2009年になったらしい。

晦日にニュースをみて、


「へぇ、2009年は丑年かぁ」


とか言っちゃって、もはや外界とは全く別の世界にいっちゃってるにーやんだよ。
いや、まじで2008年が何年かなんてことは一瞬も考えなかったんで。


まぁどうでもいいけど、新年早々勉強しとります。
まったく新年という感じのないいつも通りの1日。そんな元旦。
逆に新年なのに何これ?って悲しくなってきた。


が、まぁいい。いつか世界征服してやる!



そんなことを思いながら、昼前にやっとTKCの模試(商法総則・手形法の復習を残してるけど)全部復習してて、やっと終わった。
もう1回やったら、満点とれるだろ。同じ問題を本番でも出してくれオォマイガッ!

夕飯前までに、刑法各論(前田250選)30件ほどつぶした。
飯喰ってから、また復習じゃ。


今思ったけど、判例をつぶすとき、ちゃんと試験本番の感覚になってないな。
【今まで】
論点を把握して、論点に関する行為に着目して事実の概要を読んでる。
しかし、試験の場合、あらかじめ論点がわかっている状態ではない。逆だ。
【試験】
問題文を読んで犯罪に該当する行為を抽出
 ↓
問題となる論点を把握

つまり、論点は行為抽出後。ということは
【改善点】
1 事実を読んで、いかなる犯罪類型に該当するか行為抽出して(法益侵害結果に着目すれば当該行為が何罪に該当するか把握できる)、
2 Tb、Rw、Sの検討の際に論点発見

って、そんなことは高橋論文処理手順に書いてるではないか!!
まだまだ意識が足りねーな。


しかし、判例勉強はやっぱおもろい。
生の人間ドラマ。特に刑法では、非日常の連続。
中にはおもろい、というかさすが創○学会というべき事件もある。


名誉毀損の重要判例でもある月刊ペン事件
○価学会の会長、池田○作会長に対する名誉を毀損した出版物を発行したとして出版社の編集局長が罪に問われた事件である。
この出版物には、

   『四重五重の大罪犯す創価学会

との見出しのもとに、『池田大作の金脈もさることながら、とくに女性関係において、彼がきわめて華やかで、しかも、その雑多な関係が病的であり色情狂的でさえあるという情報が、有力消息筋から執拗に流れてくるのは、一体全体、どういうことか、ということである。……』などとする記事を執筆掲載、また、


   『極悪の大罪犯す創価学会の実相』

との見出しのもとに、『彼にはれつきとした芸者のめかけT子が赤坂にいる。……そもそも池田好みの女性のタイプというのは、1 やせがたで 2 プロポーシヨンがよく 3 インテリ風ーのタイプだとされている。なるほど、そういわれてみるとお手付き情婦として、二人とも公明党議員として国会に送りこんだというT子とM子も、こういうタイプの女性である。もっとも、現在は二人とも落選中で、再選の見込みは公明党内部の意見でもなさそうである。……』


なんともまぁすごい記事ですな。普通の人なら絶対に名誉毀損で民事の賠償請求が可能な事案といえそうだ。
だがしかし、本件は名誉毀損罪という罪は刑事事件で、有罪か無罪かが問題とされる。
はたして最高裁は有罪にしたのか?答えはノーである。つまり有罪にはしなかった。
もっとも、無罪にしたわけではなく、第一審の裁判所にもう一回やり直せ。と、差戻したわけである。

それは230条の2という条文があるためである。この規定により、名誉毀損が許される場合がある。つまり、「公共の利害に関する事実」に関するものについては、名誉毀損が許される場合があるのだ。
「公共の利害に関する事実」とは、一般多数人の利害に関する事実を指す。
例えば、まじめと思われていた政治家が実は○○にハマっていました。変態です。みたいな記事は、公衆の批判にさらして公共の利益増進に役立つ事実として「公共の利害に関する事実」にあたり、名誉毀損にならない場合があるのだ(常にそういうわけではない)。
まぁ有権者としてはどのような人格の政治家なのか、まじめな人なのか、とかいろいろ判断する情報が必要なわけで、しかも政治家という公職なので、国民にとっても他人事ではないのである。
ということで、たんなる私人のだっつぁんに変態だとかはみんなの前で言ってはいけないらしい。残念だ。
話を戻すと、何故池○会長に対するあの記事が名誉毀損にならないかというと最高裁は次のように述べている。

 被告人が執筆・掲載した前記の記事は、多数の信徒を擁するわが国有数の宗教団体である創価学会の教義ないしあり方を批判しその誤りを指摘するにあたり、その例証として、同会の池田大作会長(当時)の女性関係が乱脈をきわめており、同会長と関係のあつた女性二名が同会長によつて国会に送り込まれていることなどの事実を摘示したものであることが、右記事を含む被告人の「月刊ペン」誌上の論説全体の記載に照らして明白であるところ、記録によれば、同会長は、同会において、その教義を身をもって実践すべき信仰上のほぼ絶対的な指導者であって、公私を問わずその言動が信徒の精神生活等に重大な影響を与える立場にあつたばかりでなく、右宗教上の地位を背景とした直接・間接の政治的活動等を通じ、社会一般に対しても少なからぬ影響を及ぼしていたこと、同会長の醜聞の相手方とされる女性二名も、同会婦人部の幹部で元国会議員という有力な会員であったことなどの事実が明らかである。
 本件の事実関係を前提として検討すると、被告人によって摘示された池田会長らの前記のような行状は、刑法230条ノ2第1項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたると解するのが相当であって、これを一宗教団体内部における単なる私的な出来事であるということはできない。
 なお、右にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたるか否かは、摘示された事実自体の内容・性質に照らして客観的に判断されるべきものであり、これを摘示する際の表現方法や事実調査の程度などは、同条にいわゆる公益目的の有無の認定等に関して考慮されるべきことがらであって、摘示された事実が「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたるか否かの判断を左右するものではないと解するのが相当である。 

要するに、池田大作会長に関する醜聞は、さっきの政治家の話と同じで「公共の利害に関する事実」に該当するってこと。
その理由として、池田大作会長は、創価学会において絶対的な指導者で、公私を問わずその言動が信徒に重大な影響を与える立場にあったことが挙げられているが、それ以上に注目すべき点は、
「宗教上の地位を背景とした直接・間接の政治的活動等を通じ、社会一般に対しても少なからぬ影響を及ぼしていたこと」
および
「会長の醜聞の相手方とされる女性二名も、同会婦人部の幹部で元国会議員という有力な会員であった」
という点である。
創価学会公明党の支持母体であることは公知の事実であるわけだが、創価学会の宗教上の地位を背景に政治的活動を行っているということを最高裁が認めたというのは、政教分離という憲法論との関係でも問題となりそう。
しかも、創価学会の婦人部の幹部であった元公明党の国会議員の女性に関する記事という点でも多数の創価学会員のみならず有権者一般の関心事といえる内容であり、公衆の批判にさらすことを要するものといえる。


もっとも、第一審は昭和53年からはじまり、結局、被告人は死亡して訴訟は終了というなんともやりきれないまま終焉を迎えた事件で、被告人はひょっとすると有罪になったのかもしれない。


色々、思うところはあるけど、夕飯くってくるからまた今度。