「リアルなゲームは日常生活に影響を与えるのか」を読んで

まいどでございます。


論文刑事系の成績を気にしすぎているからか、刑事系ばかり勉強してしまっています。
民事系と行政法もしないと……


ところで、だっつぁんがおもしろい記事を書いていた。

リアルなゲームは日常生活に影響を与えるのか

だいたい同じ意見なのだけれど、だっつぁんがかなり本質を突いててびっくりした。


「だっつぁん」という妖怪は全然法律とは無縁のお仕事をなさっております。
だけれど、なんというか、バランス感覚というか、なかなかうまいこと持論を展開しているなと、納得させられました。


そもそものテーマは、

 ゲームの暴力表現の影響によって、日常の生活の暴力事件に繋がるのか?

確かに、ドラクエがやりたいから学校を休むってのもゲームの影響なのかもしれない。
とりわけ、ゲームに限らず子どもというのは、色んなことに影響を受ける。感性が豊かというか、そういうのは善悪を問わず子どもにはある。吸収力が違うというか。
しかし、ここで問いたいことはそういう一般的・包括的な影響ではなく、より限定したもので、ゲームをすることが暴力等を行うような影響を及ぼすのかということ。



ただ、にーやん的には、ゲームの影響で犯罪を行うっていうのは、何の因果関係も立証されてない迷信だと思っております。
そもそも、ゲームごときで犯罪まで行うような人間って、ゲーム以外の影響でも同様のことをするような人間だと思う。


要するに、鶏が先か、卵が先か、って議論に似てる。


ゲームの影響によって暴力行為に至ったのか
暴力行為をする人間がゲームもやっていただけなのか


これって答えは出せないんじゃないかな。
でも、数百万人以上がなんらかのゲームをやってて、しかもその中にはかなりリアルで暴力的なものもある。
その中には、罪を犯す人もゲームをしているのかもしれない。
しかし、そのゲームが罪を犯す唯一にして決定的な要因であるなんていうことはまず考えられない。
仮に、ゲームの影響によってしたことだとしても、それはゲーム以外の影響でも行為規範をすぐに破るような人間ではないだろうか?


にもかかわらず、何の因果関係も証明されていないのに、短絡的にゲームや漫画のせいにするのは、致命的な過ちを犯しかねない。
すなわち、第1に、ゲームや漫画のせいにして、それらの表現行為を規制することによる国民に対する不利益。これは直接的な話だからすぐにわかる。
しかし、それ以上に危惧すべきは、以下の点だと思う。
第2は、それらの規制によって、害悪をもたらす原因がなくなったと思い違いして安心してしまうこと。人はそんな単純じゃない。にもかかわらず、原因が消滅したと勘違いしてしまい思考停止してしまう。
第3は、害悪をもたらす原因は何も消滅しておらず、その害悪が放置されてしまうこと。
第2と第3の点は、裏表の関係といえる。


こういうミスリードによる規制って他にもある。
例えば、最近話題の児童ポルノの単純所持罪なんかも似てる。
問題は、その罪を制定することで、これで大丈夫とか思うこと。
もちろん、その所持者の権利(ロリコン趣味の自由?)の問題もあるけれど、それ以上に、児童の権利って、そんなことで本当に守れるのかってことが議論されるべきじゃないだろうか。


例えば、世の中にビデオデッキが普及したことで、性犯罪が減ったといわれることがある。
つまり、AVのおかげで性欲を簡単にかつ満足に処理できるようになり、性犯罪にまで至らないケースが増えたってことだろう。
もっとも、逆にAVに感化されて性犯罪を犯す人も皆無ではないかもしれない。


これって、相対評価の問題だと思う。
AVによって性犯罪者だらけになるとすれば、規制してもやむをえない。
しかし、それ以上に性犯罪を抑止する効果が大きいなら、むしろ推進してもっと性犯罪の抑止効果を上げるべきだろう。


常々、思っていたけれど、傾向犯って、欲望を抑制しようとすればするほど、逆に犯罪に走るんじゃないかなと思う。だって、人間の欲望ってそう簡単に抑制できるもんじゃないから。できるなら、人間はそもそも悩まないと思う。
しかし、こんなことを言う人がいる。

 単純所持の禁止は、需要(児童ポルノの所持)を抑えることにより供給(児童の性的虐待)を少なくすることができ
http://www.law-goto.com/0302/012/

いや、前提がおかしい。
性的な欲望は規制すれば需要が抑えられるなんて簡単にいくわけない。
むしろ、規制すればするほど表に現れない需要が高まる一方だろう。そして、そんな需要を金に換えるのがやーさんである。そのやーさんが児童を金のために使う。氷山の一角しかやーさんを逮捕できない。でも、国民は児童の権利はこれで守られていると誤解する。
これこそ悪のデフレスパイラルじゃないか。


それなら、児童の保護を最優先に考えれば、ある程度規制を緩和して、性欲を満たす範囲を増やすことで、児童の性的虐待につながる需要を減らすという政策も選択肢の1つとして考えられていい。
いずれが効率よく児童の保護を図ることができるのかという問題だ。


政策として、害悪を防止するために権利や自由を制約するなら、制約を最小限にして、かつ、効果的なものでなければならない。


例えば、こんな記事がある。

■犯罪率減少の要因のひとつとしてゲームの影響が考えられる

 アメリカでは過去20年、犯罪率が減少の一途をたどっている。英BBCによれば、その理由の1つはビデオゲームの影響かもしれないという。


 FBIの発表によると、殺人・盗難の発生率はともに1991年から98年にかけて減少。90年の終わりには下項曲線は鈍っていたが、ここ2年は、景気後退で失業率が高いにもかかわらず再び急激に落ちている。BBCは考えられる要因を10項目挙げており、その9つめにビデオゲームを取り上げているのだ。以下がその訳。

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9. 先月発表された研究によると、ビデオゲームによって若者の外出が減り、犯罪にかかわることがなくなっているという。テキサス州の研究者たちは、欧州経済研究センターの協力を得て次のように言っている――この効果は、暴力行為を触発しているかもしれないゲームの直接的影響を相殺してあまりあると。
―――――――


 犯罪率の減少は、いくつもの要因が複雑にからまって起きるもので、一概にどれが決定的とはいえないかもしれない。だが少なくとも、ゲームが犯罪増加の要因とみなされていないことは注目すべきだろう。
http://www.gpara.com/kaigainews/eanda/2011062301/

この記事によると、ゲームは犯罪抑止の効果を有する。
もちろん、この分析自体にも異論はあるだろう。
ただ、こういう見解もあるということも踏まえて考えると、ゲームの暴力表現の影響によって日常の生活の暴力事件が発生するなんて短絡的な結論には至らないはずだ。


なんとなく納得してしまうということほど、恐いことはない。ヒットラー的な意味で。


最近のゲームはリアルで、ひどい暴力シーンもある。
そういうのは子どもに悪い影響を及ぼすといわれることもある。
確かに、そういう面もないではないだろう。


しかし、ものごとには表もあれば裏もある。
悪い影響だけだとは決して思わない。


むしろにーやん的には、人の生き死にほどリアルに再現されるべきだと思ってます。ゲームであろうと漫画であろうと。
泥臭くて、見るに堪えないようなものも、「人」の本質であって、それを見ないように(無視)したまま成長してしまうと、本当の意味で人のもろさや弱さを知ることができず、ひいては相手のことを真の意味で理解することができなくなるかもしれない。
……んん、上手く言えないけれど、そんな風に感じるのございますです。
もちろん、見たくない人に見せろという意味ではない。


だから、いつか自分の子どもができたら、そういうことをむしろ伝えたいなと。
はい、これは完全に蛇足でした。


だっつぁんの記事で説得力があるなと思ったのは、以下の内容。

 このGTAというゲーム、確かに世に言われているような暴力表現は確かに可能です。
 車の盗難は可能、銃の乱射可能、車での暴走、そして、車に轢かれたり、銃に撃たれるともちろん人は死にます。
 だからと言って、このゲームは別に暴力をするゲームではなくて、日常に起こりうるリアルを、よりリアルに表現しているわけです。むしろ、銃で人を撃って死なない方が不自然だと思うし、あえて、その表現を変えている方が不自然と思えるぐらいに、日常をリアルに描いているのです。
 もちろん、人を故意に殺めた場合は、警察に指名手配されるというペナルティーもあります。
 要はリアルに表現する事は悪い事なのか?って事になります。
 ここを指摘すると、ドラクエとかで、死んだ人間が教会にお金を払えば生き返るから、死んでも良いってのが、めちゃめちゃ違和感あるし、人のタンスを勝手に開けて、中の物を奪うほうがよっぽど悪い事だと思います。


これは全くその通りだなと。
リアルであればるほど、ゲーム上での行動も重みのあるものになる。
「死んでもやり直せるし」みたいな、欺瞞の世界ほど違和感を覚えるのは確かだ。
もちろん、その欺瞞の世界を楽しむというのもゲームの醍醐味で、それは「ゲームだから」ということで初めて成り立つ。


いずれにしても、娯楽であるゲームがいかにリアルで残酷な場面があっても、それによって暴力的になる人って、そもそもその人格自体の問題が多分にあって、ゲームはただのきっかけに過ぎないだろう。経験則上そう思う。

A「やべ。俺○○ってゲームしてたら、人殴りたくなったぜー。」
B「……」(おいおい、ゲームじゃなくて、おまえの性格がそもそも問題だろ)


まぁ、こんな感じ。
もちろん、自分の周りでゲームしたから暴力を振るいたくなったとかいう人はいません。ゲームする友人は多いですが。


それから、だっつぁんの記事でこの点もそうだなと思った。

 まー、実際このGTAをやってて、色々できるけど、日常生活に影響するか?って言われたら全く無いですな。
 ただし、これをまだ物事の良し悪しがわらかない子供がやるには、ちと影響度が高い事は確かです。
 結局は、ゲーム自体が悪いのでは無くて、それをやる人と、取り巻く環境に依存すると思います。
 だから、こういったリアルなゲーム自体は何も悪く無いし、規制が入る事はありえないと思います。

「悪影響」という単語のみでしばしば語られることがあるが、例えば、「悪影響」をゲームなどのせいにして、具体的にどのような悪い影響を除外できるのか?


まぁそんなことは置いておいても、ここで語られているように、「結局は、ゲーム自体が悪いのでは無くて、それをやる人と、取り巻く環境に依存する」というのは全くその通りだと思う。
ゲームはただの娯楽に過ぎない。ただのツールだ。
問題はそれをどう使うのかだろう。


例えば、自分の親が、

親「そんなゲームばっかりやってると、犯罪者になるよ!止めなさい!」

なんてことを言われた子どもはどう思うのだろう?

子ども「は?俺がこんなことを現実の社会でやると思ってるの?我が子のことをそんな人間だと思っているのか?」


普通はこう思うんじゃないか?
少なくとも、悲しい気持ちになるんじゃないか?


これはただの生活の一場面だけれど、こういった親や友達といった人間との関わりの方が善いか悪いかを別として、人格形成に対する影響が大きいじゃないだろうか。


だから、いつか自分の子どもができたら、友達だけは選べと言いたい。良い友達を選べと。それから、「良い友達」の意味をはき違えるなと。そして、友達は一生ものだから絶対に大切にしろと。それから、「大切」の意味をはき違えるなと。
はい。蛇足2回目でした。


なんか、脱線したりしなかったりで、また思いの丈を長々と書いてしまった。
サーセン、法律のお勉強します。