科捜研薬物研究員のEさんの憂鬱

一方通行を逆そうして、数台の車とぶつかり、その上、人身事故まで引き起こした、って事件が大阪であったらしい。
最近できた危険運転傷害罪の疑いで逮捕されたという。


どうやら、運転手は大麻をやっていたらしく、そのため危険運転傷害罪となったようだ。「致傷罪」となっていない(といっても「傷害」とニュースで言われていただけで、実際のところは「危険運転致傷罪」が正確だと思われる)。
それにしても、ほんまに薬物関係の事件が多いな大阪は。刑訴百選でも大阪での薬物事犯がよく出てきてたし。


危険運転傷害罪は、2001年に刑法に追加された罪(以降、改正され自動二輪も処罰対象となっている)。いくつか類型があるが、今回の場合、208条の2第1項の

「薬物の影響により正常な運転が困難な状態で四輪以上の自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処」する

に該当する。
薬物による事件が多くなっている昨今、刑事学上に顕著な類型が新しく犯罪として制定されたんだろう。


薬物事犯の犯罪者が刑法上の罪(例えば、傷害、強姦等)を行うケースは、LEX/DBで調べてみると、数百件あった(ただ、この数は、LEX/DBに登載されたものだけで、すべての薬物事犯が含まれているわけではなく、認知事件すべてが起訴されているわけでもない。さらには、認知すらされていない暗数がここに含まれていないことを差し引いて考えなければならない)。

今回、大麻使用者による事故だったわけだが、大麻覚せい剤よりも薬理作用は低い。
が、思考が分裂し、感情が不安定となり、常習すると精神錯乱状態となる。
ちなみに、特別法においても

覚せい剤取締法」では、第41条の3で、「10年以下の懲役に処する」
大麻取締法」では、第24条の3で、「5年以下の懲役に処する」

とされていることからわかるように、覚せい剤の方が有害性は色んな意味で大きい。


ただ、こういった薬物事犯の実態を無視して、「薬物の自己使用」自体は、被害者がいないことから、ここだけを取り出して、薬物使用の自由権を主張する人がいる。
実際に、大麻取締法憲法違反と主張した事件がある。憲法13条に基づく幸福追求権として、大麻を摂取する自由が憲法上保障されているというすごい主張だ。
ただ、仮に憲法上の権利であっても、それは無制約な権利ではなく、内在的制約はあるという憲法上の常識からすると、およそ認められそうにない主張である。
なんと、最高裁まで行った(昭和60年9月10日判決)。
が、

大麻が所論のいうように有害性がないとか有害性が極めて低いものであるとは認められないとした原判断は相当であるから、…いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

これだけ。
最高裁のコメントはたったこれだけだった。
ちなみに、同月27日の最高裁も同様の主張に対して、同じことを言う。
京都大学の吉岡一男教授によると

 (すでに本判決以前の)裁判上でも、大麻取締法違憲論として争われたが、比較的早い時期の判例(東京地判昭和44・11・29)は「大麻は、用法如何によってはその使用者の心身に異常な症状をもたらし精神的依存を生じることのある危険な薬物であるばかりでなく、これを乱用すると、他の薬物の常用者に移行したり、多くの犯罪の原因となることもあって、社会的にも有害な薬物である」として、その実質的な社会的有害性をも肯定して、処罰規定の合理性を論じていた。
 やがて、「大麻取締法制定当時の大麻の有害性に関する科学的認識と現下のそれとの聞には研究の進展に伴い相当の煽りがあること」を認め、「大麻の個人的使用のための少量の所持や使用は不処罰にするか、あるいは罰金、科料をもってのぞむことも一つの方策」としつつも、大麻の有害性を、多量使用の場合や個人差によって起こりうる精神異常状態の発生可能性に求め、他方刑罰の方は、懲役五年以下を酌量減軽すれば15日まで下げうるし執行猶予も可能であるとして、特段に重いとは言えないとするもの(東京地判昭和四49・8・23)、同様に違憲論は退けるものの「大麻に従来考えられて来た程の有害性がないと認識されるに至っていること」を量刑上考慮するもの(東京高判昭和53・9・11)も出た。
 その後、大量投与や動物実験などから、有害性論の巻き返しもみられ、判例にも、無害であると断定できるまでは、あるいは害悪の可能性が残る限りは刑罰による規制も許されるとするもの(大阪高判昭和56・12・2)や、大麻本来の薬理作用を社会的有害性と直結させたり(福岡高判昭和53・5・16)、アルコールよりも有害を明言するもの(福岡高判昭和53・6・2)もある。
吉岡一男・法学教室64号110頁

その上で、本判決によって実務上は、大麻摂取の合憲性等の決着が付いたという。
これは、昭和60年代の話であって、当時よりも薬物事犯の拡大が問題視されている現状では、なおさらこんな違憲主張は認められそうにない。


大阪の危険運転傷害罪の事件を見ても明らかだが、「大麻を摂取したために」、その薬理作用から正常な運転ができなくなったために、多くの、しかもなんら害を被るいわれのない人間が被害を被っているという実情が、薬物事犯にある。
権利を主張するのは勝手だが、その権利を尊重したために、こういった被害者を増やしては、尊重すべき権利が逆転してしまう。
仮に権利と認めたとしても、その権利は無制約なものではない。平穏に生きる自由を保障するためにも、薬物摂取の自由は制約されると考えた立法規制には十分に合理性があるだろう。それが、たとえ薬物使用と加害行為との因果関係が不明確であっても、現に生じている薬物関係の事件(例えば、大阪の事件)の多さから考えても、未然に薬物使用の防止をすべき必要性は十分に認められるのだろう。
なんか、憲法の論文みたいなことを考えてしまった。



とか、色々薬物犯罪を調べてたら、えげつない事件を発見。



罪を免れたい一心でなんでも主張するのかおまえは…。そんなことを思わしてくれる覚醒剤使用事件での、使用者とされた女性の主張(ちなみに、女性だからといって、最近盛り上がっているのりPとはなんの関係もない)。

【文献番号】 28065152
【文献種別】 判決/東京高等裁判所控訴審
【裁判年月日】 平成11年12月24日
【事件番号】 平成11年(う)第1685号
【事件名】 覚せい剤取締法違反被告事件

 被告人は,原判示の期間に覚せい剤を摂取したことはなく,その認識もないのに,覚せい剤摂取の事実を認めた原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのである。
 そこで,検討するに,関係証拠によれば,平成11年2月12日午前1時ころに被告人が提出した尿から覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンが検出されたこと,前日の被告人宅への捜索において,注射器4本,注射針2本,手製のはかり,小分け道具などの覚せい剤関連器具が発見されたことが認められ,これらの事情に,覚せい剤が厳しく取り締まられている禁制薬物であって,通常の社会生活の過程で体内に摂取されることはあり得ないものであることをも考慮すると,被告人は特段の事情のない限り,原判示の期間内に自己の意思で覚せい剤を摂取したものと推認することができる。
 これに対し,被告人は,捜査段階から一貫して,自己の意思で覚せい剤を摂取したことはないと供述し,尿から覚せい剤反応が出た原因として思い当たるのは平成11年2月9日又は11日の午前零時を過ぎたころ,内縁の夫Aの友人で覚せい剤常用者であるBが被告人宅を訪ねてきて,性関係を迫ってきたため,Bの陰茎を口に含んでその精液を飲んだことぐらいであると供述し,また,自宅から注射器等が発見された理由についても,2月11日の午前3時か4時ころ,Bが帰った後に,知人の覚せい剤使用者であるCとDが被告人宅を訪ねてきて,警察官による捜索が始まる前に帰って行ったので,彼らが置いていったものであると思うと供述している。
 しかしながら,これらの供述は,いかにも場当たり的で,内容自体が不自然,不合理である上,Bは,警察官調書において,平成11年になってから被告人宅を訪ねたことはなく,ましてや被告人に精液を飲ませたことはないと被告人の供述を全面的に否定しており、また,警視庁科学捜査研究所薬物研究員のEの原審証言によると,尿から覚せい剤反応を検出するのには20リットルの精液が必要であって,現実には精液を飲んだことが原因で尿から覚せい剤反応が出ることはあり得ないというのであって,この説明に疑問とすべき点はないと認められるのであるから,以上の事情に照らすと,被告人の右供述を信用することはできないというべきである。 


検察官はもとより、刑事弁護人の仕事も大変そうだな。
いや、大変なのは科捜研薬物研究員のEさんだ。間違いない!



はぁ、明日から民事系開始しよう。