美人が世の中に必要だから、世の中には不細工も必要?の巻

たまに思ってたことがある。


反対概念の必要性。


例えば、次の文章は矛盾しているだろうか?


「俺は美人が好きだ。美人が世の中に必要だ。だから、世の中には不細工も必要だ。」


美人を欲するAさん。不細工を必要とする。矛盾?
いや、ここでいう不細工の必要性が、「美人以外の人間も必要だ」という意味なら矛盾じゃない。
世の中が美人だけになると、「美人」の概念がなくなる。必要ないから。すべてが美人ならそこで比較することもできない。
まぁ世の中には不細工でもない「普通」みたいなもんもあるから、不細工が絶対必要かどうかはわからんけれど、ここで言いたいことは、比較対象の概念が必要ということ。
かくして、SPEEDにはひとえが必須メンバーなのであって、戦隊ものにはイエローが必須ということになる。
ちなみにイエローの重要性はここに行けばなんとなくわかるだろう。
http://attitude.livedoor.biz/archives/50308404.html



金も時間もある人間は自由なのか?



「自由」っていう概念を感得するには、「不自由」を感得できなければならないんじゃないか?


なんかそんなこと考えてたら、人間っていう生き物自体が矛盾した性質じゃね?って思った。何かを求めて生きようとするとき、その時点では求めるものを得られていないことを前提とする。そうすると、人生において満たされるという状態は、満たされていない状態がなければそこに到達することはできないんじゃないか?
矛盾した内容だけれど、初めから人生において満たされている人は、そもそも満たされているかどうかなんてことすら感じない。そういう概念を感得することができないから。
日本人は平和ボケ。これもそういうことを表すんだろうな。日本人はこの日本の暮らしが当たり前だと思っているわけで、普通に生きていると、そこに平和だと感じる契機はない。もちろん、ニュースや本なんかで他国における「非平和」というものを感得することができる人もいるだろう。想像力があって、その状況を感じ取ることができるなら。


そんなことを考えていたら、ちっちゃい頃にもっと言葉を覚えておくべきだったなと思った。感得できる概念を増やすってことは、それだけ感受性を増やすことにつながると思うし、伝えたいことも適切に伝えることができると思うから。



まぁ、結局、論文の話なんだけれど…