だっつぁんらとしゃべってて思ったけど、予想以上に日本はヤバいかもしれない。

昨日、だっつぁんらと話してて思ったけど、拉致問題とか含めた北朝鮮との問題はひょっとしたらどうでもええって感じなんかな?
あんだけ被害者たちが訴え続けても、


拉致被害者は、いい加減長いこと引っ張りすぎ」
「これ以上、北を刺激すんなよ」


みたいな感じに思ってる国民が日本には多いんか?
それとも、どうでもええって感じなんか?


そうかもしれへんな、と。


なんかその感覚は色々考えると、かなりヤバいと思った。
こういう感覚が普通になってる日本ってもう侵略されても仕方ないような感覚であることに無自覚だから。
1番ヤバいと思うのは、自覚なき平和ボケ。


例えば、同胞が他国から侵害を受けたら、普通の国の国民なら怒る。
中国なんかはちょっと頭おかしいんじゃないか?ってくらい。
それが情報操作やらで間違った方向に行くことはあるけど、その感情自体は国民としては普通といえる。


けれども、間違った個人主義と間違った自由主義のせいで、日本人ということすら希薄化され、「個」というものが他国それとは変わっているんじゃないか?


10年くらい前に、少女を自宅に10年間監禁してた奴が逮捕されてたけれど、これは犯罪として裁かれた。
ひどい事件だったが、司法制度による正義が実現された。


では、北朝鮮による拉致被害者は?
10年どころの話ではなく、当初はただの行方不明として犯罪性すら否定され、警察にも相手にされず、社民党北朝鮮は拉致などしていないし、北朝鮮を刺激するようなことを言うなとか、被害者からすればあり得ないことを言い出してしまう始末。


未だに拉致認定されていない被害者(特定失踪者)が数百人もいる。


そういうことを知らない人は、
「たった数人が拉致されただけじゃね?もういいよ」
なんて感じなのかもしれない。


北朝鮮はこれを適法な行為として実行したわけで(キム・ジョンイルは部下が勝手にやったこととか抜かしてたけど)、北朝鮮によって数百人以上もの人生が奪われているのに、小泉がこの問題を国民に明示して訪朝するまで、ほとんどの人が無関心なままだった。
先の個人による犯罪レベルとは比にならないこの問題は、他国によって自国の人間の人生が侵害されるというものであって、最も最悪の主権侵害だろう。
しかも、裁かれることなく、拉致監禁は現在進行中である。


wikipedia:北朝鮮による日本人拉致問題



最近、尖閣列島の問題で色々ニュースで報道されているが、領海侵犯とは比べものにならない侵略行為であるにもかかわらず、風化しつつある。


こりゃ、日本人が朝鮮人に殺されても、もう殺られるがままなんかな。


そんな不安を覚える。
俺の友人は、自国民の生命、財産のために自衛隊で頑張っているけれど、ほんまに申し訳なく思う。
日本人が日本人のことすらどうでもよくなっているのならば、もう殺られるしかない。
そういうのを理解して、韓国、北朝鮮、中国は実際に日本の主権を着々と侵害しつつある。


それでも、「拉致被害者がいらんこといって、北朝鮮からミサイル飛んできたら責任とれんのか?」
そういう感覚なのかもしれない。
ちなみに、田母神閣下や軍事ジャーナリスト、米国の見解からすると、それはありえないらしい。やった瞬間に北朝鮮は終わるから、そういうリスクはおかさないと。


こういう日本国民の無関心さの中で、小泉が訪朝して少ないものの拉致被害者を連れて帰ったことは、何よりも賞賛に値する。
その立役者が安倍晋三であった。


実際に総理経験もして任期は短かったものの、防衛庁から省への格上げをして、何よりも教育基本法を改正したことの意義は大きい。
そもそも、こういう(異常な)国民感覚は教育によるところが大きいから。


ハッキリ言えば、日教組主体による糞左翼教育の成果である。
この糞思想がうまいこと浸透してしまったことが、今の日本の現状を生んでいる。
しかも、1年や2年ではなく、戦後60年以上の賜なのだから本当に質が悪い。
さらに言うと、「左翼思想の無自覚なままの浸透」という点でも厄介な点だ。


「俺は右翼だと思う」
「俺は左翼なんて嫌い」
「俺は左翼も右翼も関係ないと思う」


こういうこと言ってても、無自覚のまま左翼思想で物事を考えたりしてしまうパターンが少なくない。
「自覚のないことを自覚しろ」
と言われても、それは困難なことであって、それゆえにこの左翼教育の根深さがある。


この問題を打破するきっかけが改正教育基本法といえる。


改正教育基本法では、当然のことが明記されることになった。
「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」
日教組はこれにかみつく。


これに対しては色々言いたいこともあるけれど、とにかくここで言いたいことは、


平和というものはタダでは手に入らないということ


北朝鮮や中国にいらんことを言わなければ平和が維持できると勘違いしている人が結構多い。


憲法9条を守る
他国を刺激するようなことはしない


こういうことを平和のためだと勘違いしている人が少なくないのである。
確かに、他国を刺激する内容によっては間違いもあるが、そういう態度に徹することが平和のためというわけではない。

逆に、こういうことをしている日本なのに、
じゃあ、なぜ今中国は尖閣列島付近の日本の主権たる領海を侵犯しているのか?
なぜ北朝鮮工作員によって多くの日本人の人生が奪われたのか?


それは、日本が自国を防衛する意志が欠けているから。
これは、憲法9条改正に反対とかそういうレベルだけじゃない。
リスク回避のための最善の行動をしている「つもり」になっている国民の思想そのものに欠点がある。


最後の最後には、戦うか殺されるかの2者択一を選ばなければならない。
そういう当たり前のことが、日本という平和な状況を装っている国ではピンとこない。
しかし、何も自国の平和を守るためにしなければ、それは殺されてもいいという黙示の意思表示であって、だからこそ他国は日本を侵略しても大丈夫だという発想になる。
そして現に日本国の主権が侵害されているわけで、それに対して真剣に向き合おうとする国民がいないに等しい。


俺が何言ったところで、個人の独り言に終始するわけで、このことを国民が自覚するのは実際に戦争になった後、それとも日本国がなくなった後なのかもしれない。


国家は、①領域(領土、領海、領空)、②国民、③主権によって成り立つ。
今の日本には本当の意味での国民はほとんどいなくなってしまっているのかもしれない。
なら、拉致被害者がどうなっても、自分にミサイルが飛んでこなければいいというのも理解できる。


しかし、この不安定の弧に属する極東において、本当の意味で平和な日本を実現するためには、他国に対する発言力がなければならない。
それが外交。
武力による外交、すなわち戦争にならないように平和を維持したいのならば、この発言力がなければやられたい放題だ。


そのためには、一刻も早く、憲法9条を改正して、「自衛隊」から「自衛軍」に変えて、自国を守るための実力を備えることが大前提になる。武力なき国家なんて発言権すらないに等しいのだから。


国民自身もそろそろ「自衛隊」なんて名前に騙されたままなのを卒業しなければならない。


長期的には、自国を守る人材の育成をしなければ、この戦後レジームから脱却できない。
だからこそ、教育が重要になる。
安部はその要である教育基本法をあるべき方向に改正したという功績がある。


「自国を守る人材」というのは何も軍人だけではない。
軍事技術という最先端の技術を有する人もそうだし、政治家もそうだし、何より普通の国民も含まれる。
自国を守ること、平和を維持すること、これらを真剣に考える最低限の素養がなければ、最善の決定はできない。
ありがたいことに、国民主権という言葉が体現するように、主権は国民にある。
この日本の運命を最終的に決定するのは、中国でも、在日朝鮮人でもない。
日本国民が日本の運命を握るわけである。


自分だけじゃなく、未来の子どもたちのためにも、本当の意味での平和を実現したいのならば、そういった教育が重要だ。


「3500円のカツカレーを食べる奴=庶民感覚なし」


みたいなアホなことをマジで言う奴がいる日本は本当にヤバいと思う。
そんな理由で、日本の平和に貢献できる資質のある政治家を排斥しようとするのは、本当にヤバいだろおい。


そもそも、政治家は地方も国も同様に国民によって選ばれるわけで、政治に対する批判は国民がそういう人間を選んだ結果なので、政治家批判はそいつの選挙区の国民に対する批判と同じだ。
要するに、鳩山や菅直人に投票した人間が悪いわけだ(投票すらしていない人間はその結果殺されても文句言えないくらいの立場だが)。
それが主権を持つ国民の責任でもある。


要するに、こういうアホな奴らを国会議員にしないような仕組にしなければならない。
だから、「本質を見る目」とうものが重要になる。
イメージだけで、ヤワラちゃんとかに投票する政治に素養のない人間が多いのはちょっとヤバいだろ。
もちろん、政治学を学べというわけではなくて、必要最低限の知識は教育でなんとかしなければ、カツカレーの例になってしまう。


本当に日教組による誤った思想植付け教育はひどい成果だ。成果が立派すぎてほんとやるせない。
教育勅語を教えた方が100倍日本はマシになってたと言わざるを得ない。


wikipedia:教育勅語


改正教育基本法によって、「国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」ができれば、未来の子どもたちは正しい方向性に向かうのかも知れない。
しかし、教育には時間がかかる。


本当の意味での平和はいつくる?