究極のプレイに悔い無し!の巻

今日も刑法各論のお勉強した。
いやぁ。今日も血なまぐさい生の人間ドラマをお勉強したよ。うん。超おもしれ〜。


刑法で超メジャーな犯罪って、やっぱ殺人罪ですな。
人を殺したらダメよ。って罪。
しかし、人を殺す方法によって刑が軽くなる場合があるってあまり知らないでしょ普通の人は。


例えば、
「俺を殺してよ〜、ねぇ〜」
って頼んできた人を包丁でプスって心臓貫きますた。
ってケースでは、普通の殺人罪より軽いのだ。
これは「嘱託殺人」って言って、死にたい人に頼まれて殺した場合は、普通の殺人罪より刑が軽いよってことになっとります。


で、こんな裁判例がある。

風俗店に勤務していた被告人が、被虐趣味を有する被害者(当時29歳男性)に気に入られ、その指名により度々被害者宅に決遺され同人の求めに応じて下腹部を拳で殴打する「殴打プレイ」を行っていたところ、これに飽き足らない被害者から、現金800万円と引き換えに下腹部をナイフで突き刺してくれるよう執拗に依頼をされ、結局、これを引き受け、被害者の下腹部をサバイバルナイフで一回突き刺し殺害した。

究極の変態プレイ過ぎる。さすがのにーやんもそこまで行けないよ。うん、行ったら死んじゃうよ。
しかも関西の事件みたい。


いやいや。イタイのはいや〜。
いじめるのはお好きですが何か。S的な意味で。
やさしくいじめるからいいじゃないか、だめですか、そうですね。

そもそも、なんで下腹部を殴られたい?なんだよ「殴打プレイ」って、そんなの全然プレイじゃねーよっ!!!!こんちくしょー!
しかもそれでは「飽き足らない」ってどういうこと?逆にすげえよ。足らなくねえから普通。むしろいっぱいいっぱいだよ。


とまぁ、色々突っ込みたくなるが、こんな事件で人が死ぬとは、世の中何か間違ってるよ。なんて感じざるを得ない今日この頃です。


事件を読んでみると、被害者(?)が何故「下腹部をナイフで突き刺してくれよ〜」って頼んだのか、その理由が判明。どうやら、オウム真理教の事件を見て思い立ったらしい。
判決文によると、被害者は被告人に対して、次のようにお願いしていたようだ。

オウム真理教の幹部(村井)が暴漢に刺殺された事件の写真が掲載された新開を出してきて、
「僕もこういう風にして、殺して欲しいんですよ。格好良いと思いませんか。」
と言い、台所から包丁を持ち出し、自分の腹を刺す真似をしながら、
「こういう風にバサーッと刺してもらえませんかねぇ。」

おいおい「バサーッ」って。「バサーッ」はやばいって!


で、これを断られると、後日、被害者はその下腹部にできた約5cmの3カ所の切り傷を被告人に見せ、

「自分でやりました。ここに乙野さんに包丁でグサーッと刺されていることを考えとったら、もう我慢できないんですよ。乙野さん、お願いですからグサーッとやってもらえませんか。」

と言って、お願いしたらしい。
まずいよそれ。「グサーッ」だけは非常にまずいって。死ねるもんそれ。それ必ず死ぬって書いて「必死」だから。必死になること必至だから!


判決文にはその後のやりとりが事細かに記されている。
が、そのやりとりは全くもって「生死の遣り取り」とは思えない感じだった。
相変わらず被害者は「ダーッ」とか「バッサリ」とか擬音語しか言えねえのかと。

判決文にはこう続いている。

財布の中の現金とコインロッカーの鍵を示し、
「コインロッカーの中に残りの830〜840万の金が入っています。それは僕が死んでから取りに行って下さい。」
などと現金の支払方法の説明をするとともに、通信販売で買い求めて準備していたサバイバルナイフで自分の下腹部を切る真似をしながら、
「ダーッと切って、中に入ってるもん全部出して欲しいんです。」
などと殺害を依崩した。

被害者と被告人は、殺害はガムテープで被害者の両手を縛り、ロにタオル等を含んで声が外部に漏れないようにした上で行うことなどを取り決めたが、その際、被害者は、
「格好良いですねえ。明日僕乙野さんに殺されるんですねぇ。無茶苦茶興奮してきたわ。早く明日にならへんかなぁ。」
などと嬉しそうに言うので、被告人は、話を合わせるため、
「これで明日バッサリやったるから。明日まで待っときや。俺のこと恨まんといてや。化けて出てもしゃあないで。どうせ化けて出るんやったら、夢枕に立って宝くじでも当ててや。」
などと茶化すと、被害者は、被告人に対し、
「宝くじは無理ですよ。競馬くらいやったら、いけるんちゃいますか。」
などと話した。

おいおい、死後の世界を楽しい感じでしゃべってるよ。やばいことしようとしてんだよあんたら。早く気付いた方がいいよ、まじで。

で、結局、依頼された通り殺っちゃいましたとさ。めでたしめでたし。って全然めでたくねー。
ダメでしょもう。
お金に目がくらんじゃいましたか、わかります。


しかし、これで終わりではなかった。

被告人は、犯行当日の夜、被害者に教えられたコインロッカーに現金を取りに行ったが、中は空であり、結局、大金を手にすることはできなかった。

被害者は望み通りに逝っちゃったが、お金も手に入らず、しかも懲役4年の実刑をくらった被告人は無念過ぎる結果に…

この事件では、刑が重い「殺人罪」に当たるか、刑が軽い「嘱託殺人罪」か当たるかが争点となった。
キムタク(検察官)が「お金目当てで殺したわけで、これただの人殺しでしょ。被害者は本当に死にたかったわけじゃないし」って主張して、これに対して弁護人が「いやいや、頼まれて仕方なく殺っちゃっただけ。被害者は死を覚悟してすごいプレイしました」って主張したわけですな。
すなわち、ここでは被害者が真意に基づいて「殺して〜」ってお願いしてたと言えるかどうかが結論の分かれ目ということですな。


しかし、裁判官も困るだろ。こんな事件をどうやってジャッジするんだ。そもそもこんなSMプレイとかわからんだろ?究極すぎるだろこのプレイ。
そう俺は思った。
しかし、第二審の本判決では次のように判断して、殺人罪より軽い嘱託殺人罪した。

 被害者は、下腹部を殴打してもらうというSMプレイが高じで、いわば究極のSMプレイとして被告人に対し本件刺突行為を依頼したものと認めるのが相当である。それだからこそ被害者は、下腹部をナイフで刺すという方法に執着したのであって、奇妙な方法に執着したからその依頼は真意に基づくものではないとするのは当を得たものではない。
 次に、被害者自身が死亡することの意義を熟慮し、死の結果そのものを受容し、意欲していたものではないとする点についは、そのような認定を否定することはできないが、もしそうだとすると、右のとおり被害者は、究極のSMプレイとして下腹部をナイフで刺すことを被告人に依頼しながら、その結果惹起されるであろう死の結果はこれを望んでいないという心理状態にあったわけである。
 しかし、死の結果を望んでいるか否かは必ずしも嘱託の真意性を決定付けるものではないというべきである。勿論、自己が依頼した行為の結果が死に結びつくことを全く意識していない場合は「殺害」を嘱託したことにはならないだろうが、死の結果に結びつくことを認識している場合には、たとえ死の結果を望んでいなくても、真意に基づく殺害の嘱託と解する妨げとはならないとすべきである。そして、本件の被害者は、ナイフで下腹部を突き刺す行為が死に結びつくことは十分認識していたと認めるのが相当である。原判決(1審)が「被害者がナイフで下腹部を刺されれば死亡する蓋然性があることをまったく認識していなかったとはいえない」としているのは、その表現が消極的であるが、同旨の説示をしているものと認められる。
 以上、要するに、被害者は、死の結果に結びつくことを十分認識しながら、いわば究極のSMプレイとして、下腹部をナイフで刺すことを被告人に依頼したものであり、真意に基づいて殺害を嘱託したものと理解する余地が十分にあるといわなければならない。

「究極のSMプレイ」
裁判所では初のセリフですな。俺、裁判官のことなめてました。そこまで気合い入れてSMについて語るとは脱帽しますた。



俺は垣間見た。被害者はこう思っているだろう

「我が一生に一片の悔い無し!」(ラオウ