「控訴を勧める」第一審の裁判長は裁判官失格かもしれない。の巻

裁判長「控訴を勧める」 被告に異例の説諭


 横浜地裁の朝山芳史裁判長は16日の判決後、池田容之被告に「重大な結論で、裁判所としては控訴を申し立てることを勧めたい」と異例の説諭をした。死刑の結論が、裁判官と裁判員の全員一致ではなく、異論を述べた裁判員に配慮した可能性もあるとみられる。


 控訴審はプロの裁判官3人の判断。裁判員裁判をめぐって、最高裁司法研修所研究報告書(2008年)では「控訴審はよほど不合理でない限り、一審を尊重すべき」と指摘したが、死刑と無期懲役の判断が一審と控訴審で割れるなどした場合には慎重な検討を要する、としている。


 裁判員裁判で量刑は裁判官3人、裁判員6人による非公開の評議で決められる。結論は全員一致が望ましいとされるが、意見が一致しない場合は、多数決に委ねられる。


 ただ、量刑の決定には、単に全体の過半数(5人)に達するだけでなく、少なくとも裁判官が1人含まれている必要がある。

 例えば、裁判官1人と裁判員4人が死刑、裁判官2人と裁判員2人が無期懲役と判断した場合は、多い方の意見に裁判官が含まれているため、死刑となる。

 この条件を満たさない場合には、最も重い刑を主張した人数を、次に重い刑の人数に加え、裁判官を含む過半数となるまで同じ作業を繰り返す。例えば、裁判官3人が死刑、裁判員6人が無期懲役を支持した場合は、裁判官の死刑意見は、次に重い刑の無期懲役の人数に加えられ、結論は無期懲役になる。

 評議の内容は守秘義務が課せられ、全員一致だったのか、あるいは多数決だったかなどは明らかにされない。

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E3E4E2E3948DE3E4E3E3E0E2E3E29180E2E2E2E2

裁判員裁判において、初めての死刑判決。
事案からして、死刑以外ないと個人的には思っていたから、死刑で当然だとは思う。が、この裁判長の論説は明らかにおかしいだろ。


裁判長が「控訴を勧める」なんて、第一審としての裁判所の判断に誤りがあるかも知れないことを自ら認めているようなもんで、裁判長として恥ずかしくないのかって思う。


もちろん、第一審の判断が絶対に正しいなんてことはないし、三審制の司法制度がある以上、上訴審において原審の判断についてチェックをいれて是正すること予定しているのだから、制度上も第一審の判断に誤りの存在がありうることは前提としている。
しかし、第一審の判断をした当事者(裁判長を含めた合議体)が、自らの判断について「判断間違えたかも」みたいなことを意味することを言って、死刑判決を受けた被告人がその判決内容を納得するわけないだろ。いや、被告人だけではなく、国民の司法に対する信頼も害する。


国民「おいおい。第一審の裁判員たちは控訴審に判断を丸投げしようとしてるぞ」


みたいな雰囲気を作るようなもんだ。
そもそも、控訴を含めた上訴とは、未確定の裁判を対象として、上級裁判所の審判による救済を求める不服申立制度で、被告人だけでなく、検察官にも上訴権が認められる。
しかし、判断をした原審の裁判所(今回の裁判員裁判をした第一審裁判所)に上訴権はない。当たり前だ。自分の判断が、「違ってるかも…」みたいなことでは、原審がする判決の意味がないじゃないか。いや、それどころか国民はこんないいかげんな第一審裁判所の判断を信頼しないだろ。


裁判長の「控訴を勧める」との説示が、死刑判決に反対した裁判員の意見に配慮したという推測があるが、そうだとすれば完全に裁判員制度の趣旨に反する内容だ。なぜなら、反対した者がいても、一定の賛成多数の要件を満たす以上、その裁判所全体としての結論として判決が出される。したがって、そこに反対者に対する配慮をする必要がない。むしろ、そのようなことをして第一審裁判所としての判断に対する正当性を害する結果を招来させることになるのだから、なんて無責任な説示だと言わざるを得ない。


むしろ、こうあるべきだろ。



裁判長「貴様は、一般人(裁判員)においても裁判官においても死刑にしないとならないようなことしたという結論に至ったということを肝に銘じて、死刑判決を受け止めろ!」


わざわざ死刑の結論を出す要件に職業裁判官3人のうち最低1人がが死刑に賛成することを必要としているんだし、その上で、裁判員6人+裁判官3人の合計9人中5人が死刑に賛成していることを死刑の要件としていることからすれば、これくらい言うべきだろ。
裁判員制度の意味ってこういうもんだろ。


まぁ、どういう意味で控訴を勧めたかわからんけれど、仮に死刑に反対した裁判員に対する配慮なんて理由なら裁判官失格だ。


いずれにしても、第一審の判断が正当だという自信もって死刑!って言うべきだった。立場的に。
法制度的にも、判断の誤りに関しては、当事者(被告人・検察官)にその是正を委ねるべきだから。