第1章 伊藤眞から民事訴訟法への招待!の巻


昨日、初めて民事訴訟法について書いたみたいなんで、いきなり訴訟能力かよ!?って今日思いました。
そこで、伊藤眞先生に民事訴訟法へ招待してもらうことにした。
まぁ、これもまとめみたいなもんなのだ。


ポイントは、紛争解決の主体基準。納得できる紛争解決のために、民事訴訟法はどのような仕組みになっているのかという視点である。民事訴訟の目的も、指導理念もこの視点から考えれば、理解しやすい。



第1章  民事訴訟法への招待


1 紛争解決の必要性
人間と人間とのかかわりには、無数の形態がある。たとえ、愛を基礎とした関わりであっても、何かのきっかけで争いに転化することもある。まして、財産や経済的利益を基礎とした関わりの場合には、当事者の主張が対立すれば、容易に紛争が発生する。神の目からは1つの事実であっても、それぞれの見方によっては、その内容が違うこともあり得る。法律的な考え方が食い違うこともあろう。極端な場合には、自己の側の主張に何の根拠もないことを知りながら、それに固執する人もいる。
2 自力救済による解決
当事者が、裁判手続によることなく、自らの実力によって自己の権利を実現、確保、あるいは回復することを、自力救済という。社会に存在する紛争のすべての解決を裁判所が引き受けることができない以上、一定の範囲での自力救済が存在することは認めざるを得ない。
しかし、自力救済の場合、単に一方当事者の権利主張があるに過ぎない。一方当事者の主張事実が事実であるかどうか、またその事実を前提とすれば、法律または、条理上、なんらの客観的根拠がない。すなわち、解決の正当性を基礎づける客観的根拠がないのである。したがって、紛争解決のために自力救済が許される範囲は極めて限られたものと考えざるを得ない。


第1節  民事紛争解決のための諸制度


紛争解決のための制度には、解決内容の正当性を保障するため2つの特徴を備えている。
第1は、中立的解決機関、すなわち対立当事者以外の中立的第三者に紛争解決の役割を与えること。
第2に、正当な解決基準、すなわち解決内容が真実に立脚し、かつ、社会が正当とみなす解決基準が適用されていることである。逆に、①紛争解決機関の中立性、および、②解決基準の正当性を欠く紛争解決制度は、社会的に受け入れられない。

民事訴訟は3つの特徴を備えている。
第1に、中立的紛争解決機関として、裁判所が手続を主宰する。
第2に、紛争解決基準としては、実体法が適用される。
第3に、被告の側は、訴えが提起されたことによって、応訴の意思にかかわらず、訴訟法関係に組み込まれる。それゆえ、被告が応訴のための訴訟行為を行わない場合であっても、その者を名宛人とする判決の言渡しがなされるし、その判決は両当事者に対する拘束力をもつ。


第2節  訴訟事件と非訟事件


民事訴訟は、私人間の権利関係に関する紛争の解決を目的とするものである。非訟事件もこれと同様に、私人間の法律関係に関する裁判を目的として設けられている手続である。両者は、①裁判所において行われるものであること、②公権的な判断を示す手続であることという点で共通性がある。
もっとも、非訟事件は以下に述べる理由から訴訟事件と相対的なものではあるが区別される。
1 争訟性 
非訟事件は、争訟性の程度の違いから①非争訟的非訟事件と、②争訟的非訟事件とに分けられる。②争訟的非訟事件は、係争利益に関わる利害関係人が対立するわけであり、その意味で訴訟事件と同様である。これに対して、①非争訟的非訟事件は、司法権の本来的守備範囲に属するものではなく、むしろ行政権の範囲に含まれるものと考えられる。このことから、非訟事件の第1の特徴は、必ずしも紛争性を持たない非訟事件と、紛争性の明らかな争訟事件の両者が含まれているところにある。
2 裁量性
第2に、訴訟事件における裁判所の判断は、最終的には要件事実、およびそれにもとづく権利義務の存否の判断に集約され、それ以外に裁判所の裁量的判断を入れる余地はない。これに対して、非訟事件の審判の対象は、権利の具体的態様を定めるものであり、その判断は確定力をもたない。すなわち、非訟事件の場合、権利義務の確定を目的とせず、したがって、要件事実存否の確定の必要もない。それゆえ、非訟事件における判断の裁量性は、厳格な要件事実の認定や法律要件に拘束されずに裁判所が法律関係を形成し得ることを意味する。
第3に、審理の方式が訴訟事件と非訟事件とで異なる。憲法82条1項における対審とは、訴訟手続における口頭弁論を指すものと解されている。そのため、訴訟手続においては、裁判所の判断の基礎となる事実についての審理は、公開の法定における口頭弁論期日を開いて行わなければならない。これは、訴訟手続が権利義務の確定を目的とするために、公開の法定において両当事者に対等な主張・立証の機会が与えられなければならないからである。これに対して、非訟事件は、権利義務の確定を目的とするものではない。それゆえ、審理手続を公開の口頭弁論によって行う必要はない(非訟13条)。また、職権探知が原則とされていること(非訟11条)、裁判については、決定の形式で行われること(非訟17条1項)、取消し・変更が認められており自己拘束力が存在しない(非訟19条)ことなどの特徴も、このことを基礎としたものである。
3 訴訟事件の非訟化 
もっとも、訴訟事件と非訟事件の区別は相対的なものである。
第1に権利義務に関する実体法の要件事実の定め方によっては、裁判所による評価を前提とする事実を規定することがある。このような要件事実の存否については、必然的に裁判所の裁量的判断の余地が大きくなり、その面では、訴訟事件の審理と非訟事件の審理との間に連続性が認められる。
第2に、同一の権利義務について、①その存否の争いと、②その態様についての争いが分けられる。この点、権利義務の態様を非訟手続によって定まるとすれば、実際上権利の存否自体が非訟手続によって決せられるのと同様の結果とならないかとの危惧が生じる。仮にそのような結果が生じるとすれば、憲法82条に違反しないかどうかの問題が生じる。
判例は、この問題について次のような基準を立てる。すなわち、①権利義務関係の存否そのものを確定するためには、訴訟手続によらなければならないが、②権利が存在することを前提として、その具体的内容を形成することは、非訟手続によることが許されるとする。判決手続ではない非訟事件の裁判には、既判力は存在しないので、仮に非訟手続によって権利の内容が定められたとしても、後に判決手続において権利そのものの存在を否定することが妨げられるわけではない。
以上のように、訴訟事件と非訟事件との間には、一応の区別が立てられる。しかし、そのことは、手続保障など訴訟事件において通用している基本的理念が非訟手続において価値をもたないことを意味するものではない。少なくとも、争訟的非訟事件においては、係争利益に関わる利害関係人が対立するわけであり、裁判所が判断を下す前提として、利害関係人に対して主張・立証の機会を与える必要は、訴訟事件と同じく存在する。もっとも、その手続保障の必要が、厳格な形をとらず、実質的に主張・立証の機会を保障すれば足りるという形で現れるところに、非訟事件の特徴がある。


第3節  付随手続・特別手続


狭義の民事訴訟とは、私人間の権利義務または法律関係をめぐる紛争について、裁判所が公権的な判断を下す手続である。判決手続とも呼ばれる。この判決手続によってその存在が確定される権利のうち、給付請求権に関して強制的手段によって給付の実現を図り、紛争の最終的解決を目的として、法は、判決手続に付随するものとして、次の手続を設けている。
第1に、①給付請求権の存在を公証する文書を債務名義として、国家機関たる執行機関が請求権の実現を図る手続である、強制執行手続、第2に、②判決手続と強制執行手続とを連結する目的をもつ手続、すなわち強制執行が実効性をもたなくなるおそれがある場合に、執行によって実現されるべき請求権を保全するために、仮差押えおよび仮処分を内容とした暫定的処置を認める手続である、民事保全手続がある。その他、③倒産処理手続がある。
また、判決手続と同様の目的であるが、対象となる法律関係の特徴に着目して、特別の手続が設けられている場合がある。この手続を特別手続という。①督促手続、②手形・小切手訴訟、③少額訴訟、④人事訴訟、⑤行政訴訟がある。


第4節 民事訴訟の目的と理念


訴権とは、原告がもっている訴えの提起権能を意味する。その内容をどう構成するかが、民事訴訟の目的をどのように考えるかという問題と重ね合わされて議論されてきた。実体法上の権利と訴権との関係をどのように考えるか、給付・確認・形成という訴えの3類型を統一的に説明できるか、あるいは訴訟要件の意義をどのように説明するかなどの問題とも関わって議論されたため、民事訴訟の目的論は問題を複雑にした。


第1項  訴権論


紛争解決説は、訴訟による紛争解決の要請が実体法に先行するという認識を前提として、紛争解決こそが民事訴訟の目的であるとする。したがって、訴権は原告が本案判決による紛争解決を裁判所に対して求める権利として構成される。紛争解決説は、一方で、①原告が民事訴訟を利用する目的を考慮し、他方、②国家、すなわち民事訴訟制度の設営者の利益をも尊重しているところから、民事訴訟の目的を矛盾なくして説明できる。
もちろん、紛争解決といっても、実体法が整備されている現在では、実体法が基準とされることは当然である。もっとも、実体法の文言は完全なものではない。それゆえ、変化する社会の要請に応じるためには、その文言のみにとらわれては、真の紛争解決につながらず、民事訴訟の目的が実現されるとはいえない。そこで、裁判所としては、憲法を頂点とする法秩序全体を考察し、紛争解決の基準となる実体法を探求することが必要である。
また、紛争解決は、①法的基準に基づいて行われなければならないと同時に、②適正、かつ、迅速なものでなければならない。なぜなら、法適用の前提となる事実が真実からかけ離れたものであっては、適正な解決とは考えられないからである。また、当事者に十分な主張・立証の機会を与えないままに行われる裁判も適正なものとはいえない。それゆえ、手続保障も適正な解決の内容である。さらに、遅延した解決も、当事者および民事訴訟制度を支える納税者たる国民の期待に反するものである。
以上より、民事訴訟の目的は、法的基準に基づいた、適正、かつ、迅速な紛争解決のための裁判所の判断を示すことにある。


他方、手続保障説は、この手続保障こそが民事訴訟の目的であるとする。すなわち、両当事者に対して行為責任規範に応じて、攻撃防御を尽くす機会を与えることこそが民事訴訟の目的であり、判決はその結果に過ぎないという。たしかに、手続保障とは、審理の中で両当事者に対して主張・立証の機会を保障することであり、この意味での手続保障が民事訴訟の指導理念の1つであることについては異論がない。
しかし、手続保障を自己目的化することになると、裁判所の判断が紛争解決にもつ意味が見失われるし、また、解決基準としての実体法もその意味を見失うことになる。さらに、真実発見や迅速な審理という民事訴訟の理念も否定されることにならざるを得ない。たしかに、当事者に対する手続保障は、裁判所の判断資料が公平に形成されるための手段を保障する意義をもっているが、民事訴訟の目的について手続保障説を採ることはできない。


第2項  民事訴訟の理念


民事訴訟の目的は、法的基準に基づいた、適正、かつ、迅速な紛争解決のための裁判所の判断を示すことにある。現実の訴訟における民事訴訟の目的は、当事者および裁判所の訴訟行為を通じてはじめて実現されるものである。そこで、裁判所や当事者の訴訟行為をいかなる指導理念の下に規律するかが目的の実現にとって重要になる。また、この指導理念は、訴訟行為を規律する訴訟法の解釈に関しても、意義をもつ。
1 当事者の意思の尊重
民事訴訟において審判の対象となる私人間の権利義務は、原則として、私的自治、すなわち当事者に基づく処分に委ねられる。このことは、訴訟手続の中では、訴訟物に関する処分権主義および主張・立証に関する弁論主義の形をとって現れる。
また、訴訟行為は当事者の自発的意思に基づいてなされるべきものであるから、訴訟手続の運営に関する具体的な問題の解決にあたっては、それが合理的なものである限り、当事者の意思を尊重する必要がある。
2 手続の公益性
他方、訴訟手続の運営にあたっては、手続の安定という要請が強調される。民事訴訟手続をいかに運用するかは、現にそれを利用している当事者の利益のためだけではなく、他の当事者の利益にも影響を及ぼす。つまり、訴訟行為の効力は、訴訟法規の解釈によって決定される。それゆえ、その解釈にあたっては、裁判所は、一方で当該事件の当事者の利益を考慮する必要があると同時に、他方では、手続の運営全体に与える影響をも顧慮しなければならない。
要するに、①訴訟法は、訴訟という大量現象を公平に規律しなければならない役割を担っているものであり、その解釈も当事者の個別事情にのみとらわれることはできない。他方、②民事訴訟制度は、権利義務をめぐる当事者間の紛争について解決を与えるものであり、公益性の名の下に、当事者の利益が無視されてはならない。具体的問題に関する法解釈にあたっては、この2つの要請をどのように調和させるかが重要な判断要素となる。
3 適正――真実発見
民事訴訟における審判の対象たる権利関係は、原則として私的自治の原則に服するものであり、当事者の自由な処分に委ねられる。それゆえ、権利義務の基礎となる事実について、それを争うか争わないかの判断も、当事者に委ねられる。このことは、弁論主義の原則として現れる。
しかし、当事者間で争いとなっている事実に関しては、裁判所としては、真実を発見するよう努力しなければならない。なぜなら、憲法32条に基づく裁判を受ける権利が実質的に保障されるためには、当事者としては、争いとなっている事実について、収集しうる最大の証拠に基づいて、できる限り真実に近い事実認定がなされることを期待するし、また民事訴訟制度を支える納税者たる国民も、納得しうる裁判という視点から、真実発見を期待するからである。それゆえ、当事者および裁判所に対して、争いとなる事実について真実を発見するために、できる限りの手段を与えることが、民事訴訟の理念の1つとなる。
4 適正――手続保障
当事者に対する手続保障は、裁判所の判断資料が公平に形成されるための手段を保障する意義を持っている。たしかに、民事訴訟において真実発見は重要なものである。しかし、双方当事者に公平に主張・立証の機会が与えられないままに認定された事実は、当事者にとって受け入れられるものにはならない。なぜなら、訴訟において認定される事実は、当事者および訴訟制度を支える納税者たる国民の納得を媒介とした、相対的なものに過ぎないからである。それゆえ、両当事者に公平に主張・立証の機会が与えられるべきであるという手続保障の理念は、訴訟法規の解釈および訴訟手続の運用にあたって、常に念頭におかれるべき指導理念である(2条)。手続保障は弁論主義などの審理の原則から判決効までを貫く理念である。
また、当事者も、自己の法律上の主張を基礎付ける事実および証拠を摘示に相手方に提示することによって、それに対する相手方の反駁の機会を保障するよう努めなければならない。法および規則が当事者に対して課す、信義誠実に従った訴訟追行義務は、このような内容を含んでいる(2条、規則53条・79条・80条など)。
5 迅速
当事者にとって紛争は、経済的・心理的負担である。機会費用の視点からみれば、訴訟による紛争解決が長引けば長引くほど、当事者の負担は重くなる。また、当事者間の社会的・経済的関係は流動的なものであり、判決による解決が示されても、それがあまりに遅延したものである場合、有効な解決機能を持たないことも多い。
加えて、裁判所の人的・物的能力も有限であるから、遅延した訴訟は、他の訴訟を圧迫することになる。さらに、訴訟が遅延することは、紛争が長期間放置されるという意味で、社会的不安定要因となる。それゆえ、納税者たる国民にも不利益を与える。
このように考えると、遅延した訴訟は、①当事者に対しても、②裁判所に対しても、また③納税者たる国民に対しても、それぞれ不利益を与える。
では、迅速な審理とは、いかなる手段によって達成されるものであろうか。まず、当事者間の紛争が訴訟の形をとって裁判所に持ち込まれた場合に、最初になすべきことは、争点整理することである。争点整理の結果、争点が圧縮されれば、紛争解決についての当事者の合意、すなわち訴訟上の和解が成立しやすくなる。また、和解が成立しない場合であっても、証拠調べが必要となる争点が整理・圧縮される結果として、証拠調べに要する時間が集中、かつ、短縮され、新鮮な心証に基づいた、迅速な判決言い渡しが可能になる。
このように迅速な審理は、適切な争点整理、それに基づく適正な真理と不可分に結びついている。迅速な審理を可能にするためには、争点を圧縮することが必要である。他方、主張事実や提出予定証拠があらかじめ明らかになることは、相手方も、それに対する事実主張や証拠の提出を準備できることを意味する。それゆえ、当事者の十分な主張・立証活動に基づいて、裁判所が真実を発見することが容易になる。したがって、迅速な審理と適正な審理とは、相互に支えあう関係にある。