ニート生産工場にお勤めのお母様?の巻

まぐろ、まぐろ、まぐろ〜♪
まぐろ〜を〜食べ〜ると〜♪♪
よし。


昼TVで、教育問題についてやってた。(・o+) アチャー
毎回思ってしまう。矛盾である。矛盾である。2回言ってみた。我慢できない。書いちゃお。
 
ゆとり教育?ゆとりのある教育ですか?はぁ、そうですか。
 
みなさんは、どう思っているのだろう?ゆとり教育
 
詰め込み教育の反省ですか?ふむふむ。なるへそ。もっと、情操教育が必要だと。
でも、学校教育にそんなことできるんですかねぇ。情操教育のプロなんて、あたくしの学校にはおられませんでしたなぁ。いや。それ以前に、客観的にどんな基準で、情操教育を位置づけるんだ?その基準がないと、評価のしようがないし。
 
え!?愚痴っぽい??


だって、そもそも、学校にできることなんて限られているのである。
本来、教育って、個人として自立した人間となって社会に適応できるようにするためのもの。人は自由競争社会という現実の中で、少なくとも自立して生活できる能力を身に付けなければならない。


にもかかわらず、
 
「差をつけるのはおかしい!運動会のかけっこもみんなでゴ〜ルさ〜!!みんな平等!」
ヽ(▽^〃ヽ)ヽ(〃^▽^〃)ノ(ノ〃^▽)ノ ワーイワーイワーイ♪
 
なんて、言ってるPTAのお母様方。ニート生産工場にお勤めごくろうさまである。
1番かわいそうなことは、そんな親に育てられた子どもである。
おちこぼれをなくすために、無理やり格上げして、「これが平等!」なんて言っちゃうおかあさま。もう見てらんない。そのままその子が社会にでた時のことを考えているのか!?


こうなったら、俺様が相対的平等と絶対的平等の違いをレクチャーしてやる!!
(自由競争原理と憲法14条の乱舞参照)


あたくしをこんな感じに奮い立たせてくれるお母様達である。うおっ。すっげー愚痴ってますよ。あたくし。何があったの?てくらい。
 
とにかく、矛盾である。競争社会に適応できるようにするはずの教育が、このざまである。あまえすぎである。うらやましいのである。ク―!!(/_<。)
 
しかも、詰め込み教育すらできない学校って、何の価値があるんでしょうか?学校教育において、具体的に何ができるっていうだ!?お友達とのたまり場に過ぎないなら、ゲーセンくらい置けー!きぃぃー!!
なんて、愚痴も最高潮。ちょっと、興奮して言いすぎじゃない?いい先生には結構めぐり合った方だと思いますが、どうしたんですか?オレ!!
 
と、まぁこんな不毛なことを日曜日から勝手に考えさせられるテーマであった。ありゃやだ。