【論文・択一対策】基本書と参考書についての覚書【一元化ノート?】

■基本書は薄い方がいい?

司法試験の勉強をはじめると法律の本や資料が増えていかないですか?
ロースクールの授業だけでも、膨大なプリントが配布されたりします。
プリントを読むだけで1週間終わりそうなときもあったりするかもしれませんね。


予備校の先生の話を聴くと、よく「手を広げすぎないこと」という注意をよく聴きます。
これは全くその通りだなと思うわけです。
とりわけ、司法試験が難関だといわれる原因は、個々の問題が難しいというよりも、その試験範囲が広範過ぎるという点が大きいです。
ゆえに、タダでさえ広範な試験科目をまんべんなくつぶすには、「手を広げすぎないこと」というのは非常に重要なことです。


例えば、論文問題で陥る最悪の状況。
「木を見て森を見ず」
こうなると、論文問題でも明後日の答案を書いたりしちゃいます。
で、最悪の評価を受けて気分は↓↓↓↓
理由は簡単です。

何これ?全然わからない
  ↓
でも、なんかこの論点が絡むっぽいな…
  ↓
とりあえずこの論点の論証を書いといて(でも論証は適当)
  ↓
で、この事実が関係しそうだから、こじつけて、っと
  ↓
なんとなく書けたぞ(書けてません)

こんな感じで答案を書いた人っていませんか?
とりわけ、司法試験の問題は、そもそも何が問題(論点)なのかがわかりにくいものが多いです。例えば、今年の会社法の論文問題で、きちんと財源規制の論点に気づかなかった人はいるでしょう。
こういった傾向は、事実が長くなった新司法試験では顕著です。


この状態は、まさに「木を見て森を見ず」の状態です。

  • 各論点(木)は一応知ってる(つもり)。
  • だが、一連の事実(森)との関連性に気づかない。


これが、試験委員やロースクールの学者さまが悪く言う「論点主義」ってやつです(「論点」を知らないでいいという意味ではない)。
つまり、この状態は本当の意味で論点を理解しているわけじゃないんですね。
本当に論点を理解していれば、その具体的事実の中からどういった法的問題が発生するのかということを発見できるからです。


自分的に言えば、新司法試験は「真の論点主義」なんですね。ちゃんと法的論点について理解しているのかを問う「論点主義」。
配点は結局、論点中心になされているから「論点主義」といえばそうなんです。
ただ、論証を暗記しているだけじゃだめ、という意味(暗記が不要という意味ではない)。これは旧司法試験時代から言われていたことです。


したがって、細かい論証「だけ」をいくら覚えても、試験対策的には効率が悪いといえます。もちろん、基本概念の暗記は必要です。
問題は、そこから法的問題を「考える能力」が試験では重要になるということです。
これは何度も繰り返したことですが、一見難しい問題も、実は基本に立ち帰ってよく考えると法的論点が見えてきます。細かい知識を問うのが難しい問題というわけではありません。
そこで重要なのが、基本事項についての理解ということになります。基本制度の意義、趣旨、要件・効果などです。
そういう意味では、ある法制度について概説している基本書については、細かい知識ではなく、制度の幹を重点的に記述しているものが試験対策的には望ましいと思います。
そういった1冊を何度も読んで基本事項をものにする。「ものにする」、というのは上記の意義、趣旨、要件・効果を正しく理解して、必要なものは暗記して論文で表現できるようにしておくということです。
論文対策とはそういったものの積み重ねだと思います(もちろん「考える力」を養成するのに過去問、演習問題を解くことは必須)。


ですので、「手を広すぎないこと」というのは、司法試験対策として消極的な意味ではなく、積極的な意味で捉えるべきでしょう。これも策略です。
もちろん、基本書を読んでるだけじゃ、「わかったつもり」になってしまうので、ちゃんと演習問題を解いてその「つもり」をチェックしなければ、いざ試験になったときに
「あれ?これやったとこなのに、なんかよくわかんないな……」
みたいな状況になってしまします。
これは

演習問題を解く
  ↓
理解不十分の事項を確認・復習する

という当たり前のことを繰り返すことで回避できます。
そして、薄い基本書でもその記述が深いんだなということが発見できます。
薄い基本書を薄い知識のままにして放置すると、また「木を見て森を見ず」となってしまいます。


以上のような意味で、「基本書は薄いのを1冊」というのは全くもってその通りだなと思います。


ただ、ロースクールの授業のようにプリントや参考書を膨大に読ませることが全否定されるわけではありません。
問題は、その中身です。内容です。


司法試験では1つの論点について、色んな角度から聞いてきます。例えば、今年の行政法の立法論の設問がそれです。
そういう意味では、基本書に書かれている角度だけよりも、色んな演習問題で1つの論点を解くことの方が試験対策になります。
つまり、1つの論点について多角的に理解するという意味では、膨大な資料も参考になる、すなわち試験対策になるということです。


しかし、ロースクールの授業によっては、そういう意味ではなく、ただ論点との関係が希薄な細かいことを色々と書いてある資料を読ませることもあり、これは試験対策的には効率も悪く、何よりも苦痛でしょう。


個人的には、実践的な演習問題をたくさんすることで、1つの論点を掘り下げるのがいいと思います。
そして、その復習には薄い基本書ではなく、分厚い参考書を使用するのがいいと思います。
注意すべきは、別に分厚い参考書をすべて読むべきということではないということです。
分厚い参考書でも、1つの論点については数ページ程度の記述が一般です。ですが、分厚い参考書には概ね多角的な検討がなされています(参考書による)。
多角的な視点から論点を勉強するのに、参考書はとても役立ちます。もちろん、何を参考書に選ぶのかによって変わりますが。


そして、このような使い方は決して、手を広げているというわけではありません。
例えば、辰已のスタ論なんかを受けると、参考答案も含めると、その解説量は膨大です。
その他の、予備校の基礎講座でも1つのテキストを使用しつつ、ときにはレジュメが膨大に配布されることもあります。
「おいおい、薄い基本書1冊で十分じゃねーじゃないか。結局、手を広げてるじゃん」
と思う人もいるかもしれません。
しかし、そうじゃないのです。
それらは、いずれも(たぶん)1つの基本概念について多角的に理解するために参考になる情報ばかりです。
ときにはその情報が膨大な場合もありますが(たまに)、決して手を広げているわけじゃありません。
重要な論点(刑訴法の伝聞など)によってはそのように時間を費やす必要があります(常にではない)。


そういう意味ではロースクールよりも受験対策を全面に出している予備校の作る資料の方が論文対策になる情報が多いかもしれません。
ただ、これも完全というわけじゃなく、「は?何この解説……」みたいなものもないわけではありません。(解説作成の)人材の問題かもしれません。


このように、ロースクールも予備校もどっちが完璧ということはありえません。
換言すると、どっちにしてもいい先生に巡り会えたかどうかの問題といえます。いい先生に当たると完璧。後は自分の努力なんですから。


少々脱線しましたが、ここで言いたいことは、「基本書は薄いのに限る。あまり手を広げるべきではない」ということと、「参考書をたくさん読む」ということは、必ずしも矛盾するわけではないということです。
要はその使い方の問題です。
参考書は受験対策に使えるもの選び、演習の復習用などの限定的に使うべきでしょう。隅から隅まで読み込むのは受験対策的には非効率です。


つまり、常用として使用する「基本書」と、その名の通り参考すべきときにのみ使用する「参考書」は、試験対策上の位置づけが異なるということです。
特に独学で試験対策をしている人にとっては、いずれも使い方で有益にも有害にもなり得ることを自覚して、効率のいい使い方で勉強しなければ、全科目を回せません。


以上のような考えから、使える基本書、参考書、演習書等について記事にしています。

■ノートの一元化はすべき?

「ノートの一元化」
自分用の弱点を克服するために情報が一元化されたノート。
そう聞くと、なんとも効率的なものだと思うかもしれない。
にーやんもこういうノート作成を何度かしたことあります。
そういうことをしてきた経験から、いくつか注意すべき点があります。

  • 論文対策としてのノート

論文対策におけるノートには、定義、趣旨、要件・効果、その他に論証などをまとめることが考えられます。
しかし、こういうのは効率的とはいえません。
なぜなら、それらは基本書に書いてあることで、わざわざノート作りに時間を割く必要性は乏しいからです。
弱点克服という観点ならば、基本書に弱点部分だけ付箋を貼れば足ります。
論証も市販のものが沢山ありますし、必要ならそれを加工すれば足ります。
わざわざ1から作るのは面倒くさいだけじゃなく、非効率的です。


そして、何よりも学習が進むと、弱点が克服されていきます。
そうなると、当初、時間の効率的な使い方として作ったはずのノートに克服された弱点もノートに残り、当初の目的のノートと違ってきます。
とりわけ、学習の初段階においてノート作りなんて始まると、「あれも必要、これも必要」となり、とてもノートなんていえる分量に収まらず、基本書並のノートになりかねません。


そこで、仮にノートを作るとしても、その前には十分に論文問題を解いて、解説を読んで、復習を繰り返して、ある程度弱点が見えてくるくらいにならないと、真の意味で弱点の克服を目的とするノートになりません。
よく、ノート作りが好きな人は合格が遅れる、と言われますが、こういうことでしょう。


個人的には、薄い基本書を使っているならば、そこに直接論文で必要な情報を書き込めば足りると思います。
例えば、問題演習をして、弱点部分を発見して基本書にその部分をチェックする。理解不十分のチェックとか、暗記必要のチェックとかしとけば、メリハリつけて復習できると思います。
暗記すべき部分は読むだけじゃなく、何かに書いて覚える必要があるでしょうが、そういったメリハリをつけて基本書がボロボロになるくらい繰り返して使った方がいいと思います。
そのときによって、不要な部分を飛ばせば素早く回せるでしょう。


それよりも、論文対策に必要な能力は「考える能力」です。
問題演習などを通じて、「〜〜の問題については○○のように考える」みたいな、考え方のほうが有益な情報なことがしばしばあります。
場合によっては、そういうことをまとめた方がいいこともありますが、こういうのも基本書にメモればいいと思います。
量的に無理なら、「使える考え方」みたいなことを書いて、演習書や参考書の参照ページをメモっておけば足ります。

  • 択一対策としてのノート

択一対策も上記同様、意義や判例などをまとめることが考えられます。
しかし、上述の通り、市販されたものがすでにあります。択一六法や判例六法など。


これも1から作成するのは費用対効果の点から良くないと思います。


それよりも、肢別本や過去問の間違えたものをチェックして、その解説を何度も読み、理解して、必要なことを暗記する、といったことを繰り返す方が効率的です。
復習箇所はもちろん、誤った肢ですが、細かい部分については、同時に参考書を使うといいと思います。
例えば、刑訴法の告訴なんかは、あまり詳しく勉強をしていない場合もあります。
この場合、間違えた肢そのものを復習すると同時に、告訴制度について参考書を読む。なぜ基本書ではなく参考書なのかというと、択一で出た肢に関係する部分は細かくても出る可能性があるからです。
一見、上述の「手を広げすぎないこと」というのに反するように見えますが、択一対策では択一に出そうな知識を得ることこそが受験対策のため、不必要なことをしているわけではありません。
ただ、時間がかかるんじゃないかと思い、非効率的だと感じる人もいるかもしれません。
しかし、そうじゃありません。
やっていることは、問題に出た条文の○○条の1項1号だった場合に、その条文の他の項や号についても押さえる、ひいてはその節について押さえる、そういったことに過ぎません。
逆に、問題に出た条項だけで復習した「つもり」になった場合、翌年には2項がでたり1項2号が出たりする可能性はあるわけで、「その部分は復習したのにわからなかった」みたいなことになりかねません。
これって、効率悪いと思いませんか?


問われた法制度はいつ試験に出てもおかしくない。それはよく指摘されることです。
じゃあ、例えば、刑訴法231条は被害者が制限能力者であったり、または告訴をしないで死亡した場合についての告訴権について定めた規定ですが、2項本文が出題されたからといって、1項や2項但書が出題されないなんて保障はありませんよね。むしろ、2項本文が出たなら1項も2項但書も出題される可能性があると思うはずで、それは当たっているわけです。


にもかかわらず、肢別本等の解説にはその条文についてもピンポイントの部分しか載っていなかったりするわけです。
その復習は重要ですが、せっかくなのですから231条2項本文の知識とセットで231条自体を押さえた方が効率いいと思いませんか?別の問題で231条1項が出題されて間違えたらまた復習するというやり方よりも。
で、告訴制度について理解が進んでいないのなら、告訴の条文である230条から243条も一回はまとめて押さえておいた方が後々になって楽になります。


そういった意味で、一見、参考書で該当制度の復習をするのは遠回りのようで、後々のことを考えるとむしろ近道だと思います。
もちろん、細かすぎる知識までは不要です。参考書には制度の根本的な説明があるので、そういう部分から、意義、趣旨、要件・効果などを確認するといった感じです。
ここで、法制度の総論的な知識を押さえるわけです。


したがって、ノート作りをするよりもそういった有益な情報を間違えた問題の解説などにメモするだけで足りると思います。
メモは、その問題集に参考書のページ数を書き込んでおくだけで十分です。
これで問題自体の知識(各論的知識)とその総論的知識を押さえる手段は確保されます。


結論的には、わざわざノートを作るよりも、間違えた問題をちゃんと復習して定期的に繰り返して解くことに力を入れる方が効率がいいと思います。
ノート作りはそういうことをすべて終えた人じゃなければ、実践的なノートになりません。
そういった実力者でもわざわざノート作りをせずとも、択一六法などで知識を総ざらいができます。
問題を解く際に繰り返し間違えたものについては、付箋をするなどして、該当箇所の知識を総ざらいすれば足ります。

  • まとめ
  • 論文対策のノートは、薄い基本書に書き込みすることで足りる。
  • 択一対策のノートは、肢別本などの問題集に参考書の情報や参照ページをメモしておけば足りる。


あ、今日はまた長々と書きすぎたなぁ。
気をつけないと……