平和大好き〜(  ̄▽)爻(▽ ̄ ) !の巻(後編)

と、ゆーことで、今日も憲法9条について。第3弾。完結編。
昨日、韓国の盧武鉉ノムヒョン)大統領が日本の憲法改正について批判してたってニュースがありました。なかなか、ホットな話題みたい。ちなみに、自国のことは自国が決定するのが原則なんで、他国が口出すことは内政干渉といい、絶対やってはいけません。ヒットラーみたいな奴が現れたときだけです。許されるのは。
 
では話を戻しまして、
 
日本が平和になるにはどうしたらいいのか!?
 
これが一番重要である。これ抜きに憲法9条改正は語れないのである。
みなさんは、どうしたらいいと思いますか? 
 
結論からいいますと、その一番いい方法は「地域的集団安全保障」の確立だと私は思うのでございます。
集団安全保障というのは、世界レベルでいえば国際連合である。国連。
各国が参加してお互い戦争はしないでおこうネって約束して、これに違反して武力を行使する国に対して参加各国が一致して制裁を行うことによって安全を確保する体制であります。
ここでいう地域的集団安全保障とはこのアジア版である。
 
つまり、日本、韓国、中国、ロシア、北朝鮮。これらが結託して、地域的な集団安全保障機関を作って、「武力行使したら他国から抹殺されるのでそんなことやんない」っていう空気を作るのです。
 
「国連でやればいいじゃん」
 
そう思う人もいるでしょう。しかし、国連は安全保障理事会という機関が機能していないのでございます。だから、NATOのアジア版を作ったらどうか?と思ったのであります。これができたら、今の北朝鮮のように核やその他の武力行使をチラつかせた外交手段を封じることが可能なのです。
 
東アジアの地域的安全保障。東アジアの平和は、これで確保なのであります。ノーベル平和賞物であります。
ヤッタァー!\(`∇\)(/`∇)/ヤッタァー!
 
と、思うにはまだまだ早すぎました。
 
    「こんなものはできっこない」
 
そうなのである。
第2次大戦後、日本はアメリカ式の思想が基盤にあります。自由主義です。
これに対し、ロシア・中国・北朝鮮は思想の基盤は平等主義です。
昨日書いたように、各国の思想が違いすぎるのであります。
もっとも、両主義ともに歩み寄ってきてはいます。しかし、中国や北朝鮮に至っては未だに、一党独裁政権であるのです。
本当に怖い状態だと思います“o(>ω< )o”!!
 
こんな事件がありました。
 
一党独裁政権に反対する者が、民主主義の実現を求めデモ運動を行いました。政府はこのデモ運動に参加した人たちを軍事力を使って殺したのです。

―――天安門事件
 
人権感覚がまるで違うのです。中国と日本では。人命の価値観が違うこのようなアジア諸国では、共同して安全保障機関を作るのは本当に難しいのです。
平和を脅かす国があれば、犠牲が出ても潰せばいいと考えるか、自国が一歩引いて戦争状態を回避するのか、選択肢とその優先度が各国異なるのです。
 
あぁ、、わたくしの東アジア平和構想は実現できなさそうです。ノーベル平和賞はお預けです(ノ◇≦。) 。
 
地域的安全保障が無理である以上、もう国際連合アメリカ様しか頼るとこはないみたいですねぇ。
そこで、現在の日本。自国を守るには、アメリカと軍事同盟を組んで、他国の脅威から身を守らなければ、安全管理ができません。
ちなみに、日本はアメリカの「核」という傘によって、他国からの軍事的脅威から守られていると言われています。唯一の被爆国なだけに皮肉な言われ方ですねぇ。このように日本はアメリカに依存していますから、「日本はアメリカの州になればいいんだ!この中途半端!」なんて言われることもあります。
 
日本は独立国家ですよ。主権国家です。自国のことは自国の国民が決定します。それが国民主権です。そして、すべての国民は平等に自国の運命を決める決定権があります。多数派によって少数派が殺されることはないのです。
 
これはすべて日本国憲法に書かれた内容です。本当に日本でよかったぁ。
そんな日本国憲法はすばらしすぎて、かなり未来志向です。
 
その未来志向の内容と現実との齟齬がもっとも大きいのが、憲法9条なのです。
 
わたくしは、憲法9条を改正しないでも、今までの騙しだましやってきた方法でもいいかなぁ、と思っていました。
 
しかし、もう騙しだましやっていくには限界です。
なぜなら、現在の憲法9条では平和確保が困難だからです。すなわち、集団的安全保障を実現することが困難なのです。
 
たとえば、現在のイラクへの自衛隊派遣。これをみればわかりますが、後方支援が現在の憲法9条では限界なのです。
自国が攻められたならまだしも、集団安全保障に違反したことを理由に違反国に対し軍事的制裁を行うなんてことは絶対にできません。憲法9条は、戦争ダメ。それ以外の武力行使も一切禁止。武力を持つこと自体も一切禁止です。
 
歴史的にみれば、国連において湾岸戦争の際に憲法9条の制約のため、お金だけを拠出した日本。ものすごく各国から批判されました。他国にできないほどの経済援助をしたのに・・・・・・。
そのとき思いました。
「いいじゃないか。各国が役割分担すれば。他国にできないことをその他の国がやれば。できないことを補い合えばいい。軍隊を出せない国もある。その代わり、他国にはできないほどの経済支援はする。等価交換でしょ。これ」
しかし、そんな考えは集団安全保障には通用しなかった。人命を左右するものである以上、合理的な考えを超えた、感情的なものがそこにはあるんだなぁ。人を派遣している国からすれば、「金よりも人命を賭けた安全保障なんだ!」って意識を重要としているのかもしれない。
この反省を踏まえて日本は、PKO、PKFなど自衛隊は積極的に国際貢献することになるようになったような気がする。
 
しかし、それも限界。今の自衛隊には、国際貢献の場で軍事力の行使はできない。

「それでもいいじゃない。そもそも、軍事力の行使自体が国際貢献なんておかしいよ」
 
これである。日本人の甘酸っぱい平和意識。素敵なのである。ラヴである。
 
しかし、はじめに言ったように集団安全保障は、
 
各国が参加してお互い戦争はしないでおこうネって約束して、これに違反して武力を行使する国に対して参加各国が「一致して制裁」を行うことによって安全を確保する体制であります。
 
はじめは、経済制裁。しかし、最後に軍事制裁ができなければ、ザルなのである。
むしろ、最終手段の軍事制裁があるから、「軍事力行使はやめとこ」になるのである。この考えが、大前提ではじめて成り立つ安全確保なのである。軍事力行使できない国なんか、何もできないのと同じなのである。

軍事力行使が他国平和のために行使できることが、集団安全保障において必須条件なのです。しかし、今の憲法9条では無理です。解釈の限度を超えています。
 
今の憲法9条によって平和が実現されていると錯覚している人が多いのですが、今の平和は憲法9条に違反しないとむしろ確保できないのですよ。
 

理想と現実のギャップなのです。