他人の曲をパクッたという理由で著作権侵害に基づく損害賠償が認められた例(パクりの基準)

【注】KAT−TUNの盗作疑惑については、以下参照。
http://d.hatena.ne.jp/nihyan/20101225/p1



【事実の概要】
本件は、楽曲「どこまでも行こう」(甲曲)の作曲者であるX1及びその著作権の譲受人であるX2が、楽曲「記念樹」(乙曲)は甲曲の編曲(著作権法27条)に係るものであると主張して、乙曲の作曲者であるYに対し、X2において編曲権侵害による損書賠償を、X1において著作者人格権(同一性保持権、氏名表示権)の侵害による損書賠償をそれぞれ求める一方、反訴請求として、YがX1に対し、乙曲の著作者人格権の確認を求めた事案である。
【争点】

  1. 著作権法2条1項11号、27条の 「編曲」 の意義
  2. 編曲権の侵害基準

【判旨の解説】

 (1) 著作権法2条1項11号、27条の「編曲」の意義
 著作権法2条1項11号、27条の「編曲」の意義について、「翻案」に関する最一小判平13・6・28民集55巻4号837頁(北の波濤に唄う事件)に準じて、「既存の著作物である楽曲に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が原曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物である楽曲を創作する行為をいう」との判断を示した上、①楽曲の表現上の本質的な特徴の同一性と②依拠性とに分けて検討を行っている。
 ①の楽曲の表現上の本質的な特徴の同一性の判断基準について、楽曲は旋律、和声、リズム、テンポ、形式等の要素を含むところ、「それぞれの楽曲ごとに表現上の本質的な特徴を基礎付ける要素は当然異なる」のであるから、「原曲とされる楽曲において表現上の本質的な特徴がいかなる側面に見いだし得るかをまず検討した上、その表現上の本質的な特徴を基礎付ける主要な要素に重点を置きつつ、双方当事者の主張する要素に着目して判断するほかはない」としたが、「少なくとも旋律を有する通常の楽曲に関する限り、著作権法上の「編曲」の成否の判断において、相対的に重視されるべき要素として主要な地位を占めるのは、旋律であると解するのが相当である」との判断を示し、ドイツ著作権法の旋律の厳格保護の法理にも触れている。
 もちろん、パクった部分が単なるアイデアに過ぎない場合は、著作権侵害の問題にならない。アイデア著作権法上、保護されない。なぜなら、著作権法の保護の対象は、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」と規定されているからだ(2条1項1号)。つまり、創作的表現物といえる部分にだけしか著作権法上の保護が及ばない。ただ、そのレベルは高度なものではなくて、子どもの書く絵でも著作物性は認められる。その絵が他者と異なる創作的表現物と認められる以上、その部分にだけは保護が及ぶ。しかも登録とかそういう手続は一切いらない。だから日本で最も多い財産権が著作権といえる。このようなことになっても、幼児が書いた下手くそな絵を誰も真似しないだろうし、そのように権利を与えても、通常、表現手段が他にあるので権利の衝突が生じることもないからだ。それゆえ、逆に権利の衝突が頻繁に生じる可能性のある、ありふれた表現には、著作権法上の排他権を認められない。そもそも、ありふれた表現に創作性が認められない。これは音楽でも同じで、例えば、リコーダーの音楽の授業なんかで絶対やってしまうチャルメラなんかのメロディーは、ありふれた表現として創作的な表現といえず、著作物性は認められないと解される。
 Yは、「甲曲は慣用的な音型の連続であって創作性が認められない」として、要するに甲曲がありふれた表現だから著作物性が認められないと主張をしていた。幼児の絵でも著作物性が認められるということと比較しても、著作物性自体を否定する主張にはかなり無理があるということがわかる。本判決も、甲曲は、旋律に沿って歌唱されることを想定した歌曲を構成する楽曲であり、しかも、大規模な楽器編成を想定するものではないこと等から、「まず考慮されるべき甲曲の楽曲としての表現上の本質的な特徴は、主として、その簡素で親しみやすい旋律にあるというべきであり、しかも、旋律を検討するに際しても、1フレーズ程度の音型を部分的、断片的に取り上げるのではなく、フレーズA〜Dから成る起承転結の組立てというその全体的な構成にこそ主眼が置かれるべきである」と判断して、Yの主張は退けた。
 甲曲より後に作られた乙曲が甲曲のパクりかどうかは、甲曲の創作的表現部分、すなわち表現上の本質的な特徴を基礎付ける部分を利用して作られたかによって決せられる。本判決では、その判断基準を、①楽曲の表現上の本質的な特徴の同一性と②依拠性という点から判断すべきとしている。したがって、似ているというだけでは著作権侵害を構成する「パクり」にはならない。それが②依拠して作られたことが要件となる(ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件参照)。いずれにせよ、本件の甲曲のようなシンプルな歌詞付きの楽曲において、その表現上の本質的な特徴を基礎付ける中心的な要素が旋律とならざるを得ないという判断だ。要するに、ボーカルラインの類似性がパクりの基準として重要視される。
 (2) あてはめ
① 本件における表現上の本質的な特徴の同一性の有無
 まず、甲曲と乙曲との対比を、旋律、和声、その他の要素ごとに着目して詳細な分析を行い、最終的には、「乙曲は、その一部に甲曲にはない新たな創作的な表現を含むものではあるが、旋律の相当部分は実質的に同一といい得るものである上、旋律全体の組立てに係る構成においても酷似しており、旋律の相違部分や和声その他の諸要素を総合的に検討しても、甲曲の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものであって、乙曲に接する者が甲曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものというべきである」とした。ここでは、甲曲と乙曲は音の高さの一致率が72%にも及んでいること、旋律の構成において重要な役割を果たす各フレーズの最初の3音以上と最後の音および強拍部の音が基本的に全フレーズにわたって一致しており、そのため、楽曲全体の起承転結の構成が類似する結果となっていること、ほとんど同一というべき旋律が22音にわたって(全体の3分の一以上)連続して存在すること等の指摘がされている。なお、和声やリズム、形式の相違は、楽曲としての表現上の本質的な特徴の同一性を損なうような違いではないという点も指摘されている。
② 依拠性
 既存の著作物を利用したのではなく、偶然にたまたま似たものができてしまった場合、著作権侵害とならない。つまり、乙曲ができたのもたまたまで、作者のYはXの作った甲曲なんて知らなかったのだとすれば、それはパクりではないのだ。パクりといえるためには、Yが乙曲を作ったのが、甲曲に依拠してされていることが要件とされる。
 もっとも、似ている部分が多ければ多いほど、「知らなかった」なんて通らないのは容易に解る。例えば、1000ページを超える百科辞典で出版されて、それと同じものが他者によって出版されれば、そんな大作「一人で作りました」なんて誰も信じないだろう。しかも誤字脱字もそのまま同じだったなんてことになったら、「え?同じの出てたの?知らなかった」なんて、誰が信じるというのか。双子でもそんな奇跡は起こらないだろ。
 で、②の依拠性の要件について、Yは本人尋問においてこれを全面的に否定したが、本判決では、甲曲の著名性、甲曲と乙曲の上記のような顕著な類似性等の間接事実から推認するという手法でこれを肯定している。Yは依拠性を否定すべき事情として、乙曲が「詞先」の曲であることを主張したが、この点は依拠性の判断の上でさほど重要な問題でないとしている
 「以上のとおり、乙曲は、その一部に甲曲にはない新たな創作的な表現を含むものではあるが、旋律の相当部分は実質的に同一といい得るものである上、旋律全体の組立てに係る構成においても酷似しており、旋律の相違部分や和声その他の諸要素を総合的に検討しても、甲曲の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものであって、乙曲に接する者が甲曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるものというべきである」という判断に基づいて、結論的に、X2の編曲権及びX1の著作者人格権(同一性保持権、氏名表示権)の侵害をいずれも肯定し、他方、Yの反訴請求に係る乙曲の著作者人格権確認請求も認容した。
 (2) 損害論
 編曲権侵害によるX2の損害については、著作権法114条1項の相当対価額の主張がされたところ、本判決は、まず、勧日本音楽著作権協会JASRAC)の著作物使用料規程及び同分配規程に基づく同協会の実務は音楽の著作物の利用の対価額の事実上の基準として機能するものとした。その上で、同協会からYへの分配額及び分配留保額をベースに算定しつつ、当該分配額等は、作詞者及び編曲者への分配分を含んでいるからこれを控除するべきであるとしたが、他方、同協会の管理手数料相当額は当然発生するものではないとして、その控除をいうYの主張は採用されず、また、同協会の実務上包括使用料方式が採用されている放送及び放送用録音についても、X2の主張を容れて、1曲1回当たりの使用料を積算する方法を採用した。
 著作者人格権侵害の慰謝料については、甲曲はCMソングの傑作を多数作曲した私の代表作の一つとされていること、その侵害態様は、テレビ番組のエンディング・テーマ等として継続的に長期間使用されたなどの事情が考慮され、500万円が認められた。

【補足解説】

1 「翻案」は「編曲」を含む上位概念であるのか

 著作権法2条1項2号、27条にいう「編曲」と「翻案」との関係であるが、「翻案」が「編曲」を含む上位概念であるとの少数説があるが、翻訳、変形とともに並列的な概念と理解するのが多数説のようであり、本判決も「編曲」「編曲権」という用語によっている。

2 楽曲と歌詞の関係は共同著作物か、それとも結合著作物か

 楽曲の著作物と歌詞の著作物の関係について、少なくとも甲曲及び乙曲に関する限り、共同著作物(著作権法2条1項12号)ではなく、いわゆる結合著作物として楽曲と歌詞のそれぞれにつき著作権が併存し、格別に利用の対価を観念し得るとしている。
 したがって、共同著作物に関する特則は適用されない。楽曲、歌詞のそれぞれが著作物として独立して、各々の著作者が当該著作物に関する権利を別々に有する。

3 複製権侵害と編曲権侵害による各損害賠償請求権の訴訟物の同一性

 複製権侵害と編曲権侵害による各損害賠償請求権の訴訟物としての異同が問題となり得るが、本判決は、主文において「控訴審における新請求の一部認容」ではなく「原判決変更」という形式を採っており、同一説に立つことを明らかにしている。これは、請求権競合の関係になるということか?

4 創作の適法性は二次的著作物が著作権法上保護されるための要件か

 乙曲は甲曲に依拠して作られた二次的著作物といえるが、乙曲は甲曲に関する著作権を侵害して作られたものである。しかし、二次的著作物としての著作権法上の保護を受ける要件として、その創作の適法性は要求されないとしている。この点については、異説もあるが、旧著作権法の改正経過等から適法性不要説が通説である。

5 楽曲に係る音楽著作権の法律関係

 作曲家、音楽出版社、(有)日本音楽著作権協会の間の法律関係であるが、本件におけるように、作曲家(X1)が、音楽著作権をその所属の音楽出版社(X2)に譲渡し、音楽出版社がさらに当該著作権を(社)日本音楽著作権協会に信託的に譲渡するという形は我が国の音楽業界でごく一般的に行われている。その場合、通常、前者の関係では編曲権等の譲渡が特掲される(著作権法61条2項参照)が、後者の信託的譲渡は編曲権等を含まない。甲曲の編曲権侵害の損害賠償請求主体が音楽出版社X2となったのはこのような関係に基づくものである。なお、本件で直接問題とならないが、複製権侵害訴訟の場合には、音楽出版社と(社)日本音楽著作権協会との関係で、いずれが原告となるべきかという問題をはらんでいるように思われる(ただし、複製権侵害が争われた本件の一審でも明示的な争点にはならなかったようである。)。