「Winny事件大阪高裁判決は全くおかしい」が全くおかしい。の巻

Winny事件の大阪高裁の判決全文が読みたいと思い、検索してたらおもしろいの発見!


Winny事件大阪高裁判決は全くおかしい
http://www.news.janjan.jp/living/0910/0910141635/1.php


中嶋英昭2009/10/15


 パソコンソフト「Winnyウィニー)」開発者に対する大阪高裁の判決は、「全くおかしい」の一言に尽きる。

 10月8日に出たこの事件の判決では、「違法にコピーさせる事を前提にしてはおらず、被告はむしろ『違法目的に使用しないように』と呼びかけている」的な判決理由で、一審とは逆に「無罪」としている。
 この理論は、「単純に事実を見れば、そう言えなくもない」と見做せるが、「事実をキチンと見れば、まるっきりおかど違いな判決」だ。

「被告人」を「被告」というところを見ますと、法律の知識はあまりないように思われます。
法律論とは関係ない単なる感想かぁ。
と、思ってたら

 例えば、数年前、Winnyの開発者として、この犯人が逮捕された時に、全国的な大新聞社である朝日新聞には、大々的に「このWinny開発者が『違法コピーの幇助に当たる』というのなら、では、『人が、包丁で殺人』を実行した場合、包丁を作った人が、『殺人の幇助』になるのかと指摘している専門家もいる」−−−(つまり「殺人の幇助には、ならない)−−−という趣旨の記事が載っていた。
 つまり、この記事の要点は、「誰かが包丁を使って人を殺しても、『包丁を作った人』は、『法律上殺人の幇助にはならない』」のだから、それと同じで、「誰かがWinnyを使って違法コピーをしたとしても、Winnyの作者は、『違法コピーの幇助には、ならないはず』」というところにある。
 現実に、朝日新聞社は、今でもこの考えに捉われているようで、10月8日の大阪高裁判決を支持する「社説」を、10月9日の新聞に掲載している。


 だが、「この発想」には、大変な欠陥があり、とても法律理論として、まかり通るものではない。

うおッ!ちょ、おま、
法律理論を語ろうとしているではございませんか。


法律を学ぶ学徒たる魂を持ち合わせるわたくしは、ちょっと気になります。
なぜ「法律理論」として、まかり通らないのだろうか!?

 なぜなら、「そもそも、包丁を作っている者(会社や職人)は、包丁を『人殺しの道具として、造っているのではない』という事が、完全に無視されている」という点だ。

 「包丁を作っている者は、包丁を『料理の具等を処理する道具』として造っている」のであり、本来は、料理道具である。
 それを、殺人犯が殺人に使っているのは、「たまたま、殺人に使い易いから、使っただけ」であって、殺人者が勝手に「本来の使用目的外に使った」に過ぎない。

 同様に、「金属バット」を使ったり、「練炭」を使ったり、「タオル等をクビ締め用」に使ったりして、殺人の道具に使う者は多いが、これらは、「殺人者が勝手に、『本来の使用目的外』に使っている」のである。
 だからこそ、「殺人事件の道具として、これらの物が使われた」としても、「これらの道具を作った職人」が、「殺人の幇助罪(幇助罪とは、『手助けする』という意味の罪)」で逮捕される事は、これまで1度もなかったし、これからも多分、半永久的にないだろう。

 つまり「包丁が殺人に使われたら、包丁を作った職人が『殺人罪の幇助』になるのか」という発想自体が、トンチンカンで、まるっきり「おかど違いな発想」なのである。

ちょ、す、すげーよ。
何がすげーって、まじめに前振りしたのに


  全然、法律理論じゃないというオチ


すげーよ、中嶋英昭って人は。2度見するくらいの、ナイスな振りだったゼ!
「幇助」という犯罪類型を理解しているのに、あえてこのように演じているのだろう。
いやぁ〜、この発想はなかった。


ちなみに、「幇助」とは、正犯(犯罪実行者)に援助を与えてその実行を容易にする(促進する)ことをいう。例えば、人殺しをしようとしている人のために、包丁を作って差し上げるというような場合も殺人罪の「幇助」となる。
また、同様に人殺しのために、道にあったブロックを渡して、そのブロックを頭にぶつけて人を殺しても殺人罪の「幇助」である。ちなみに、ブロックは人の頭にぶつけるような使用は「本来の使用目的外」であるというのは言わなくてもわかるだろう。だが、幇助犯は成立し得るのである。


つまり、「法律理論」としては、犯罪実行者が、「本来の使用目的外」として使用したかどうかは、幇助犯となるかどうかには関係がない。


包丁を作っている職人が、その作った包丁を使って誰かが人殺しをしても殺人の幇助とならないのは、犯罪実行者が「本来の使用目的外」の使用をしているからではなく、そもそも「幇助の故意」が職人には存在しないからである。


「幇助の故意」とは、犯罪実行者に手助けすることによって犯罪の実行を容易にする「認識」である。これは幇助犯が成立するためには必要な要件であり、これが職人には存在しないのである。


したがって、
「犯罪実行者が、『本来の使用目的外』として使用したかどうか」
を、基準として幇助犯の成否を論ずることは、トンチンカンで、まるっきり「おかど違いな発想」なのである。


盛り上がって参りました。



次に、こう続ける。

 さて、話を元に戻すと、「Winnyの作者は、最初からWinnyを『ファイルコピー用ソフト』として作っている」という点を、まず、重要視しなければならない。
 つまり、「Winnyとは、ファイルをコピーさせることが、本来の目的のソフトだ」とも言える。

えっと…


Winnyは「ファイルコピー用ソフト」?


はじめて聞いたな。
Winnyって、ファイル交換ソフトとかP2Pを利用したファイル共有ソフトとかじゃないか?

ウィキによると

Winnyウィニー)は、Microsoft Windowsで動作するP2Pの技術を利用したファイル共有ソフトである。

とある。



すげーな。まじで。
前振りは「法律理論」だけじゃないってことだな。



楽しくなって参りました。


 ところで、わが国では、「コピー実行用のソフトは、一体何に使われるのか」といえば、圧倒的に多いのは、「今流行している音楽のコピーや、今話題になっている映画など映像コピー」だろう。
 
 そして、ここで何より注意しないとならない点は、「それらのコピーの元となっている『原版の音楽』や『原版の映像』は、大抵、コピーしている本人の著作物ではなく、『他人の著作権物』である」という点だ。

す、すっげぇ。「コピー」連発。
もうあだ名はピーコに決定だな。すげえよピーコ。


もはや、Winnyの話から離れて妄想の域。これについて行くのは、かなり至難の業でございます。


しかも、



「他人の著作権物」



って


この展開は予想できなかった。



なお、「著作物」と「著作権」は異なる概念であり、ちなみに「著作権物」なる概念は著作権法上の概念ではない。
「著作物」とは、思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸・学術・美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
これに対して「著作権」とは、この著作物を独占的に利用して利益を受ける排他的な権利をいう。
したがって、著作物である音楽CDの作成者であるアーティストを著作者というが、小室哲哉の事件でわかるとおり、著作権を著作者以外の第三者が有する場合もある。
※追記
知人から得た情報によるとネットランナーという雑誌に「著作権物」という言葉が使われているようでございます。著作権侵害を助長する行為を糾弾する彼がネットランナーを読んでいるということですか?
ネットランナー(いわゆるネトラン)がどういう雑誌なのか調べてみるとおもしろいことがわかります。

ちなみに、レンタルCD屋で借りたCDを「コピー」しても私的複製の範囲内であれば、著作権侵害とはならず、適法である(なお、CD等のデジタルメディアを用いる録音等の場合、著作権者に補償金を支払わなければならないが、通常、これはCDの価格に含まれており購入時に支払っている)。
著作権法って法律では以上のようになってます。


続きを読むのが大変になって参りました。

 無論、「自ら音楽を創って、それを無料で人にコピーさせる者」や「自ら映画や映像を創って、無料でコピーさせるという者」も、世の中に存在はしているが、全体としてみれば、1000人の内、100人いるかいないか程度だろう。しかも、「コピー回数」という量的観点からは、本来は有料の「有名タレントの物」が、99%程度と考えられる。
 何百万円もお金をかけてCDを創り、それを無料で一般人にコピーさせている者や、何億円もお金をかけて映画を創り、それを一般人に無料でコピーさせる者は、原則としていないのである。

 つまり、コピーしている人の90〜99%程度の人は、「他人の著作物を、有料でコピーしている」か、または「他人の著作物を、違法にコピーしている」という事になる。


 例えば、「モーニング娘のある曲」が、ヒットし、ファンの1人がその曲を原版からコピーしようとすれば、著作権者である作曲家や所属事務所或いは音楽著作権協会などから、何らかの許可を得て、はじめて合法的にコピー出来る仕組みとなっている。もっと具体的に言えば、「代価を払う」という手段で、CDを買ったり、パソコンにダウンロードしたり出来るという事になる。

 この時、「代価を払いたくない者」や「お金に余裕の無い者」は、それを得ようとすれば、盗んだり違法コピーする事になってしまう。

わたくしのおつむでは理解できる領域を超えた妄想でございます。

す、すごく、むずかしいです。



というか、前半は何を言いたいかよくわかりません。ごめんなさい。

前半では、とにかく
「コピーしている人の90〜99%程度の人は、『他人の著作物を、有料でコピーしている』か、または『他人の著作物を、違法にコピーしている』という事になる。」
ということを言いたいのだろう。
要するに、ほとんどの人が
「他人の著作物を、有料でコピーしている」か、
「他人の著作物を、違法にコピーしている」
の二者択一になるということですか。


意味がわからないのは、「有料」か「違法」かという区別にある。
「他人の著作物を、有料でコピーしている」場合でも、著作権侵害で違法となる。
例えば、著作物である絵画を著作権者に無断で、「有料コピー」すれば、複製権侵害となり、著作権侵害ゆえ違法となりうるからだ。
逆に、タダでコピーしても、適法となる場合はある。例えば、ブログに引用するために、ニュース記事をコピーするような場合である。
つまり、著作物の利用は、「対価を払う」ことが適法となる要件ではないのである。


したがって、

「代価を払いたくない者」や「お金に余裕の無い者」は、それを得ようとすれば、盗んだり違法コピーする事になってしまう。

という考えは、著作権法の考えではない誤った理解である。



ところで、論者はWinny事件があくまで幇助犯として起訴されていることを無視して、明後日の方向に向かってしまったのだが、ここでいきなり

 つまり、「違法コピー行為の容易化」をWinnyが手助けしている訳であり、法律用語で言えば「違法コピー行為を、幇助している」に他ならない。

という。
あぁあ。


今まで、著作権侵害「っぽい」話をしていたが、いきなりWinnyの話になった。
ここで「違法」という言葉を使っているが、これが犯罪行為としての「違法」なのか、不法行為責任としての「違法」なのかが、著作権侵害「っぽい」話のせいで、よくわからない。
なんか、
「出来の悪い中学生の小論文が書いたらこうなる文章」
っぽい感じがするのは、たぶん気のせいだろう。


とりあえず、続きを読んでみると、

 これは、「本来なら、自ら違法コピーを実行出来ない者に、違法コピー行為可能なソフトを与えて、違法コピーの実行を可能とさせているのがWinnyだ」とも言える。
 だとすれば、「Winnyの開発公開者が、違法コピー行為の幇助罪に問われる」事こそが、法律の理念に合致した扱いだとも見做せよう。

「法律の理念」?
いや、何の法律かよくわからんけど、そういう理念があるのだろう。
ちなみに、犯罪といえるには、構成要件に該当して、違法でかつ有責な行為であることが、刑法上の大原則である。


そもそも、このWinny事件は刑事事件であり、したがって、著作権法違反の幇助の犯罪者として罪に問えるかどうか「のみ」が、裁判所では問題とされる。
ゆえに、犯罪が成立するか否かという問題から離れて、「政策的に法律の理念がこうだから有罪とすべき」がごとき浅はかなことは間違っても裁判所ではいえないのである。これが「刑事訴訟法や刑法、ひいては憲法の理念」である。


犯罪者とされるのは、法で定めた場合に該当するからであって、その基準は「法律」であって「常識」自体ではない。もちろん、「常識」というものを通じて法を適用するが、そのような曖昧なもので人は裁かれない。
仮に「常識」をいうのだとしても、Winnyそれ自体は価値中立的なものであり、そのようなものを作り提供した場合を「犯罪者」とすることが、果たして「常識」といえるのであろうか。いずれにしても、このような「常識」ほど当てにならない基準はないので、このような曖昧な基準で犯罪者とされれば、犯罪者とされるかどうかはもはや「運」ということになる。


Winny事件では、著作権法違反の幇助罪に当たる行為、すなわちWinnyというファイル交換ソフトを一般に公開した行為が、著作権法違反を幇助する行為に当たるかどうかが問題となる。
これに関しては、以下のように続ける。

 Winny事件で、大阪高裁の判決では、「Winnyの開発者は、違法に使う事を薦めたわけではない」としているが、「他人の著作物を違法コピー可能なソフト」を、安易に公開し、「一般国民が自由に使用可能」な状態にしたら、「それを悪用して、違法コピーする者が出てくる」というのは、当然の成り行きであり、予見可能な「極めて必然的帰結」だ。
 「他人の著作権物をコピーする」のが、そもそも、コピー可能ソフト使用者の目的だからだ。
 その点からは、Winnyというソフトは、「違法コピーに使うのが、むしろ一般的な使用方法」とさえ言える。

違法コピーの予見可能な場合は幇助罪ですか?
そうすると、CD-Rやそのドライブを販売する人も同様に「それを悪用して、違法コピーする者が出てくる」という予見が可能といえそうなので、電気屋の店員は犯罪者集団なのですか?
ちなみに、「幇助の故意」は、このような予見可能性ではなく、あくまで認識の有無によって判断される。故意と過失は違うらしいよ!





最後にこう締めくくる。

 Winny開発者でありこの事件の被告となっている金子氏は、パソコン社会に精通していて、「パソコンで人々がコピーしたがるその対象物が、映画や音楽の様な『有料で且つ第三者著作権物』である」というパソコン社会の常識を、最初から認識していた筈だと判断出来る。

 仮に、ソフト使用者に対して、「違法に使用しないで下さい」と明示していたとしても、それはあくまで、形式上の注意書きに過ぎず、「シリアルナンバーで利用者の特定や停止を可能とする」等、著作権侵害等の悪用行為を、「本気で予防する防止策」は、実行していない。

 要するに、「『違法コピー用に悪用するのが、通常の使い方』となりかねないソフト」を、「フリーソフトとして、自由公開する」という事は、結局「違法コピー行為の幇助行為そのもの」と見做せるのであり、「有罪」とするのが、法律上当然である。

 よって、これらの事から、「無罪」とした大阪高裁の判決は、全くおかしいと言える。

幇助行為といえるかどうかにおいて、「シリアルナンバーで利用者の特定や停止を可能とする」等、著作権侵害等の悪用行為を、「本気で予防する防止策」は、実行したかどうかは直接関係ない。もちろん、このような防止策をしているのなら、幇助行為といえないだろうが、このような行為ををしていなかったからといって、著作権法違反を幇助、すなわち手助けしたといえるわけではない。


そもそも、このようなファイル交換ソフトの機能自体は価値中立的であり、これを提供したとしても直ちに幇助行為として違法とならないということは、無罪を言い渡した大阪高裁だけでなく、有罪を下した京都地裁においても同様である。
これが幇助行為として違法となると、著作権法違反に利用される物、例えばプリンターやパソコン、そのOSなども、その提供行為が幇助ということになりかねない。が、そんなアホなことは誰も言わない。


そもそも、犯罪に利用することを予見できるだけで幇助罪とされては、ソフト開発者のみならず、そのソフトを販売する業者も幇助罪になってしまうおそれがある。


だからこそ、大阪高裁の判決では
ソフトが存在する限り、それを悪用する者が現れる可能性はあると指摘した上で、悪用されることへの認識の有無だけで開発者を処罰すれば、無限に刑事責任を問われ続けることになるとして、「刑事責任を問うことには慎重でなければならない」
という判断をしたのである。
このような判断がはたして「全くおかしい」といえるのであろうか。


「全くおかしい」という考えが、「全くおかしい」ように思われるが、きっとこれがオチなんだろう。