村木元厚労相局長の無罪事件について。の巻

だっつぁんの依頼来た。

厚労相の元局長村木の無罪事件についてブログ書けと。


気にはなっていたが、イマイチ何罪で起訴されてるかテレビではわからんかったから、調べてみると、ウィキで詳細が明らかにされていた。

障害者団体とされる「凛の会」(白山会に改称)や「健康フォーラム」が、2006年〜2008年ころ、大手家電量販会社、紳士服販売店、健康食品通販会社などのダイレクトメールを障害者団体の発行物と装い、「低料第三種郵便」として低価格で違法に発送して、通常の第三種郵便物の料金との差額を数十億円単位で不正に免れたとされる郵便法違反事件である。

おお、数十億円単位も債務を免れたってスゲー事件やん。
あぁ、郵便法違反の事件なんか。


いや、待て待て、今回無罪になった村木が債務を免れたわけではなく、凜の会の元会長の倉沢が主犯なわけやな。それにしても、この倉沢が郵便法違反で罰金540万円の刑って軽すぎるやろ。


で、厚労省の元局長だった村木は、この倉沢の犯行に使う証明書の作成し渡したってことで、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われたのが今回の無罪事件やな。ちゃんと何の罪かいえよマスコミ。郵便法違反の罪で起訴されたかと思うじゃないか。
こういうのが曖昧だと、どういう経緯で無罪になったかわからんだろ。


NHKでこの事件の特集をやってた。
それによると、起訴事実は

1 主犯の倉沢が証明書を獲得するため石井議員に口添えを依頼
  ↓
2 石井参議院議員厚労省の人間(村木の上司)→村木、の順で指示
  ↓
3 局長だった村木が部下に証明書作成を指示
  ↓
4 部下が証明書作成
  ↓
5 証明書が、部下→村木→倉沢の順で渡された

というものだ。


で、作成権限は局長にあったと思われるので、部下を介して虚偽の証明書を作成したってことで、虚偽の有印公文書(印は村木)を作成したのは村木元局長だってことになったわけだ。これが虚偽有印公文書作成罪。

で、その虚偽有印公文書行使罪は牽連犯だが、成立上は別罪なので、これも成立するか問題となる。
ここでいう「行使」とは、虚偽文書を内容真実の文書として使用することで、この使用は、文書の内容を相手方に認識させ、または、認識可能な状態に置くことである。
したがって、虚偽有印公文書である証明書を村木が倉沢に渡せば、この行使罪も成立するということになる。


これが、検察側が描いたストーリーだ。



厚労省のエリート女性官僚による犯罪か!!??
ってことで話題となった。


しかも、起訴前に検察官が取り調べた村木以外の関係者の調書では、このストーリーを裏付けるように、村木関与の証言内容が書かれていた。


が、このストーリーは後にめちゃくちゃということが明らかになる


起訴後、公判廷において主犯の倉沢により、村木から虚偽の証明書を渡されたことが証言された。
その内容は、
倉沢「証明書は村木さんのデスク越しにいただきました」
というものであった。
そして、倉沢は法廷で、証明書を受け取った場所を図面で示した。
つまり、課長席にいた村木のデスクの目の前で手渡されたという。


しかし、これが不自然であることが明らかとなる。


実は、事件当時、課長席は一番奥で、そのデスクの前につい立てとキャビネットが置かれてあり、さらにそのすぐ横には係長の席があって、「デスク越し」で手渡しすることが不可能であり、公判廷で倉沢によって示された図面と一致し得ないのだ。


検察官「あ、あれっ?」


いや、まだまだこれからが本番。頑張ります検察官。


ということで、次は村木に直接指示されて証明書を作成した部下が公判で証言することに。
犯行を裏付ける重要人物だ。


嘘の証明書を作ったとされる村木の部下である上村は、検察官の調書に「村木の指示だった」という証言にサインしている。



検察官「イケル!!!!」


そう思ったのもつかの間、



上村「調書は全部でっちあげです」


なんとこの調書でなされていた証言が公判段階で証言が覆されたのだ。
つまり、裁判所では、「村木の指示ではなかった」という証言がなされ、真逆の事実が明らかにされた。


実は、上村は村木の関与はないと訴えていたにもかかわらず、取り調べで聞き入れてもらえなかったというのだ。
その後、調書で村木関与を認めていた上村以外の厚労省の関係者も、ことごとく証言を覆していった。



検察官「………ちょ、やべえんじゃね?」


暗雲がたちこめてきました。



検察官「いやいや、こりゃあれだね。組織ぐるみで防衛に走ったってことだよ。これぞ暴走。なんちって。」



そんな余裕も一変することになる。


村木の犯行は、主犯格の倉沢から石井議員に厚労省への口添えの依頼があったことが、そもそもの始まりだった。


が、実はその口添えがなされたという日に、石井議員はその当時ゴルフ場にいて、倉沢と会っていなかったというのだ。
しかも、石井議員の手帳や、ゴルフ場に備え置かれている帳簿、そこで支払われたクレジット決済の記録等々の決定的な物証まであった。
このままでは、主犯の倉沢による石井議員への口添えの依頼という事実は立証されず、そのような事実はなかったこととされるおそれがある。
つまり、事件の「そもそもの始まり」が、実はなかったということになるということだ。
そうなってくると、さすがに検察官の主張していた事実が成り立たない。


このままではヤバいよと思った検察官。


公判廷の証言が証拠として採用されるとまずいと考えた検察官は、次にこういうストーリーに出る。


つまり、公判廷でなされた証言はすべて嘘で、密室で取り調べた調書の方が真実。よって、村木が犯人。


普通に考えると、公平なジャッジをする立場にある裁判所における証言と、村木を犯罪者として立証しようとしている検察官との密室でのやりとりで、どっちが真実を述べていると思われるかは明らかとも思えるし、それだけじゃなく、声をそろえて証言を覆していること、しかもこの証言は公判廷における虚偽の証言が偽証罪となるということを踏まえた上でなされていることからすると、これを嘘の証言と考えることはかなり難しいストーリーということになる。


しかし、手段を選んでいる場合でもない。なんとかこのストーリーでごり押ししなければいけない検察官だった。


これをやるには、取り調べにおける供述が公判廷の供述よりも信用できることを基礎付けなければならない。
そこで、なんと取り調べに当たった検察官自身を証人として申請。


取り調べに当たった検察官「調書作成に問題ないんだからッ!(`・ω・´)キリッ」


しかし、そうはうまくいかない。
裁判官は尋ねる。


裁判官「取り調べのときにとったメモはないんですか?」
取り調べに当たった検察官は全員、声をそろえて


検察官「メ、メモはすべて捨てちゃったもん」


と、証言。
すかさず、裁判官はつっこみます。
裁判官「調書の信用性が問題となっているにもかかわらずメモを捨てたって、うさんくさー。信用性に足りるものがないからだろって疑われるよ普通。え、どうなの?」



検察官「か、考えてなかったかな」


そして、決定的となったのは検察官の申請した証拠採用に関する決定が出た第20回公判だった。
結局、検察官から申請があった43もの調書のうち、証拠として採用されたのは、たった9つのみ。
残りすべて証拠申請は却下。これは異例の事態といえる。
却下の証拠には、直接証明書を作成したとされる部下の上村、主犯の倉沢元会長、いずれの調書も含まれ、一通も証拠採用されないことになったのだ。



で、無罪判決ですわ。

無能な検察官の実態(上村編)

まぁ、結論から言うと、検察官の無能っぷりが露呈した事件だったって話ですわ。

NHKでは、捜査の問題点としてこうまとめられている。

あいまいな供述からの筋立て
"ストーリーありき"の取り調べ
客観証拠の"軽視"
ずさんな裏付け捜査


当初、特捜部はこの倉沢が虚偽の証明書を作成したと思っていたが、その倉沢が村木が作成したとか言い出したのが事の発端だ。
そんなことを言った動機は、凜の会が虚偽の証明書を作成したと印象づけたくなかったという。
とんでもない奴だが、そのとんでもない虚構に乗っかったのがアホの特捜部である。


このとんでもない奴の、しかも曖昧な証言から、結果ありきのストーリーを描き上げたのだ。


この描き上げられたストーリーに沿うように、村木関与の事実を裏付ける調書を作成し続けた。

当初、検察側は

1 倉沢による催促
  ↓
2 村木が指示
  ↓
3 上村が証明書作成

という時系列で事件を想定していた。
が、この事実に反する証拠が出てきていた。


厚労省の職員から取った調書からすると、6月8日に主犯倉沢から村木に証明書作成の催促をしたといことになっていた。
よって、時系列からすると、村木による指示で作成された証明書のデータは6月8日以降でなければおかしい。
しかし、証明書作成に使用されたフロッピーディスクの最終更新日が6月1日だったのだ。6月1日に作成されていたとすれば、村木の指示はなかったということになる。
催促があったとされる日よりも一週間も前に、指示がなされて証明書が作成されたということになり、時系列として矛盾が生じるからだ。


それにもかかわらず、特捜部は考えを変えなかったのだ。


村木の無罪は、人の供述には色々と問題があるにもかかわらず、客観的証拠であるフロッピーディスクという物証を軽視した結果といえる。


しかも、当初、証明書作者とされた上村自身は、一貫して村木関与の調書にサインしなかった。
他の厚労省職員は、村木関与の調書にサインしていたのに。
今からすると、上村だけが真実を述べていたということだが、検察官は、村木関与の調書を引っ張ってきてこう言った。
検察官「上村さんだけ、嘘をついていることになる」


おまえの目は節穴かーーーッッッッ!!!


と、つっこみたくなるが、さらにこう続ける。


検察官「関係者の意見を総合するのがいちばん合理的じゃないか。多数決のようなものだ」


こうやって冤罪は出来上がるということがわかる良い例です。


っていうか、やってもいないのに、多数決でやったことになっちゃうんだから、世の中あまくないですね。このやりとりは、魔女狩を彷彿させる。


このような無茶苦茶なことを正義を実現すべきとされている検察官がやっていたというのだから驚きだ。

無能な検察官の実態(石井編)

その後、村木は起訴された。
が、その後、特捜部は、石井議員を参考人として事情聴取したという。主犯倉沢から口添えを依頼された議員として捜査していたのだろう。


つまり、口添えのやりとり等の証拠を見つけるためだと思われる。アリバイなんかまっさきに調べるべき事項なわけだが、事情聴取において石井議員から手帳が呈示されたにもかかわらず、特捜部は口添えがあったとされる日を確認しなかったという。


こうして、特捜部は調べる能力に欠けていた能なしだったことが明らかになっていく。
口添え依頼のあったとされる日に石井議員はゴルフ場にいたといういくつもの証拠が残っていたにもかかわらず、捜査がザルすぎた結果、公判における証言がなされるまで何も捜査しなかったのだ。
特捜部がゴルフ場におもむいたのは、この証言がなされた翌日だった。


取り調べの全面可視化で改善

どこをとってもありえない、ずさんな捜査すぎる。


これは、どうやら調書で有罪にできるといった甘い見通しに原因があるっぽい。


まぁ、検面調書ってことでじゃんじゃん証拠採用されてきたこれまでの運用が間違ってたってだけで、裁判員制度が始まった現在、検面調書重視のこれまでの書面審理中心ではなく、裁判員による、直接公判廷で出てきた人間の証言等を重視する運用になってきているらしい。


しかも、刑事訴訟法も、そもそも供述調書を証拠とすることは原則として認めていない(刑訴法320条)。
刑事訴訟法320条1項には、

公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。

とされている。
要するに、公判廷の証言以外の供述や書面は証拠として認めないって原則。
人の供述は、人の主観に頼るものであって、知覚、記憶、表現・叙述という過程を経て証拠内容が明らかとされるが、この各過程のいずれにも誤りが混入する余地があり、このような証拠に頼るべきではなく、客観証拠を重視した捜査によるべき。人権保障と誤判防止のための真実発見の要請というような刑事訴訟法の基本的な考えが、今更ながら考え直さないとだめってことなのか。


こういうことを意識し直すきっかけとしては、裁判員制度ができてよかったかもしれない。


そういえば、ひどい冤罪事件がたて続いていた。
3年前の志布志事件
これはかなりひどい取り調べだったし。今更、そんな昭和初期みたいな取り調べすんの?って思った。そういえば、俺も高校の頃…まぁいいや。



最近の捜査機関は無能らしいということが、検察幹部だった元上司の発言からわかる。


現在のように取り調べ常況を推測を重ねることでそこでなされた証言の信用性を「想像」するというやり方よりも、手っ取り早い解決法がある。


  取り調べ状況の全面可視化


これで一発なわけだ。
現にアメリカではこれが当たり前になっているわけで、むしろ当然だろう。
今更だが、証言の信用性は極めて重要だ。
映画「それでもボクはやってない」でもやっていたが、痴漢事件なんかは、ほとんど被害者の証言だけで有罪となったりしてきたからだ(もっとも、たいていは自白事件)。


去年だったか、このような証言ひとつで有罪なんてことは慎重にやらないと、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に反して、ひいては冤罪を生むおそれがあるということが最高裁でも明らかにされ、無罪判決が出た。


このように証言の信用性ひとつで犯罪者となるかが決まるなんて世の中、ちょっと恐すぎるだろ。
しかも、映画のように、被害者に同情的になって、被害者は勇気を持って証言しているとか、嘘をつく動機がないとかいって、信用性を認めたりなんかしてしまうと、他方で無実の人間が犯罪者扱いになるという、同情しきれないことになる。
しかも、一般人からみて最も危惧すべきは、真犯人は世の中でのうのうと暮らしているということだ。犯罪を犯しても大丈夫だなんて開き直って、また犯行を続けているかもしれない。


そんなわけで、証言の信用性は判断するのは慎重にならなければならない。


だが、取り調べの調書が証拠として申請された場合、その調書が信用できるものかどうかは簡単に、少なくとも今のように取り調べ常況がどうだったかといったことを推論に推論を重ねるといったやり方ではなく、直接その状況を復元して確認すればいい。それが可視化だ。
要するに、取り調べ常況をすべて録画すればいい。それ見れば無用でかつ誤る恐れのある推論をせずに、より的確な事実認定ができる。


が、無能な検察官が増えている現在において、こんなことできるはずもないというのが現状のようだ。
そういえば、結構昔にも試験的に取り調べ常況を録画して、これなら大丈夫だろうと言うことで裁判所に持って行ったら、検察官の予想に反して、「こんなひどいのか取り調べは」みたいなことを裁判官に言われたとかいうエピソードがあったとか。
検察官と裁判官の認識にギャップがあったということだろうが、果たしてどちらの認識が正しいのか…あえて言わないけど。


まぁ今回、無罪判決が出て、

大阪地裁が厚生労働省村木厚子元局長に言い渡した無罪判決は、検察側が描いた構図をことごとく否定した。「調書主義から口頭主義への転換」という裁判員制度の導入がもたらした刑事裁判の大きな変化を象徴するものとなった。

とか言われてるけど、今後、本来あるべき刑事訴訟手続になればいいと思う。


まぁ、犯罪者を見逃してでも無実の人間に罪を負わせるような人権侵害をしないという法の建前だから、どこまでこれを実戦できるかはわからんけど。