思考停止した人間が1番悪いが、言葉狩りして間接的に差別用語を作ってるテレビ局はおかしいだろ。の巻

ずっと忘れてた!!!!


忙しいけど、これはもの申さないとあかんとずっと思ってたことがある。


それはテレビ局が自主規制してる放送禁止用語

今さっき、伊調選手の決勝戦で、NHKのアナウンサーが

先ほど放送上不適切な表現がありました

と謝罪していた。


その直後のツイッターの反応を見ると、ほとんどの人が
「不適切な表現ってなんだ?」
というものがほとんど。


その不適切な表現は、

伊調選手は足首を怪我してびっこを引いていた場面もありましたが

というものだった。


この解説を実際に聴いていたほとんどの人が、
「へえ、びっこって不適切な表現なんだ」
とか言ってる。


実際、若い人のほとんどがこんな感じやと思う。
その認識自体は仕方がない。
日常において「跛(びっこ)」なんて言葉は、少なくとも若い人はもう使わない。


で、何が問題かというと、この事実が分ったとたん
「びっこは不適切な表現で使ったらダメだ」
ということを思ってる奴が多いってこと。


まじでアホ。
確かに、差別的な用語でしか使わないような言葉はあるかもしれないが、それでも、そういう言葉として十分な認識を持つからこそ自然と自制するというもの。
なのに、言葉の意味も知らないまま何も考えずに「へえ、差別用語なのそれ」とか思って、言葉自体を否定する行為は思考停止そのもの。


そもそも、「びっこ」とは、

(1)一方の足に障害があって,左右がそろわない歩き方になること。また,その人。
(2)対であるべきものの一方が欠けたり,両方の形や大きさが違ったりしてそろわないこと。また,そのもの。
以上、大辞林

という意味であって、それ自体に差別的意味が含まれているわけではない。事実を表した言葉であって、障害ゆえに無様といった意味はこの言葉自体にはないのである。
「びっこ」がダメなら、「不細工」や「デブ」などといった言葉の方が否定的ニュアンスが強いので、「不適切な表現」といえそうだ。


しかし、話の流れやニュアンスなどで、否定的な意味を込めた言葉として使っているかどうかで、そこで使われた言葉の意味は違ってくる。
少なくとも、このアナウンサーの解説において差別的な意図など皆無なのは聴いていた人すべてが理解できたはずだ。
謝罪するならそういった差別的意図をもってなされた表現行為があった場合などになされるべきであろう。


そう考えると、本当にバランスが悪い。


さらに問題なのが、「びっこ」という言葉を知らない奴が、わざわざ「不適切な表現」とテレビで言うことによって、「あ、これは不適切なのか」と思うこと。
もちろん、思う奴がアホなのはそのとおりやけど、わざわざ差別的意識を有しないものとして認識していた「びっこ」という言葉に、そういったアホな奴は否定的な意味を加えてしまうことになる。しかも無自覚に。


これは結論から言うと矛盾してる行為だ。


差別用語とかをなくそうということを目的に自主規制しているとしているならば、その用語自体ではなく、その用語に差別的意味を含めないようにしたほうが根本解決になる。
言葉をなくしたところでそれに代わるモノなんていくらでもあるわけで、それは手段であって目的であってはならない。
言論の自由にも抵触することを考えればなおさらだ。


そうだとすると、差別的意味を持たなかった人にとっては、わざわざ「不適切な表現」と謝罪する行為によって、差別的意味を込めてしまうことになる。
結果、差別的意味を込めた言葉を存続させることを間接的に手助けすることになる。


だから、矛盾。


もちろん、思考停止したアホなやつが無自覚に差別的意味を加えることが1番問題だから、ここを改善しないとあかんけど、少なくともいい加減に言葉狩りはヤメロやと言わざるを得ない。
しかも、その謝罪が種々の団体からクレームがくるからやむを得ずしてるだけなら、まじで迷惑。
謝罪するのは、人の名誉を不当に傷つけるような場合に限定すべき。言論の自由がまず優先されるべきだ。


これは10年以上も前からずっと違和感を感じてたことなので、熱くなってしまった。


また日記書きます。