どれくらいが辛く悲しい人生か想像してみると俺の認識はまだまだ甘かった。の巻

昨日から第2クール突入。要件事実の復習を開始。
しかし、憲法の課題が残っていた、というかほとんどできなかったので1日1件ずつやる方向で。残り12件も(泣)。

憲法基本判例を読み直す】

第6回は、尊属殺の違憲判決の事件。
憲法では超有名判決。「栃木実父殺し事件」として社会科・公民科の資料集では必ず紹介されているらしい。初めて法令違憲判決を正面から認めた事件。


ほんまこれはひどい事件。なので、本当にあったひどい話として詳細に見た。
言っとくが、そのへんの昼ドラなんかよりもリアルかつ外道でございます。当時、報道機関はこのような事情を把握していたが、被害者である親父の行いが常軌を逸していたため、事件当時にはほとんど報道されなかったと言われているほどだ。お気をつけ下さい(18禁)。




【事実の概要】
ダメ親父が娘を近親相姦。当時娘は14歳(当時昭和28年)。14歳の娘の処女を親父が無理矢理奪ったのだ。
娘は母に相談し、母が阻止しようとすると、親父は刃物を出して脅迫。もはやDVの域を超える醜行の数々。
母は娘とともに鉄道自殺を図ろうと思うこともあったという。


娘は親戚の元に行くなどして色々と魔の手から逃れるため頑張ったが、ことごとく親父に見つけ出され連れ戻されるのであった。
挙句の果て、親父は母を捨てて、娘を連れて転居。ついには、娘に子供まで産ませたのであった(当時昭和31年)。親父よ。なんて外道だ。
ここに至って、娘は子供のためやむなく親父の元から逃れ去ることを断念。自分の子には間違いないのだから愛情があったのだろう。
しかし、その生活は決して安佚の日々ではなかった。
娘は親父に犯され続ける汚辱の身をはばかって近隣親族らとの交際を避け、親族もまた親父の醜行を忌んで近づかなかったという。
昭和34〜37年にかけてさらに4人の子を出産した。うち2人が生後1年以内に死亡。


ところが、こんなかわいそうな娘にも転機が訪れる。


昭和39年に至ると、生存した3人の子も娘の手を煩わすことも少なくなったため、親父の紹介で印刷所で働くことになった。
印刷所では、上役や同僚からの気受けもよく、職場の生活に鬱屈する心の遣り場を見出しながら陰ひなた無く働くようになった。
そのような生活の中で娘は、年若い同僚達が休憩時間などに何気なく取り交わす恋愛や結婚を話題とするありふれた雑談に触れ、今更のように親父のため忌わしい父子相姦の生活を余儀なくされている暗たんたる自己の境遇に気付くのであった。
そして同時に、親父のため自己の青春を奪われた苦痛を強く自覚し、その非運を悲しむ一方、久しく諦めていた正常な結婚相手を得て世間並みの家庭を持ちたいとの願望を抑えることができなかった。
やっと娘は、「普通の日常」というものに戻ることができたということだ。


そしてついに娘は、昭和42年に印刷所に入所してきた青年と運命的な出会をすることになる。
同じ職場で働くこの青年は、娘の誠実で明るく振舞う態度に並々ならぬ好意をもち、進んで娘の仕事を手伝ったりした。
娘もまたこの青年の人柄に愛情を覚えて、帰宅の途を共にするなどして語り合う機会を重ねた末、昭和43年娘よりその心中を打ち明けたことからたちまち相思相愛の仲となった。
娘と親父との外道の関係を知らない青年は、真面目に彼女との結婚を望み、その決意を固めた。
青年は熱心に、反対する両親を説得してこれを動かそうと努めるとともに、娘に対しても早急にその親父の承諾を得てくれるようにと催促した。
このようにして青年の真情を知るに至った娘は、ここに初めて暗たんたる生活に光明を見出し、内心父の子をなした身をためらいながらも、青年の愛情を頼みとして、親父のため一方的に強いられたことに始まった父子相姦の生活を断ち切って、現在の忌むべき境遇から脱却するためにも、この際親父に青年との間柄を打ち明けて、その了解のもとに円満に青年との結婚を成就したいと熱望するに至ったのであった。陵辱の日々が続いてもやはり娘の心は乙女であった。


このようにして、2人には円満な生活が迎えられるものと思われた。


が、そう簡単には行かない運命なのであった。


ついに娘はで青年に対する情思を親父に打ち明けることを決意し、同夜午後8時過ぎ頃、飲酒して寝床に入つていた親父に対し、
「今からでも私を嫁にもらってくれるという人があったら、やってくれるかい」
と婉曲に切り出したところ、親父は
「お前が幸せになれるのなら行ってもよい」
と答えて、はじめは娘の結婚を承諾するかのような口ぶりであった。


ところが、


娘がすでに意中の結婚相手を有することを聞くや、急に態度を一変して怒り出し、種々口実を構え娘の結婚の申出に難癖をつけるばかりか、寝床から起き出してさらに飲酒したうえ、
「若い男ができたというので、出てゆくのなら、出てゆけ、お前らが幸せになれないようにしてやる。一生苦しめてやる」
「今から相手の家に行って話をつけてくる、ぶっ殺してやる」
などと怒鳴りだした。娘は怖れて親父をなだめて、就寝させたが、翌日早朝親父は再び前夜同様に怒りだし暴力を振いかねない気勢を示したため、娘は恐怖にかられて寝巻姿のまま家を逃げ出し一時近隣の家に避難した。
このような親父の態度から、娘は、親父の承諾はとうてい得られないことを思い知ったのであった。


同日午前8時半頃、ひそかに近隣の電話で印刷所に出勤していた青年にいきさつを告げ相談するため、ひそかに外出しようとして近隣で衣服を着替えていた。
しかし、親父がこれを発見し、抵抗する娘を暴力を用いて自宅に連れ戻してしまった。その後、親父は近隣への用足し以外に外出することを許さず、勤め先へも出勤させず、自ら仕事も休んで昼夜、娘の行動を監視するようになった。
そしてその間、親父は連日のように昼間から飲酒しては脅迫的言動で娘を脅えさせ、夜は疲労に苦しむ娘に安息の間を与えず性交を強要して安眠させなかった。
娘は、陵辱関係を執拗に継続しようとする親父により危害を加えられるのではないかとの懸念を抱いていたが、無断で親父の元を脱出することはもちろんのこと、一時抜け出して青年と会い連絡をとり、または他の援助や助言を求めることさえ思うことすら許されず、いたずらに不安、悩み悶える日を重ねた。
さらには、睡眠不足も加わって心身ともに極度に疲労するに至っていた。


このような状態のままに約10日を過ごしたある日、ついに事件は起こってしまった。


親父は朝一旦仕事に出かけたが、正午過ぎに帰宅し、娘に布団を敷かせて寝たり起きたりしながら飲酒し娘に対し、
「俺から離れて、どこにでも行けるなら行け、どこまで逃げてもつかまえてやる、一生不幸にしてやる」
などと繰り返し脅迫し、午後4時半頃、娘に焼酎一升を買ってこさせてこれを飲み、夕食を終えると、六畳間の寝床に入って就寝し、次いで娘も子供達の夕食や入浴の世話をして就寝させたのち、午後8時頃親父の寝床に並んで就寝した。


娘は午後9時30分過ぎ頃、就寝中の親父が、突然目をさまして寝床から起き出し、タンスにあった焼酎をコップに二、三杯たてつづけに飲んだうえ、寝床の上に仰向けになったまま娘に対し、大声で、
「俺は赤ん坊のとき親に捨てられ、17才のとき上京して苦労した、そんな苦労をして育てたのに、お前は十何年間も、俺をもて遊んできて、このばいた女(淫売婦の意)」
といわれのない暴言を吐いて娘を罵った。なんて間違いだらけの暴言なんだ。
娘も目をさまして、
「小さい時のことは私の責任ではないでしよう、佐久山(親父の父方の意)にでも行って、そんなことは言ったらよいのに」
と反論した。
すると、親父は、益々怒り出し、
「男と出て行くのなら出て行け、どこまでも呪ってやる」
「ばいた女、出てくんだら出てけ、どこまでも追ってゆくからな、俺は頭にきているんだ、三人の子供位は始末してやるから、おめえはどこまでも呪い殺してやる」
などと怒号し、半身を起こして突然親父の左脇に座っている娘の両肩を両手でつかもうとする体勢で娘に襲いかかってきた。
娘は、これを見てとっさに、これまでの幾多の苦悩を想起し、親父がこのように、執拗に娘を自己の支配下に留めてその獣欲の犠牲とし、あくまで娘の幸福を踏みにじって省みない態度に憤激し、同時に親父の在る限り親父との忌わしい関係を断つことも世間並みの結婚をする自由を得ることもとうてい不可能であると思うに至った。
そして、この窮境から脱出して自由を得るためには、もはや、親父を殺害するよりほか、すべはないものと考え、とっさに、両手で被告人の両肩にしがみ付いてきた親父の腕をほどいて上半身を仰向けに押し倒したうえ、寝床の上に中腰で起き上ったまま左手で親父の左側からその上体を押さえ、枕元にあったモモヒキの紐を右手につかみ、これを親父の頭の下にまわしてその頸部にひと回わりするように紐を巻きつけたうえ、その両端を左右の手に別々に持って前頸部付近で左右に交差させ、自己の左足の膝で親父の左胸部付近を押さえて、紐の両端を持つた前記両手を強く引き絞って首を締めつけその場で窒息死するに至らしめて殺害したのであった。



なんて人間ドラマだ。これほど人間の醜い部分をリアルに感得できることはなかなかない。これが実際にあった話だって、なんてこった。
これが一審の事実認定。ここでは出てきていないが、親父殺害時にはきっと子がそばにいたのだろう。どんな気持ちでその光景を見ていたのだろうか。


こんなかわいそうな娘だが、「人殺しは人殺し」ってことで、検察官は起訴したのだろう。しかも実父を殺したってんだから、そういう運用が当時でも当然だったんだろう。

【争点】
問題は当時定められていた刑法200条だ。尊属殺人の定め。
これは、自分の親や祖父母を殺したら、死刑か無期懲役にするって規定。

検察官は、この尊属殺人罪に該当し罰条として200条を適用すべきものとしたが、これに対し、弁護人は、200条の規定は憲法14条の規定する、法の下における平等の原則に抵触するから違憲無効である旨主張した。
これが憲法の問題。
憲法14条は法の下の平等を定める。要するに、他の法定刑と比べて200条は刑が重すぎで、これを適用することは法の下の平等に反するって主張を弁護士はしたってことだ。当時、普通の殺人罪が懲役3年以上っていう下限があった(現在は5年)ことを考えると、無期と死刑しかないってのはものすごく重い。ちなみに、無期懲役と死刑しか刑が定められていない罪は強盗殺人、強盗強姦致死か汽車転覆等致死の罪くらい。


【第一審】
この200条は、「反倫理性反社会性において直系親族間の殺人に比し優るとも劣らない夫婦間の殺人についてはもちろん、直系尊属が卑属を殺害する場合についても同様の重罰規定がなければ首尾一貫しない」
として、弁護士の主張を認め違憲とした。
そこで、普通の殺人罪を規定する199条を適用して、過剰防衛行為の刑法36条2項を適用し免除した。有罪判決ではあるが、刑は免除されたので、これでやっと自由の身だ。よかったよかった。


と思っていたら、
【第二審】
第二審の判決では、200条は合憲だとして、懲役3年6か月の実刑判決が下された。なんてこった。


そこで、最高裁に上告。争点である200条が憲法14条に反するかどうかに関して最高裁が判断を下した。


最高裁
最高裁は、

 刑法200条の立法目的は、尊属を卑属またはその配偶者が殺害することをもつて一般に高度の社会的道義的非難に値するものとし、かかる所為を通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もつて特に強くこれを禁圧しようとするにある

として、200条の立法目的の正当性は認めた。
しかし、

 普通殺のほかに尊属殺という特別の罪を設け、その刑を加重すること自体はただちに違憲であるとはいえないのであるが、加重の程度が極端であって、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法14条1項に違反して無効であるとしなければならない。
 この観点から刑法200条をみるに、現行法上許される二回の減軽を加えても、処断刑の下限は懲役3年6月を下ることがなく、その結果として、いかに酌量すべき情状があろうとも法律上刑の執行を猶予することはできないのであり、普通殺の場合とは著しい対照をなすものといわなければならない。
 量刑の実状をみても、尊属殺の罪のみにより法定刑を科せられる事例はほとんどなく、その大部分が減軽を加えられており、なかでも現行法上許される二回の減軽を加えられる例が少なくないのみか、その処断刑の下限である懲役三年六月の刑の宣告される場合も決して稀ではない。このことは、卑属の背倫理性が必ずしも常に大であるとはいえないことを示すとともに、尊属殺の法定刑が極端に重きに失していることをも窺わせるものである。
 このようにみてくると、尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限られている点(現行刑法上、これは外患誘致罪を除いて最も重いものである。)においてあまりにも厳しいものというべく、上記のごとき立法目的、すなわち、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない。
 以上のしだいで、刑法200条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限っている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え、普通殺に関する刑法199条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法14条1項に違反して無効であるとしなければならず、したがって、尊属殺にも刑法
199条を適用するのほかはない。

と判断して、刑法200条に関して法令違憲判決を下した。
この結果、200条の尊属殺人での適用はできないので、199条で処理することになる。
ただ、過剰防衛の36条2項を適用した一審とは異なって、「心神耗弱の状態における行為」であるとして刑法39条2項を適用。これにより1回目の減軽(法律上の減軽)をした。さらに2回目の酌量減軽をして執行猶予付の有罪判決を下した。
その際に、最高裁は、

 なお、被告人は少女のころに実父から破倫の行為を受け、以後本件にいたるまで10余年間これと夫婦同様の生活を強いられ、その間数人の子までできるという悲惨な境遇にあったにもかかわらず、本件以外になんらの非行も見られないこと、本件発生の直前、たまたま正常な結婚の機会にめぐりあったのに、実父がこれを嫌い、あくまでも被告人を自己の支配下に置き醜行を継続しようとしたのが本件の縁由であること、このため実父から旬日余にわたって脅迫虐待を受け、懊悩煩悶の極にあったところ、いわれのない実父の暴言に触発され、忌まわしい境遇から逃れようとしてついに本件にいたったこと、犯行後ただちに自首したほか再犯のおそれが考えられないことなど、諸般の情状にかんがみ、この裁判確定の日から3年間右刑の執行を猶予し、第一審および原審における訴訟費用は刑訴法181条1項但書を適用して被告人に負担させないこととして主文(3年の執行猶予付懲役2年6か月の有罪判決)のとおり判決する。

と判断している。
一審が刑の免除だったのに対して、最高裁は執行猶予の有罪判決だったという違いがあるが、いずれもにしても実刑は免れたのでとりあえずは自由の身になったわけだ。よかったよかった。


それにしても、この事件1つで昼ドラができるくらいのすさまじい展開。ただ、1つ気になる。


娘は果たして青年と結ばれたのであろうか。