続・伝聞証拠スペシャル

なんか怠惰な日常を送ろうと思ったのに、勉強のことを考えてしまう。
2chとかみてると、伝聞苦手な人多いんだなぁって昔の自分を思い出した。
で、伝聞についての覚書を、ノートを参考にわかりやすくここに書いておこうと思う。

■伝聞法則とは?

伝聞証拠は証拠にできないとする原則をいう。

この定義から、「伝聞証拠」や「証拠」の意味を正確に理解していることが伝聞法則の理解の大前提になる。
そして、伝聞証拠が供述証拠であることから、「供述証拠」の意味も正確に理解することが必要になる。

■供述・供述証拠とは?

供述とは、人の言語的な表現であって、何らかの事実の存否を語る内容のものである。
供述証拠とは、内容に沿う事実の存在を証明するために用いられる供述をいう。
供述証拠は、ある事実に関し、
①知覚し⇒②記憶し⇒③真摯に表現し⇒④叙述する、
という供述者の供述過程を経て顕出する。
口頭であると文書であるとを問わない。また、行為であってもよい。
例えば、「犯人は誰ですか」と問われて被告人を指さすことも供述である。
供述証拠の①知覚⇒②記憶⇒③表現⇒④叙述の各過程について、誤りの入り込む余地があることから、そのままでは推論を誤導する危険が存在する。
そのため、供述によって事実を認定する場合には、

  1. 供述者が正確に事実を知覚したかどうか、知覚する能力と機会は十分であったか
  2. 記憶に誤りはないかどうか、他人の経験を自分のもののように思い違いしているのではないか、あとから再構成した部分があるのではないか
  3. 記憶にあるとおりを正直に述べているかどうか
  4. 供述者が使用した言葉は彼が言おうとしたことを適切に言い表しているかどうか、ある言葉を一般と違った特殊な意味に用いてはいないか

というような点を吟味することが不可欠である。

■伝聞証拠とは?

公判廷外の供述を内容とする証拠で、供述内容の真実性を立証するためのものをいう。

したがって、この定義によると、供述内容の真実性を立証するためのものでなければ伝聞証拠に当たらない。すなわち「非伝聞」ということになる。このような理解は判例の立場とも整合する*1。この一般論は暗記している者が多いけれど、その具体的あてはめにおいては度々間違う者が少なくない点については後述する。
これは形式説による定義で、他に実質説もある。実質説によれば、伝聞証拠とは、「事実認定をする裁判所の前での反対尋問を経ていない供述証拠」と定義される。
しかし、実質説は制度の趣旨及び条文の文言から離れすぎるという意味で適切でないと批判されており、形式説が近時の多数説である*2。文言から離れすぎるとは、実質説が、被告人の公判廷供述も、被告人自身による反対尋問が不可能であることを理由に伝聞証拠としている点で、320条1項の文言と整合しないという意味である。
ここでは学説の是非よりも、むしろそこで理解されている伝聞法則の趣旨と伝聞証拠の関係を正確に理解する必要がある。

■伝聞法則の趣旨は?

公判廷供述に対しては

  1. 真実を述べる旨の宣誓と偽証罪による処罰の予告、
  2. 不利益を受ける相手方当事者による反対尋問、
  3. 裁判所による供述態度の観察

の3つの手段を用意しているのに対し、原供述はこれらの吟味・確認手段によりテストされていないため、原供述の真実性の確認ができないことから、原則として証拠能力を否定するところにある*3

■形式説によるべきと理解されている理由は?

実質説は、被告人の供述(録取)書(322条1項前段)が伝聞証拠とされる理由を、原供述(被告人の供述)が反対尋問を経ていないことに求める。
しかし、供述者本人による反対尋問という論理的に不可能な手段を用いた、供述者本人による自己の供述に対する信用性テストがなされていないことを伝聞該当の理由とするもので、その論理は合理性に欠ける。
また、実質説は、公判手続更新前の証人尋問調書(321条2項・原供述は更新前の証人尋問時に反対尋問を経ている)が伝聞証拠とされる理由を、事実認定裁判所の面前での反対尋問を経ていないことに求め、反対尋問は裁判所の面前で行なった方がより効果が大きいとするが、これは、反対尋問以外の要素(裁判所による供述態度の観察)を考慮すべきことを裏面から肯定したものといえる。
このように伝聞法則を反対尋問だけで説明することには無理がある。
以上から、320条の文言に忠実な形式説によるべきというのが近時の理解である*4

■伝聞と非伝聞の区別

伝聞証拠(法320条1項が証拠能力を原則否定する「供述」証拠)かどうかは、常に、要証事実と証拠との関係によって決せられるので*5、供述内容の真実性を証明する場合でなければ、伝聞証拠に当たらない。
供述状況の直接観察、反対尋問等による吟味・点検が要請されているのは、叙述された内容の正確性・真実性であるから、人の言葉が、その内容の真実性を証明するために用いられる場合には、320条1項にいう「供述」に該当し、それは伝聞証拠に当たる。
これに対して、人の言葉・発言を、その内容の真実性とは別の事項の証明に用いる場合には、「供述」には該当せず、伝聞証拠には当たらない。このような場合を一般に、言葉の「非供述的用法」という。

ここから議論が難しくなってくる。
ここでは「要証事実」の意味を正確に理解しなければ、論理矛盾したことを答案で展開するおそれがある。
ちなみに、伝聞証拠の定義における実質説では、伝聞か非伝聞の区別は「反対尋問を経たか否か」となるようにも思われるが、実質説においても、要証事実との関係で伝聞か非伝聞かを判断する点は同じである。それは、実質説においても定義の中に「供述証拠」であることが要件とされており、その「供述証拠」が「内容に沿う事実の存在を証明するために用いられる供述」である点で形式説と同様だからである*6
もちろん、形式説によると答案上論理矛盾なく伝聞・非伝聞の区別が要証事実との関係で判断する関係性を論ずることが簡単ではある。
注意すべき点は、実質説に立つにもかかわらず、供述証拠の定義をきちんと表現しない場合、なぜ実質説の定義で要証事実との関係で伝聞・非伝聞の区別がなされるのかが明らかにならない点である。この点でも、答案上で実質説を採用するメリットは乏しい。
また、反対尋問を経ていない場合も伝聞になるため、例外的に実質説と形式説で伝聞・非伝聞の結論が異なる場合が出てくる。この場合、実質説は、「反対尋問を経ていないこと」という基準が働くため、二重の基準を設定することにもなる。

■要証事実

要証事実とは、「具体的な訴訟の過程でその証拠が立証するものと見ざるを得ないような事実(いわば「必然的に証明の対象とならざるを得ないような事実」)」をいう。
これに対して、立証趣旨は、当該証拠の取調べを請求する当事者がその証拠によって立証しようとする事実(立証事項・立証事実)を意味する。
したがって、立証趣旨がそのまま要証事実だとは考えられていない。最決平成17年9月27日(刑集59巻7号753頁)も、「立証趣旨が『被害再現状況』、『犯行再現状況』とされていても、実質においては、再現されたとおりの犯罪事実の存在が要証事実になるものと解される」と判示し、立証趣旨と要証事実とを別物と理解している。
もっとも、実際には、立証趣旨と要証事実が異なるのは例外で、当事者の設定する立証趣旨と要証事実は結果的には一致する場合が多い。

伝聞と非伝聞の区別のポイントは、「要証事実」の意味と証拠との関係性がどうなっているのかを正確に把握することにある。
つまり、
当該証拠で証明される事実(立証事実)⇒要証事実
この推認過程において、立証事実の内容が供述内容の真実性を前提にしなければ要証事実を推認する場合は伝聞、供述内容の真実性を前提にしないで要証事実を推認する場合は非伝聞となる。
注意すべき点は、形式的にある発言の存在自体を証明すべき事項として立証趣旨に設定しさえすれば、それだけで常に伝聞法則の適用がなくなるわけではない点に注意しなければならない。
要点は、当該発言によって、最終的にどのような事項を証明しようとしてそれが用いられているかにある。実質的に見て、要証事実が発言内容の真偽が問題となる事実、すなわち発言内容の真実性であると認められる場合には、伝聞証拠と見るべきと理解されている*7


わかりやすい例が2chにあったので引用すると

X「お前の痴漢行為をばらされたくなかったら100万よこせ」というメールを送信してYを脅した

というケースの場合に、このXが送信したメールを証拠とする場合、

◆Xが脅迫行為をしたことを要証事実とする場合

立証事実:X「お前の痴漢行為をばらされたくなかったら100万よこせ」というメールをYに送信した
要証事実:Xが脅迫行為をした

この場合、Yが痴漢行為をしたことが真実かどうかは関係ない。
例えば、Xが勘違いで痴漢行為をした奴だと思っているかもしれない。
しかし、Yの痴漢行為の存在が真実であったか否かは、要証事実であるXの脅迫行為と無関係である。
この場合、このXのメールは脅迫行為を内容とするメールが存在することだけが要証事実を推認する上で必要になる。メール内容の「Yが痴漢行為をした」という内容の真実性は、この推認過程では問題とならない。

◆Yが痴漢行為をしたことを要証事実とする場合

立証事実:X「お前の痴漢行為をばらされたくなかったら100万よこせ」というメールをYに送信した
要証事実:Yが痴漢行為をした

この場合、Yが痴漢行為をしたことをXの送信したメールから推認するには、このメールの内容である「お前の痴漢行為」=「Yの痴漢行為をしたこと」が真実として存在したことを前提とする。
逆に、これをメールの「存在」自体からYの痴漢行為をしたことを推認することはできない。
内容の真実性とか存在とかにとらわれすぎると混乱するかも知れないが、普通に考えればわかる。
仮に、このメールの「存在」自体からYの痴漢行為をしたことを推認してもいいということは次のようなおかしなことが生じる。
例えば、警察官Aが被疑者Bに「お前痴漢しただろ」とメールする。
このメールを非伝聞と理解すると、AがBにメールを送信するだけで、被疑者Bが痴漢をした証拠が増やせることができるということになる。
つまり、メールの「存在」だけから推認できるとすると、言えば証拠になるということが肯定されることになってしまう。言ったもん勝ちみたいな状態。
内容の真実性を前提にしないでこのメールの存在からYの痴漢行為を推認するということはこういうことを意味する。このようなおかしな推認はもちろんできない。
メールの存在だけではYの痴漢行為をしたこととの関連性がないから、要証事実を推認するためにはメールの内容の真実性を前提とせざるを得ない。
このように伝聞か非伝聞かは同じ証拠でも要証事実が何かによって左右される。

証人Aが、「法廷外で『Xに金を騙し取られた』というBの発言を聞いた」と法廷で証言する場合

BのXに対する名誉毀損事件について、BがXに関する名誉毀損行為を行ったことそれ自体(=主要事実)が要証事実とされる場合(言葉が要証事実)には、Bの発言内容が真実であるか否かは問題でない。その発言に至るまでの供述過程に誤りの入り込むおそれも問題とならない。したがって、Aの証言は伝聞証拠とはならない。
これに対して、先のAの証言が、XのBに対する詐欺事件について、具体的な詐欺行為があったか否かが争点とされる場合には、まさにBの発言内容が真実であるか否かが問題となる。したがって、Aの証言は伝聞証言となる。
このように立証趣旨として主張された事項が何であれ、裁判所は要証事実との関係で実質的に考えて伝聞か非伝聞を区別することになる。
そのため

立証趣旨:「XがVを殺したのを見たとの記載のある書面の存在」

として書面の証拠調べ請求がされた場合であっても、その書面が実質的には犯罪事実の存在を証明するために用いざるを得ない場合には、要証事実は、「XがVを殺した状況」にならざるを得ない。このように「必然的に証明の対象とならざるを得ないような事実」が要証事実となる*8


ちなみに、2chでこういう記述があった

増強証拠については法328条の弾劾証拠とパラレルに考えてごらん。

増強証拠は証拠の証明力を増強する(上げていく↑)、
弾劾証拠は証拠の証明力を減殺する(下げていく↓)。
両者はベクトルの方向が逆なだけで、基本的に同じ作用を持ってる。

328条は伝聞証拠の規定じゃないよね?
矛盾供述の「存在」そのものによって証明力を減殺するだけで。
同じように考えてもらえれば納得していただけるはずだ。

このような考えは初学者によくある誤り。
確かに、328条は非伝聞である自己矛盾供述をもって供述内容の証明力を減殺することが認められることを明らかにした確認規定だ。
しかし、判例・学説は増強証拠と弾劾証拠をパラレルに考えていない。
328 条の趣旨は「供述の信用性の減殺」にあるとする判例*9は「証明力を争う証拠」には増強証拠を含まないとするものであると理解されている*10
その理由は弾劾証拠の場合には内容の真実性が問題にならないのに対して、増強証拠の場合には内容の真実性が前提にならざるを得ないことによる。これは推認過程を具体的に考えるとわかる。

■弾劾証拠による推認過程

自己矛盾供述をした
  ↓推認
供述の信用性が低い

という推論過程には、内容の真実性を前提としないと理解されている。
つまり、「俺は犯人を見た!」と昨日言ったのに、「俺は犯人を見ていない!」という矛盾したことを言ったこと自体が証明の対象となっている。要するにウソ、勘違いの供述をするような奴の言ったことだから信用できねーだろってことだ。
この場合、自己矛盾供述自体を証明することで、供述の証明力の減殺を図ろうとするものであるから、伝聞証拠ではないと理解されている。
これに対して、増強証拠、すなわち供述の証明力を増強しようとする場合には、非伝聞ではない。ゆえに、328条によって証拠とすることはできないと理解されている。
これは証明力を増強する推認過程を考えればわかる。
増強証拠として証明する場合とは、証言者の別の機会で供述したことを証明しようとする場合だ。
つまり、

■増強証拠による推認過程

別の機会に同じ内容の供述をした
  ↓推認
供述の信用性は高い

という推論過程では、供述内容が真実でなければ供述の信用性が増すことはない。
内容の真実性を前提としない場合、つまり供述したことという存在自体から供述の信用性が高くなると考えること、同じことを言えば言うほど供述の信用性が高くなるということを意味するが、そんな経験則はない。
公判供述と一致する供述者自身や第三者の公判期日外供述の存在を増強証拠とすることは、公判期日外の一致供述の真実性を前提にしており、公判期日外供述を伝聞証拠として使用することにほかならないため、伝聞になると理解されている*11
したがって、弾劾証拠と増強証拠とは、「ベクトルの方向が逆なだけで、基本的に同じ作用を持ってる」なんて理由で両者が非伝聞となるわけではない。
まったく異なる推認過程をたどっているため、弾劾証拠は非伝聞、増強証拠は伝聞と理解されている。


だから、

〜〜という存在自体を要証事実に考えると非伝聞である。

という文章は結論を示しただけで伝聞か非伝聞かについて論じたことにはならない。

「〜〜」というメールが存在したことを要証事実とする。

と言ったところで、それは非伝聞になるという結論を示しただけだ。
痴漢の例で言えば、

Xが「お前の痴漢行為をばらされたくなかったら100万よこせ」というメールをYに送信したという存在自体を要証事実とする

と言ったところで、Yの痴漢犯罪事実には何の役にも立たないことは上述の通りだ。Yが痴漢行為をやったということを推認するためには、内容の真実性が前提にならざるを得ない。


ある事実を証明することが犯罪事実とどのような関係で意味があるのか、その関係が内容の真実性を前提にしなければ推認できないかどうかということを論じて、初めて非伝聞か伝聞かの区別ができることになる。


今年の問題で「報酬のやりとり」があったこと自体を要証事実としたところで、死体遺棄行為の存在を推認することはできないことは明かだろう。
供述の存在自体を要証事実としても犯罪の立証に何の役にも立たない場合に当たる。
しかし、例えば、ブレーキの故障が原因で車の事故を起こした自動車運転過失致死傷罪を犯したケースで、事故を起こしたXが事故直前に「車のブレーキが故障してる」という供述をしていたことを聞いたAの供述は非伝聞になる。
ここでは、要証事実が車のブレーキが故障したことをXが認識していたことである。
つまり、

Xが「車のブレーキが故障してる」という供述をしていた
  ↓推認
ブレーキが故障したことをXが認識していた

と推認することになる。
Xがこのような発言をしたこと自体からXのこの認識を推認することができる。なぜなら、知らなければこのような発言をXがすることはないからである。したがって、この場合は非伝聞である。
これに対して、

Xが「車のブレーキが故障してる」という供述をしていた
  ↓推認
車のブレーキが故障していた

と推認する場合、伝聞になる。なぜなら、Xが言ったかどうか自体で車のブレーキが故障したかが左右されるわけではないからである。そこでは、Xの供述内容が真実であるからこそ、要証事実である車のブレーキが故障したということを推認できる。したがって、この場合は伝聞である。


以上は、基本書等に書かれてある内容で基本的な事項だ。が、必ずしもそこでは内容の真実性について推認過程でどうなって伝聞・非伝聞になるかは詳細に書かれていなかったりする。
しかし、要は犯罪事実を証明するためにどのような事項を要証事実としているのかということを考えれば、「存在」自体を要証事実として意味があるのかどうかがわかってくるはずである。


眠くなってきたから今日はこの辺で。

*1:最判昭和38年10月17日刑集17巻10号1795頁参照

*2:酒巻・法教304号139頁

*3:田宮368頁、松尾55頁、光藤202頁、大澤・『刑事訴訟法の争点〔第3版〕』182頁、酒巻・法教304号137頁

*4:古江・法教331号176頁

*5:最判昭和38年10月17日刑集17巻10号1795頁は、「伝聞供述となるかどうかは、要証事実と当該供述者の知覚との関係により決せられる」という

*6:平野・「伝聞排斥の法理」『刑事訴訟法講座』212頁

*7:酒巻・法教304号143頁

*8:古江・法教341号170頁

*9:最判平18・11・7刑集60巻9号561頁

*10:上口423頁

*11:上口423頁