんも含む)である点で区別される。
要するに、ブロンズからシルバーへ、シルバーからゴールドへといった感じに聖闘士星矢的に昇格をすることによって金品の配当(コスモ)が増えるみたいなのはダメで、美容院のお客さんとか電話加入者とかネット契約者とか、お客さんを増やす場合のように一般的によく目にするのは適法って考えればよい(もちろん無制限に許されるわけではない)。
ただ、適法といっても上の図をみたらわかるように、この図はネズミ講そのものといって過言ではない。
ネズミ講が違法とされるのは大半が確実に損をするからと言う理由。
例えば、5人紹介して!というシステムの場合、この階層は12階層で2億4000万超します。ゆえに、儲かる階層は、最上位の1階から11階層までのたった5000万人弱。2億人弱が確実に損をするということになる。
もっとも、マルチ商法も適法だから大丈夫というわけではない。不実の告知や誇大広告は違法となる。
それ以上に、上の図をみたらわかるように、違法なネズミ講と適法なマルチ商法はかなり峻別することが難しいのが実態である。
カルト宗教と同じで、
「これは○○とは違うから、安心!」
とか
「これでライフスタイルが向上します!」
とか
ほんまアホみたいな謳い文句をならべて、敵は勧誘してきます。安心した瞬間あなたの負けです。
オレオレ詐欺と同じで、奴らは巧みに欺しにかかってきやがります。大変です。
しかし、正直こんなアホな話に乗ってしまう奴もやっぱりアホであるということも事実。
何人かこういう悪徳商法をしようとした友人がいました。
パターンは結構同じで、
「一緒に小遣いを稼ごう」
「俺の信頼する先輩が特別に教えてくれたんや」
「結構いい金が入ってくる」
「これは今はやりのネットワークビジネスやから、やるんやったら今」
「これはアムウェイとは違うから大丈夫やで」
「マルチ商法とかネズミ講みたいなまがい物商法とは違うから!(ちょっと必死)」
だいたいこんな感じ。
そういえば、消費者行政担当大臣の野田聖子が、アムウェイにパーティー券を購入してもらっていたとか。
返金したらしいがそんなことより、アムウェイとつながりのある大臣が日本の消費者行政のトップとは、なんという国だっー!!!
とにかくキーワードは、「大丈夫」「安心」「特別」「○○とは違う」。それに加えて、「マルチのトップ野田ですが何か?」。こんな感じだ。
今日聞いた話もだいたい同じ。
FBIから命狙われてる俺に言わせると、へたくそ過ぎるねん。
そもそも、悪徳商法でないのに「アムウェイとは違う」とか言っちゃってる時点であやしすぎるやろ。そもそもアムウェイってなんやねんって思わせたらもっと不利だろおまえ。
例えばだ
はじめて狙っていた女の子(しずかちゃん的な子)と夕食を食べた直後に
「いや。全く下心はないから、ラブホにいかへん?いや、ラブホとか結構おもしろいし。いや、違うよカラオケしたいだけだって一緒に。た、楽しいよ?えっ、いやいや。全然、変なこと考えたりしてないって!(かなり必死)」
どうだ。
もう見てらんないだろコノヤロー。
そこでだ
「なんとなくの法則」
これを使うのである。
「なんとなくの法則」とは、こうだ。
なんとなくついて来ちゃった
↓
なんとなく盛り上がってしまった
↓
なんとなく仲良くなってしまった
↓
なんとなく一緒に夜を過ごしてしまった
これである。
つまり、相手が意識しないまま、流れに乗ってもらうという手法である。
催眠商法(SF商法)の手法と同じである。
したがって、欺そうとする奴が悪徳商法を連想させるようなことを言うことはタブーなのである。
だから、「説明会」とか「マルチ商法」とか「ネズミ講」とかは禁句である。
むしろ、うまく欺す奴はこうするのではないか?
1 とにかくカモと仲良くなる。ここでは多少の犠牲を払ってでも信頼を獲得する。
2 相手が気付かないうちに、悪徳商法仲間のひとりにする。これで準備OK。
3 その仲間がみんなやっているということで、興味を持たせる。
4 まわりの仲間が「これをやってて良かった〜」的な話で盛り上がり、さらに興味を持たせる。
この時点で、相手から話をふってきたら、「もはやこっちのもの」的な状態になる。
なぜなら、興味を持って自発的に話を聞きたいという人間の頭の中は、良いこと(得すること)しかないからである。人間は単純である。
要するに、少しでも不信感を与えたらダメである。信用は一度失うと回復し難いものなのである。悪徳業者も必死なのである。
こういう情況で欺されないようにするのは、実は非常に難しい。
いつか言ったように、無意識下(欺されるかもしれないぞ)に気付かなければならないという、一見矛盾したことを強いられるからである。
人のいい奴ほど欺されやすいというのは、これが原因だったのである。
つまり、欺されやすいということは、言い換えれば「信用しやすい」ということを意味する。
人間は信用している人から欺されるという最悪の事態を無意識的に回避するものである。そうでなければ、人間不信で誰も信用できなくなり、これでは生きていけないからである。だから、こういう無意識下における回避は人間に備わった本能といえる。
しかし、このよくできた人間の本能を悪用するのが奴らの手だ。気をつけろよ。
だから、よく「欺されないと思っている人ほど危ない」というのは、よく人間の本質を捉えた表現なのだ。
つまり
「俺はジャイアン。欺されない」
↓
「俺は欺そうとする奴は、見破ることができる(根拠のない自信)」
↓
「今のところ俺を欺そうとする奴はいない」
↓
「今のところみんな信用できる」
しかし、ジャイアン。本当にそうなのか?
俺は常々思っているが1番怖いのは、最も信用できるような善人(例えば、親とか)が実は悪魔である場合である。
だって、気付かないうちに悪魔は近づいているのだから。
きっと、ジャイアンはジャイ子(本名不詳。ペンネームはクリスチーネ剛田。)が自分を裏切るなんて思ってもいないだろう。
その心理をつくところが、悪徳商法の恐ろしいところなのである。
だから、俺は今まで「俺は欺されない」とか思ってたけど、この考えは改めることにした。
しかし、「欺されるかもしれない」とか考えて日々を過ごすのも面倒である。
そこでだ
てきとうに生きようと思う。