伝聞・非伝聞の区別は要証事実の把握にかかっている。の巻

調子に乗って今日も出題の趣旨について一言だけ。


刑訴の伝聞について。
伝聞に関する記事はいくつか書いた。
続・伝聞証拠スペシャル


その前に、最近チェックした判例タイムズ1322号57頁に良いこと書いてたのでご紹介。

 伝聞証拠該当性については,その証拠の要証事実との関係で決まると考えられる。したがって,要証事実をどのように把握するのかがまずもって重要である。しかし,この要証事実の意味については,論者によって若干不統一ではないかと感じられる。最終的な立証命題を指して要証事実と呼んでいるようなものもあるように思われるが,ある証拠からある間接事実(又は補助事実)が推認され,それを経て主要事実(最終的な立証命題)が推認されるような場合においても,当該証拠が最終的な立証命題の立証に役立っているとの一事で,これを要証事実と考えるのは相当でない。

要証事実とは、具体的な訴訟の過程でその証拠が立証するものと見ざるを得ないような事実をいい、いわば「必然的に証明の対象とならざるを得ないような事実」である。
これに対して、立証趣旨は、当該証拠の取調べを請求する当事者がその証拠によって立証しようとする事実(立証事項・立証事実)を意味する。したがって、立証趣旨がそのまま要証事実だとは考えられていない。
とはいえ、一般的には、証拠能力は当事者が設定した立証趣旨を前提に判断される(事例研究刑事法Ⅱ674頁)。
しかし、検察官により示された立証趣旨に拘束されるとおよそ無意味な証拠に証拠能力を付与することになりかねないような例外的な場合には、裁判所が検察官の設定した立証趣旨に拘束されず、何を立証するために用いようとしているのかを実質的に考慮(実質的な要証事実を考慮)する必要がある(最判平成17年9月27日刑集59巻7号753頁)。


判タでは「要証事実」という概念が曖昧なまま使われていることを危惧している。
これは要証事実を決定する基準がイマイチ曖昧なままにされているからじゃないかなと思う。



今年の刑訴設問2(2)について、出題に趣旨は

 資料2の捜査報告書は「死体遺棄の報酬に関するメールの交信記録の存在と内容」とする立証趣旨で証拠調べ請求が行なわれており,要証事実を的確に捉えれば,これは死体遺棄の事実を直接立証するものでなく,甲B間で死体遺棄についての報酬の支払請求に関するメールが存在することを情況証拠として用いることに意味があるから,伝聞証拠には該当しないとの理解が可能であろう。

確かに、死体遺棄についての報酬支払請求に関するメールが存在しているということを立証することにより、被告人が犯人だと推認する間接事実として役立つ。これは犯人でなければこのような偶然の一致はありえないという経験則に基づく推認であり、内容の真実性を前提とした推認ではない。したがって、死体遺棄の事実は他の証拠により立証される必要はあるが、このような理解をすれば非伝聞として証拠とできる。
しかし、「要証事実を的確に捉えれば」というが、何を基準に「的確」といえるのかはイマイチわからない。


要証事実が、具体的な訴訟の過程でその証拠が立証するものと見ざるを得ないような事実とすると、訴訟の過程で何を立証する必要があるのかということで要証事実も変わってくることになる。
三好幹夫「伝聞法則の適用」大阪刑事実務研究会編『刑事証拠法の諸問題上巻』(判例タイムズ社,平成13年)67頁は、

 要証事実の把握には,どの点に関する証拠が十分で,どの点についての証拠が不足しているというように,他の証拠の質量や裁判官の心証も関係しているのであるから,最終的には証拠調べが相当進展した時点でなければ,正確にこれを把握できない場合があることも否定できない。

としている。
要するに、要証事実は訴訟の経過で変動するという。


そうなってくると、訴訟の経過が判然としないままでは、そもそも「要証事実を的確に捉える」こと自体無理なんじゃないか?


まぁ、そう思ったら問題は成り立たないので、要証事実は立証趣旨の事項から、それが犯罪の立証に役立つかどうかという点から考えるしかないんだろう(条解刑訴839頁は「当該事件で立証を要する主要事実」との関係を検討して判断するというが、ここでの主要事実は犯罪事実を構成する具体的事実(構成要件)を中心とする事実のことなんだろう)。
で、役立つ場合はそれが要証事実、そうじゃない場合は実質的な要証事実の検討をする、という順序で検討するしかないんだろう。


伝聞の難しさは、伝聞・非伝聞の区別よりも、その前提の要証事実の把握だといえそうだ。それさえわかれば、非伝聞の類型とその理由さえ知ってれば、いくらでもでっち上げることはできるし。え、それじゃダメですか?
まぁ、今年の問題だと、時間ないから非伝聞だ!って結論ありきで書いた人もいっぱいだと思う。