情けない人生に浸っているダメなおっさん
不合格3日目のにーやんです。
独りで勉強してただけだし誰も俺の不合格のことなんて知らんやろとか思ってたのに、実は多くの人がこの状況を心配して下さっていたことに感謝しきれません。
連絡をくださった友人だけでなく、会ったこともないのににーやんのことを心配して下さった方までいてくれた。
本当にありがとうございました。
友人もこんなしょうもないブログを知ってたみたいで、すごい恥ずかしくなりました。
だから、これからたくさん弱音をはくところは見てほしくないのです。
これからにーやんは最低な人間ってことがバレるから。
でも、この気持ちを正直にこの日記にとどめておきたいと思います。
にーやんのことを嫌いになってほしくないので、ふざけた人間を見たい人以外はどうか見ないで下さい。
合格発表の日、大阪まで掲示板を見に行った。
今思うと、心のどこかで「合格してるだろう」という思いが少しでもあったから、わざわざ京都から1時間以上もかけて見に行くことにしたんだろう。
皮肉にもその日は快晴で、大阪までの道のりはわくわくドキドキで、緊張もあったが楽しみだなという気持ちの方が大きかった。
そんな浮かれてた俺の受験番号は掲示板になかった。
その瞬間から世界は一変した。
世界が変わったわけじゃない。実は俺が最低な人間に変わっただけだった。
一生懸命な人が好きだった。
ギターしてる人も下手くそでも一生懸命頑張って弾く後輩とか好きだった。
そういう人にギターを教えるのってこっちもやりがいがあった。
芸人でも体を張る人はおもしろくなくても大好きだった。
なんか、好きなことを本当に楽しんでるんだなーって思ったから。
そういう人生って素敵やなってずっと思ってた。
だから、好きな仕事を汗水垂らして働いてるサラリーマンも尊敬する。
そんな風に思えてたのに、不合格になった瞬間から何もかもに対して意味を見いだせない世界になった。
ロースクール時代に人生の意味を考えてる人がいて、その人がいつも死にたがっていたのはこういうことなのかって少しだけ理解できた。
頑張って働いてる人、彼女と帰る高校生カップル、友達2人で楽しそうに雑談してる人、帰りの電車でそんな人たちを見て、この人たちの人生って意味あるのかな? とか思ってた。誰が頼んだわけでもないのに。
意味があるかどうかなんて関係ない。その人たちの人生なんだから、その人たちの意味の有無なんて、第三者の俺が考えるなんておこがましい話だ。
挙句の果てに、勝手に無意味な人生だってレッテルを貼っている。自分の人生に置換えて。
最低だ。
そんな最低なことに自覚がないまま、そしてそんなこと思いたくもないのに、自分勝手に、自動的に最低な人間に陥ろうとしている。
最も自分の嫌いな人間になろうとしている。
自分で止めたいのに、世界は変わってくれない。そりゃそうだ。世界は別に変わってない。
変わったのは俺なんだから。
友人が帰宅中にメールをくれた。
心配してくれた。
すげーうれしかった。
うれしかったから一瞬楽になった。
でも、一瞬だった。
感謝した。一瞬楽になれたんだから。
でも、自分は相変わらず最低な人間だった。
帰宅後、世界が変わっただけじゃなくなってきた。
趣味が消えていった。
大好きな音楽、大好きなギター、大好きなお酒、大好きな漫画、大好きなゲーム、大好きな映画
気がつくと大好きだったものたちは去っていった。
24時間音楽聴いても全然苦にならないくらい、ずっと音楽を聴いてた。音楽聴きながら寝たことなんてたくさんある。日常の一部であり、楽しみの1つだった。
それが煩わしいノイズに変わっていた。
吐き気がする。
落ちる可能性を否定してたわけじゃない。
合格率だけから考えても十分に落ちる可能性はあったのだから。
だから、三振したら新しい道を突き進めば良い、そう思ってた。
「たかが司法試験」だ。
現実は違っていた。
俺にとって「たかが司法試験」だなんて言えないくらい大きな存在になっていたようだ。
俺は頭よくない。
落ちて普通だし、そう思えるからこそダメージは受け止められると思ってた。
ところが、今の俺にとって「不合格」というものは、予想を上回るダメージを与えてくれたようだ。今思うと、「落ちて普通だし」とは思えないくらいには努力をしていたのかもしれない。
そんなことがだんだんわかってきた。
だから、友人からの連絡は救われた。
少なくとも、そのときだけは元の世界に戻れたから。
同時に友人のあたたかさを感じることができたから。
もちろん、感謝と同時に申し訳なくもあった。
期待してくれてた人もいたから。
友人の中には司法試験とは無関係の美容師の店長をしてる人もいた。
その人がメールをくれた。
その内容を見たらすごく泣きそうになった。
そのメールは保存することにした。
ブログのアクセス数をみた。
1時間に50くらいあったら多い方だ。
ところが、1時間に100くらいに跳ね上がっていた。
それも合格発表の4時以降から。
しかも、ブックマークに登録してくれている人もいたみたいで、同じ人が結構何度も見に来てくれていたらしい。
どういう人が見に来てくれてるかは知らないけれど、結果の報告が知りたいというのは何となくわかった。
無様な結果をわざわざ正直にさらす必要もないのだけれど、事実だししょうがない。
予想に反して、心配して下さった方がいた。
しかも、いっぱい。
なんか、自分のためだけに書いていた日記なのに、自分を知ってくれて、中にはこの日記がスキな人もいるようだった。
その事実だけでもうれしい発見だった。
励ましのコメントもいただいた。
救われた気がした。
そう思うのと同時に、不合格の自分で申し訳なく思った。
そんなことを思う必要はないかもしれない。なのに、そう思う。自動的に。
それでも、その瞬間だけは世界が元に戻ってくれた。ありがたい。
でも、甘えてばかりではいけない。
これからのことを考えないと。
無意味にしか思えない世界でこれを考えるのはきつかった。
「今はゆっくり休んで、それから」と言ってくれる人もたくさんいた。
確かに、こんな状態で頑張ったところで良い結果はでそうにないことくらいわかっていた。
だからといって、そんな甘えは許されないと思う。
たぶんこんなことを思うから世界は元に戻ってくれないんだろうな。
でも、やっぱり不合格になったからこそ、今まで以上に頑張る必要があるって思ってしまうし、現にそうだろう。
甘えてきた人生でさらに甘えてしまったら、もうその甘えから脱却できそうにないと思った。ますますダメ人間だ。
少なくとも、俺は人に迷惑をかけたくない。
きつくても我慢すればいい。
別に死にたくなったとかそういうのはなかった。
ただ生きることすべてが無意味に思えてならないだけだ。
しかし、そんな世界で生きるのは思った以上に苦しいようだ。
発表前日は緊張してなかなか眠れなかった。
結局、前日は3時間しか眠れなかった。
だから、帰宅した時点で心身ともにくたくたな状態だった。
そんな状態なのに寝ても3時間で目が覚める。
不安が俺を起こしやがる。
化物だ。
いきなり出てきやがった。
友達から連絡がきたときには出てこなかったのに。
夜中の4時に出てきやがる。
出てきたり、出てこなかったりしやがる。なんて気まぐれな奴なんだ。
早朝だけれど早くおかんとしゃべりたかった。
数年ぶりにおかんと一緒に朝飯を食べた。
不安な状態を少しだけ話した。
「少し休み」と言ってくれた。
楽になった。
夕飯の際もおかんと話をした。
友達の話をした。
「友達だけは恵まれてるんやから」
そう言われた。確かにその通りだ。
だから、その友達に気を遣わせるのは気が引けた。
反応に困るのはわかってたから。
夜中にロースクール時代の友人から電話があった。
話してるときは助かる。普通を装えるから。
独りの自分は見せたくない。
ただ、申し訳ない気持ちはあった。
そこではこれだけは言いたいという電話だった。
ものを教えるのがうまいよって。
話がうまいってことなのかな。
でも、実感はない。
ただ、そういうことを言ってくれただけでも、何か価値が見いだせた気がした。無意味じゃないって。
まぁ、正直相性みたいなもんじゃないかなとは思ったけど。
でも、わざわざそれを伝えたいって思ってくれたことだけでもうれしかった。
今日は奈良と堺からわざわざ俺のために京都に友人が来てくれた。
正直、人と会うのもつらかった。酒を飲みたいとも思えないくらいだったから。
それでも、色んな人たちから連絡が来て、だんだん自分を取り戻せそうになってきていた。
友人に会いたいと思った。
気がついたらすげーお酒も飯も食べることができた。
友達パワーすげー。
ずっと飯を食いたいって気持ちにすらなれなかったのに。
帰宅した。
独りになってまた化物が出てきた。あぁ、やだやだ。