【勉強は】目標を設定。そのための手段。その実行。【明日から】

昨日、事例研究民事法の復習のため、百選を読んでた。


そこでふと気づいたことは、読むスピードがものすごく速くなってたということ。
別に速読ができるようになったとかではなくて、内容を理解するスピードが上がってただけ。
1回目は時間がかかるけど、繰り返すうちに素早く回すことができるようになるということを今更ながら感じられた。


2年前の秋に合格者の話を聴いたときは、百選を解説も含めて1日に20事件前後回して、それ以外の論文の勉強や択一対策に肢別も200〜300肢やってたとかで、中には百選を1日で回すとか言う人もいて、どう頑張っても百選は1日10事件ちょっとくらいでひいひい言ってた俺は「どうやったらそんなにこなせるんだ?」って思ってた。
けど、繰り返すうちに理解も進むというのはわかった。繰り返しが足りなく、しかも理解力のスピードも内容も足りなかったんだろうな。

そんなことを考えていて思った。同じ分野を間違い続けたりして、「あぁ、こんなに頑張ってるのに間違える俺はみじめだ」とか思うのは、色んな意味で間違いなんだよなって。


そもそもの話として、その頑張りは「適切な」頑張りだったのかを考える必要もある。無駄な頑張りでも自分的には頑張ったことになってしまうから。



そんなことを思ったのも、家に引きこもって勉強を1年間したのに1年前と変わらない点数と卑下している人がいたから。
1年間引きこもって勉強しているというのは自分と似てた。自分の場合は、周りの合格者の友達に恵まれたこともあって、成績は着実に上がってた。もちろん、努力不足の点もあってまだまだなところもあるけれど、「1年前と変わらない」なんて思ったことはなかったし、実際に点数にも現れていた。結果として、まだまだ不足する部分もあるけれど、実力が反映される努力はできていたと思った。
だから、今も勉強を頑張れる。
けれど、「頑張ったのに1年前と変わらない」ということになっては、自分は頑張れそうにない。頑張りようがないからだ。


でも、普通の人なら、適切な努力ができていればそれなりに当たり前のように点数に反映されると思う。これは合格者が言ってたことだけれど、最近、「あぁ、頭の良い悪い関係なく、努力だったんだ」って自分も思うようになったから。


そうすると、頑張りが点数に反映されないということは、点数に反映されない(無駄な)努力をしてたために1年前と変わらない点数という可能性が高いと思われる。
この仮定が真実とすれば、これまでやってきた勉強と点数に結びつかないことの因果関係、つまり原因を探して、その原因を解決するための課題を設定して、無駄な努力から決別すべきだ。
が、この過程を踏まえず、毎年同じことをしていたら、効率よく点数に結びつく勉強ができないままになってしまう。何年経ってもレベルアップができない、もしくは少しずつということになって、合格までの道のりが遠ざかる。


そんな当たり前のことを反省しました。時間は有限。三十路の自分はかなり痛感しているところです。だから、もっと効率よく勉強するために、過去の勉強を振り返って、まずいところを是正して新たな課題(計画)を設定して、その課題を黙々とこなしてやろうと思いました。
凡人ゆえの対策。否。自分は凡人よりも劣っている。だからこそ、反省すべき点と是正する点を明確にして、凡人よりも努力。
あぁつらい。つらいけれど、やりたい。そんな気分。
つらいことと、やりがいって両立するんだろうな。「つらい<やりがい」みたいな感情だから、やれる。仕事も一緒かもしれない。「しんどい<たのしい」かもしれない。


先々週は今年の司法試験の問題解いて、疲れて今週はその復習+αくらいしかせずにいたため、ほとんど寝て過ごしてた。1週間ほとんど寝ててものすごいもったいない時間の使い方をして反省。それにしても、いくらでも寝れる自分はのび太よりもすげえ寝る才能があると再確認した。そういえば、友達んちにお泊まりで遊びに行ったときも言われたことがあったっけ。寝る前に友達と話してて、話し終わったと同時に「ぐがぁー」といびきをかき始めて、友達は「寝るの超早ッッ!」って思ってたとか。


だが、残念ながら俺のそんな才能は新司法試験では役立ちそうもない。というか、むしろ有害以外の何者でもないのであった。ちくしょー。


願望を設定。そのための手段。その実行。
やることはそれだけだ。ってのに、やりたいことはそれだけじゃない。
はぁ。俺は本当に欲望の塊だ。煩悩よ。少しだけでいいからどっかいって。


とりあえず、昔やってた最低ラインの目標設定と、安心ラインの目標設定をして、計画を立て直そう。このままじゃ民事系以外の科目が不安だし。