ペルソナ3のおもしろさ。の巻

試験終了後、いかに合格発表という名の死刑宣告まで怠惰るかを考えてます。
第1回目の死刑宣告はもうすぐ。


それまでに何しようかな?って思ってたら、だっつぁんから

 「ペルソナ3をやれ。」


というアドバイスをもらい、この10日間は全力でやってました。

ペルソナ3ポータブル - PSP

ペルソナ3ポータブル - PSP

今日、やっとクリアした。
プレイタイムは83時間くらい。主人公だけレベル90超えてました。


試験勉強に引き続き死にそうなくらい頑張ってやりました。ゲームを。
ものすごい不健全です。こういうゲームの楽しみ方はやめましょう。
こう振り返ると、1日10時間くらいやってたんだな……
試験勉強より集中したかもしれないにーやんでした。


体力的にきつかったけれど、おもしろいから全然苦にならなかった。
それくらいハマッた。
いや、まじで楽しめた。ペルソナ3
だっつぁんが、「感想を熱くブログで語ってくれ!」
とかいうから、語ろうと思うけれど、すごく長くなりそうだから、個人的な感想をポイントだけ、ここに留めたいと思う。

ドラクエなどのA級RPGとは全く別の人間ドラマのおもしろさ

はじめにおもしろいと思ったのは、リアルに「人間」をテーマにしてるところ。
ペルソナ3は、いろんな人との「コミュニティ」を築き上げることで自分の違った一面に気づいたりするという要素がある。


例えば、近所に住む小学生の少女や古本屋の老夫婦、病弱な青年や詐欺まがいなことをする大手通販会社社長、ネットゲームで知り合った学校の先生などなど。
ここに挙げたのは数名だけれども、これを見るだけでいろんな人間との接触があることがわかる。
このいろんな人との接触が、これまたいちいち泥臭い関係だったりする。


例えば、近所に住む小学生の少女は、親が離婚するとかもめてて悩んでいたりする。
そこでは、少女の悩みや親との葛藤を経験して成長する姿が主人公を通じてみることができる。
これらの人が出す最後の結論が、これまた「あぁ、そうくるか〜」って感じで考えさせられるものばかり。
しかも、そこで出された結論が正しいかどうかは「わからない」というのがこのゲームのポイント。



ドラクエなんかだと、「悪者がいて、それを倒し世界を救う」
という、きわめてシンプルでわかりやすい正義がテーマだったりする。
でも、現実の世界では右という考えがあったり、左という考えがあったりと、人の考えはいろいろあるわけで、どちらが「100%正解だ」なんていえないようなことってよくある話。
そういう、本当の人間社会での人間ドラマが築き上げる「コミュニティ」の1つひとつにこのゲームにはある。


なんか、法解釈に似てるかも、なんて思う自分は病気ですね。はい。


それから、ドラクエとかと違うな〜って思ったのが、ネットゲームに出てくる学校の先生と主人公が「コミュニティ」のランクの上がり方。
この先生は同僚の愚痴をいっぱい主人公にするんですね。
で、この愚痴を主人公と共有することで仲良くなったりします。


他人の悪口で盛り上がるってのはよくあるじゃないですか?現実社会でも。
そういう、なんというのって人間的には、どっちかというと「善」じゃない。ドラクエの主人公が仲間の愚痴で盛り上がるなんてありえないですよね?しかもこの先生はマジで同僚を嫌ってますから(ちなみに、この先生は現代国語の先生で、嫌いな先生が古典の先生で、現国VS古文みたいなことになっています)。
でも人と人との繋がりって、意外とこういう「悪」の要素であることもあると思うんですね。
まぁ、同僚の愚痴が「悪」かどうかは別として、なんというか、愚痴ることって人の弱い部分というか、マイナス面というか、そういう人の一面だと思うわけですよ。
そういうマイナス面も人の一面だというのも、このゲームでうまく表現されてます。
なんかこういうドロドロしたというか、普通に人間社会にある人と人との関係があって、リアルにおもしろいなと。


こういったリアルな人間関係を全面に出している点でドラクエなんかの、「愛と友情」なんかをテーマにしているRPGとは一線を画しています。


確かに派手なムービーや、リアルな3D要素があるわけじゃなく、A級RPGとはなれないかもしれない。
けれど、B級としては間違いなく世界トップクラスのゲームだと思いました。


ここから少々ネタバレになりますが、自分的にヒットだった病弱な青年の話を少し書きます。






病弱な青年はリアルに病弱です。まじです。
よく漫画やドラマなんかだと、奇跡的に治るってことあるじゃないですか?
このゲームはそういう「非現実的なしあわせ」な要素はないです。
はい、この青年(本当は少年のまま)はリアルに死にます。


しかし、それが不幸な人生かどうかは別の話。要するに、「人の生き様」って問題なわけですよ。
本を読むのが好きな彼は、自分のためにだけの物語を書くわけです。自分のためだけのしあわせな話。
その物語の内容が一見おもしろくて。


ピンクのワニが主人公の話なんですよ。
ピンクってところがポイントです。なんせワニがピンクなんですから、そりゃ森の中で目立ちまくりなわけです。
そのため、エサもろくに捕れなくておなかがグーグーなっとるわけです。
森の住人たちもこのワニを気持ち悪いとか、呪いだとか言って嫌っているわけです。
そんな中、そのワニが小鳥と友達になるわけです。
小鳥と一緒にいたピンクのワニは、あるときお腹がすくわけですね。
気がついたら、友達(小鳥)を食べてました(爆)。



ピンクのワニ「し、しまったーッッッッッ!!!!!!」



しかし、もう遅い。はき出したけれど、もう友達の小鳥は死んでました。
そして、このワニは何も食べられなくなるのであった。
まぁ、ワニに食べられる際に、小鳥自身がワニの口の中で眠っていたというのが原因の1つだったりするんですけど……
これが彼の考えたお話の途中まで。最後どういう話にするかを悩んでいる。
最後どうするのか、ってのは彼にとって生きる意味を見いだすことと同じだと考えているらしい。


って、おいおい、なんでこんな暗い話を書いたんだよ!
どこが自分のためのしあわせな話なんだよヽ(`Д´)ノ
ってなるわけですが、彼はこの話は暗い話かどうかはわからない。
このお話は、彼の「人生の言葉」だから、それ自体に明るいとか暗いとかはない。
他の何とも比較できない、彼の「人生の言葉」。それ以上でもそれ以下でもない。
自分のために書いた話が、客観的にはそうみえるのかぁ…そんな感じです。



でも、なんとなく理解できるかなぁなんて。
人間でもよくある話なのかもしれないな、って。
いや、別に人間が好きな友達を食べるなんてことじゃなくてね。
好きな人を無意識・無自覚のうちに傷つけるってこと。
それだけじゃなく、大切にしたいのに傷つけてしまうってこと。


ちょうど、この青年と母親の関係がそういう関係だ。



実は彼の病気は遺伝性なんです。
母親はこの青年を愛していた。
でも、母親の思いとは関係なく、遺伝性の病気をこの青年に与えてしまった。


こういうのって自分の周りを見ても実はよくあることだと思うんだなぁ。
自分は小学校の頃、クラスメイトの1人が重度の障害者がいました。
彼は人と意思疎通もできないし、「ら」しかしゃべれない。
でも、彼の両親は意図して障害を与えたわけじゃない。
本来なら障害者施設に行くほどの重度な障害だったと思う。
けれど、両親は自分の子を愛していて、その子のために何が最善かを考えて、普通学校に入学させたんだと思う。


だけれど、彼は障害者ということでかなりいじめられていた。
自分はなぜか彼と縁があったのか、中学校3年生のときも同じクラスだった。
今でも鮮明に覚えているけれど、あるクラスメイトが何かが原因で怒っていて、その障害者に八つ当たりするように蹴りを数発入れていた。しかも結構マジで。
さすがに止めに入ったけれど、蹴りを入れていた彼は俺に逆ギレしてきた。


こういった、障害者の彼にとっても俺にとっても理不尽な出来事とか、普通に人間社会ではあるわけですね。


話を戻すと、病弱の青年は、この遺伝性の病気で死ぬわけですが、その人生は暗いものだったのか?
それは彼にしかわからない。
確かに、彼はノートに恨み辛みを綴る生活を送ったりしていた。
けれども、彼の物語の最後が決まったときには、もう「僕だけが」という不幸な人間と思う気持ちはなくなり、その顔はしあわせそうだった。そんな彼は、もう手術を施すことができないほどの身体で、後は死を待つだけの状態だったにもかかわらず……


彼はこう考えている。


「死ぬのを待つばかり」は誰もが同じ。生きたら死ぬ。それはみんな同じ。
ただ違う点は、「その時」がいつやってくるかだけ。


そう考えた彼はこう言う。
「寂しいけど、悲しくはないんだ」


これはすごく難しい心境だなぁ。


死ぬことによって、愛する人と別れなければならないことは寂しい。
だけど、死が訪れること自体は悲しくない。


こういうことなのかなと、自分は思った。


最後に母親に感謝していた彼の人生がしあわせなものだったのかどうかは、誰にもわからないし、そもそも、しあわせかどうかを判断する権利もない。
なぜなら、他人の人生はその人だけのものだから。


こういうことを考えると、夫婦別姓選択制や不妊治療を想起してしまう。
なんというか、ライフスタイルの決定権というか、そういうのは他人がどうこういうことじゃないよな、って。
例えば、個人的には夫婦別姓なんて反対なわけ。だけど、他人がそうしたいと思う気持ちを否定する権利は俺にはないし、とか。
不妊治療のために排卵誘発剤を使ったりするらしいんだけれど、その薬のせいで受精卵がたくさん発生したりするらしい。要するに四つ子や五つ子なんかができたりするってこと。
10年前に大学で聞いた話だから、今はどうなってるのか知らんけれど、当時はこういった多数の受精卵ができた場合、「すべて殺すか、すべて生むか」しか選択権がなかったらしい。つまり、4つのうち1つを選ぶといった選択肢がなかったのだ。
その理由は、「命の選別をすることになり倫理的に問題だから」


ものすごく矛盾を感じるよな〜ってずっと思ってた。
5つのうち5つ殺すことはよくて、4つ殺すことは倫理的に問題があるというのだ。
変じゃないか?


まぁ、それを置いておいたとしても、「倫理」ってなんだ?
夫婦のライフスタイルは、第三者の作り出した「倫理」という名の下に否定されるってことか?


もちろん、覚醒剤を使ったりして犯罪を構成するようなライフスタイルの自由まで肯定すべきとは思わないけれど、「倫理」という名の下に他人が個人のライフスタイルを否定するような権利を認めていいのか?


そんなことを考えたりしました。


それから、正義感の強い風紀委員の話もいろいろ考えさせられました。
学校のトイレでたばこの吸い殻が発見されたという事件が発生したんですね。
で、風紀委員の彼は片っ端から不良っぽいあやしい人間を尋問しつづけるんです。男子トイレでたばこが見つかったのに、あやしい奴は女子まで犯人扱いします。


彼は正義を実現するには犯人を発見することが最優先だと考えていたのかもしれない。
けれど、そのやり方が戦前の刑事手続きみたい。
いや、それよりひどいやり方で、例えば、不良がやったという前提で詰め寄り、やっていないのならやっていないという証拠を出せみたいなやり方で犯人を見つけようとする。
要するに、「疑わしきは罰する」という精神の下で犯人を絶対に見つけるというやり方だ。しかも、疑われた者が自分の無実を立証しろという。


こういうやり方はえん罪を生むってことで、現在の刑事手続ではこんな司法手続は採用されていない。それが「疑わしきは被告人の利益に」という原則に現れている。
つまり、検察官が犯人だと思う人間が罪を犯したことを裁判所に立証しなければならない。立証責任は検察官にあるということだ。
そして、合理的な疑いを入れる余地がある以上、犯人かもしれない場合であっても、無罪とするというのが近代の刑事制度だ。


しかし、これが正義かどうかはわからない。むずかしい問題だ。
一方は絶対に犯人を発見するものの、そこでは無実の人も犯人とされるリスクがある。
他方は絶対に無実の人を犯人として扱わないとするものの、そこでは犯人が野放しにされるリスクがある。
犯人を捕まえるということも正義だろうし、無実の人を犯人に陥れないというのも正義の裏返しといえるだろう。


どちらを優先させるべきか、つまりどちらの正義が正しいのかどうかは自明ではない。
そんなことを考えさせられたりしました。


って、ペルソナ3やってそんなこと考えるのは俺だけ?


まぁ、ペルソナ3にはそういった泥臭い人間ドラマがいっぱい詰まってます。


そこでは、いずれも「正しい結論」かどうかはわからないものばかりで話が終わります。
しかし、結論がどうこうよりも、そこに至るプロセスの方が人生の上で実は重要だ。そんなことを学ぶことができる。そんな気がします。

■個性あふれすぎのキャラ

ペルソナのキャラはみんなそうなんですが、みんな個性出し過ぎです。
もちろん、見た目もですが、本当に1人ひとりが個性的な人格を持ってます。
上で書いた病弱の青年もそうですが、本当にいっぱい個性的なキャラがいっぱいです。


人間を描いたゲームって要素が強いのもあって、いろんな人が出てくるわけです。
かわいい女性もいっぱい出てくるんですね。なんというか、自分的にはヒットな絵なんです。


個人的には、神社にいる小学生の少女と、古本屋の老夫婦(特におじいちゃん)がヒットでした。


こんなことを唐突に言うと、ちょっと危ない人ですねあたくし。はい、否定しません。


神社にいる少女は小学生なんですが、素直でやさしい女子です。たこやきくれとかいいます。モロナミンGが大好きで、勝手に人のモロナミンGを飲むんですね。かわいいですね。
この少女は親の離婚で悲しんだりして、どうしてこんなことになったのだろうとか、そういう悩みを抱えているわけです。
すごく親思いの子だってのが、最後の彼女が出した決断でわかります。
自分に娘ができたら、こぷいうやさしい子になってほしいなって妄想します。はい、ヤヴァイですね。


古本屋のじいちゃんも、すごいいいキャラしてます。
じじいですけど、ちょくちょく横文字(英語)を使おうとしてきます。ただ、使おうとしているけれど、ちょっと惜しい感じなのがお茶目です。
しかも、この老夫婦、めっさ食べ物をくれます。
「これも持って帰り〜」
ってな感じで、いっぱいくれます。
あげパンを無理矢理ポッケに突っ込んできます。
いるいる。こういうじいちゃん。いや、あげパンは突っ込みにこないけど(汗)。


なんか、自分のじいちゃんやばあちゃんを思い出しました。


そんなわけで、個人的には少女と老夫婦が大好きで、ゲームでは少女か老夫婦のところばっかり行ってました。はい、あぶない主人公ですね。


なんというか、こんな風にゲームに吸い込むキャラが多いです。


あ、あと「型破りな僧侶」とかも出てきます。
僧侶が型破りってどんなんやねん!!!!
そんな突っ込みをしたくなりますね。はい。そんな突っ込みし出したら、このゲームは突っ込みっぱなしで進みません。気をつけましょう。
なんつっても、保健の先生が授業で魔術の歴史を事細かく教えてくれるくらいなんで、いちいち突っ込んだらダメです。突っ込んだら負けです。勝ちましょう。

■音楽が他のRPGと違う!

これは意見が分かれると思いますが、個人的には音楽が好きです。
RPGでは類を見ないナウいサウンドです。
なんつっても、バトルの音楽がラップの要素を含んでます。
なのに、すごく合ってる。


ラップは個人的に特別好きなジャンルというわけじゃないんですが、はまりました。
全体的にはハウス調がメインかな?
何はともあれ、音楽がペルソナ3の世界観とすごくマッチしてます。


だっつぁんが言ってたように、ボス戦の音楽がめっさかっこよかった。
ベルベット・ルームという部屋があって、その音楽は、アヴェ・マリアをアレンジした感じのやつで、これがいい曲なんです。

ラスボス戦ではロック調になってて(2:20あたりから始まる部分)、すげー燃えます。
なぜラスボス戦がこの曲をベースにしているのかってのも実は秘密があったりして、うまいこと「ペルソナ」たる所以がここでわかるようになってます。


え?アヴェ・マリアじゃないって?
あ、アヴェ・マリアといってもマイナーな方です。カッチーニの曲で、J.S.バッハアヴェ・マリアじゃないです。

いい曲だし、歌ってるKOKIAがこれまたうまい!


いろんな面でこのゲームは、RPGとしての音楽性という面で他と一線を画しています。


他にも、ゲーム性のバランス感(RPG的要素と恋愛シミュレーション的要素がうまいこと融合されてる)や、そもそもの主軸となるストーリーもすごいいいです。
あ、あと声優がすごいです。個人的には流川楓声のあの人の声がたまりません。いや、別にゲイ的なあれじゃないです。普通に渋いなと。


またまたたくさん書いてしまったのでこれくらいにしときます。