思考停止した人間が1番悪いが、言葉狩りして間接的に差別用語を作ってるテレビ局はおかしいだろ。の巻

ずっと忘れてた!!!!


忙しいけど、これはもの申さないとあかんとずっと思ってたことがある。


それはテレビ局が自主規制してる放送禁止用語

今さっき、伊調選手の決勝戦で、NHKのアナウンサーが

先ほど放送上不適切な表現がありました

と謝罪していた。


その直後のツイッターの反応を見ると、ほとんどの人が
「不適切な表現ってなんだ?」
というものがほとんど。


その不適切な表現は、

伊調選手は足首を怪我してびっこを引いていた場面もありましたが

というものだった。


この解説を実際に聴いていたほとんどの人が、
「へえ、びっこって不適切な表現なんだ」
とか言ってる。


実際、若い人のほとんどがこんな感じやと思う。
その認識自体は仕方がない。
日常において「跛(びっこ)」なんて言葉は、少なくとも若い人はもう使わない。


で、何が問題かというと、この事実が分ったとたん
「びっこは不適切な表現で使ったらダメだ」
ということを思ってる奴が多いってこと。


まじでアホ。
確かに、差別的な用語でしか使わないような言葉はあるかもしれないが、それでも、そういう言葉として十分な認識を持つからこそ自然と自制するというもの。
なのに、言葉の意味も知らないまま何も考えずに「へえ、差別用語なのそれ」とか思って、言葉自体を否定する行為は思考停止そのもの。


そもそも、「びっこ」とは、

(1)一方の足に障害があって,左右がそろわない歩き方になること。また,その人。
(2)対であるべきものの一方が欠けたり,両方の形や大きさが違ったりしてそろわないこと。また,そのもの。
以上、大辞林

という意味であって、それ自体に差別的意味が含まれているわけではない。事実を表した言葉であって、障害ゆえに無様といった意味はこの言葉自体にはないのである。
「びっこ」がダメなら、「不細工」や「デブ」などといった言葉の方が否定的ニュアンスが強いので、「不適切な表現」といえそうだ。


しかし、話の流れやニュアンスなどで、否定的な意味を込めた言葉として使っているかどうかで、そこで使われた言葉の意味は違ってくる。
少なくとも、このアナウンサーの解説において差別的な意図など皆無なのは聴いていた人すべてが理解できたはずだ。
謝罪するならそういった差別的意図をもってなされた表現行為があった場合などになされるべきであろう。


そう考えると、本当にバランスが悪い。


さらに問題なのが、「びっこ」という言葉を知らない奴が、わざわざ「不適切な表現」とテレビで言うことによって、「あ、これは不適切なのか」と思うこと。
もちろん、思う奴がアホなのはそのとおりやけど、わざわざ差別的意識を有しないものとして認識していた「びっこ」という言葉に、そういったアホな奴は否定的な意味を加えてしまうことになる。しかも無自覚に。


これは結論から言うと矛盾してる行為だ。


差別用語とかをなくそうということを目的に自主規制しているとしているならば、その用語自体ではなく、その用語に差別的意味を含めないようにしたほうが根本解決になる。
言葉をなくしたところでそれに代わるモノなんていくらでもあるわけで、それは手段であって目的であってはならない。
言論の自由にも抵触することを考えればなおさらだ。


そうだとすると、差別的意味を持たなかった人にとっては、わざわざ「不適切な表現」と謝罪する行為によって、差別的意味を込めてしまうことになる。
結果、差別的意味を込めた言葉を存続させることを間接的に手助けすることになる。


だから、矛盾。


もちろん、思考停止したアホなやつが無自覚に差別的意味を加えることが1番問題だから、ここを改善しないとあかんけど、少なくともいい加減に言葉狩りはヤメロやと言わざるを得ない。
しかも、その謝罪が種々の団体からクレームがくるからやむを得ずしてるだけなら、まじで迷惑。
謝罪するのは、人の名誉を不当に傷つけるような場合に限定すべき。言論の自由がまず優先されるべきだ。


これは10年以上も前からずっと違和感を感じてたことなので、熱くなってしまった。


また日記書きます。

法学既修者試験を受けた。の巻

やっぱり続かない日記。


短くても何か書こう。


今日は法学既修者試験を受けた。
めっさ自信ない。

過去問は220〜230点くらいやったのに、きっと200点行かない……
ま、いっか。


そこまで言って委員会」みたから、地方分権の話を書こうと思ったけど、眠いからまた今度。

日記書くの忘れてた。の巻

しまった。


日記を書こうと思っていたのに、忘れてた。
三日坊主どころか、三日坊主未満だ。


さりとて書くこともない。


そういえば、22日日曜日は法学既修者試験だ。
予備試験論文終了後、過去問をやってみた。
200点以上は取れるっぽい。


しみじみ感じる。
誰がなんと言おうと、立派なヴェテだな、と。


色々他にもやることもがあって、忙しい。


生きるって大変です。


なんとか明日も頑張って書こう(希望)。
日記は生きた証になる。

【戦闘力?】1人1票の意味【元気玉?】の巻

今日も書くぞ!
もうすぐ予備試験(論文)やけど。


ぶっちゃけ今年の合格は諦めてます。
別に悪い意味じゃない。
ほとんど準備できなかったので、1.8%の合格には入らないだろうという合理的な推測だ。


まぁ、それでも少しは過去問とか検討した。
合格者の再現答案とか見たけど、そんなにレベルは高くない。
そういう印象を持てたくらいの実力が俺にはある、と信じたい。

今日は、もうすぐ解散総選挙(希望)ということで選挙の話。

■民主・一川参院幹事長が「4増4減」案提示 選挙制度改革

2012.7.12 20:25

 民主党一川保夫参院幹事長は12日、参院選挙制度改革協議会(一川座長)で、平成25年の次回参院選都道府県単位の現行選挙区の定数配分を「4増4減」する改革私案を提示した。各党は回答を保留した。一川氏は今国会での公職選挙法改正を目指し、来週、再協議を行う。

 一川氏の私案は、25年の次回参院選で、福島、岐阜両県の定数を2減し、神奈川、大阪両府県の定数を2増する。「一票の格差」是正を優先させるため、定数削減は行わない。抜本改革については、次々回の28年参院選までに検討することを公選法改正案に付則として盛り込む。

 これにより、22年の国勢調査で最大5・124倍だった格差は4・746倍となる。参院選一票の格差をめぐっては最高裁大法廷が21年、格差4・86倍だった19年の参院選について合憲と判断したことなどを考慮し、5倍以内を目指した。

 一川私案に対して、自民党は基本的に賛同する方針。公明党は難色を示しているが、28年までの抜本的な見直しを公選法改正案に付則として明記することは評価した。共産、社民両党やみんなの党などの中小政党は、抜本改革が先送りされ定数削減が盛り込まれなかったことに反発している。

 一川氏は、協議会後の記者会見で「会期を延長したといえども、だんだん会期末が見えてくるので、確実に改正にもっていきたい」と述べ、今国会中の改正に意欲を示した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120712/stt12071220250014-n1.htm

選挙は公職選挙法に規定されている選挙区割りを定める定数配分規定によって実施されるので、投票価値の平等を実現していない定数配分規定は1人1票という憲法の要請する原則に違反している。
これが投票価値の憲法問題である。

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弁護士版のブラックジャックになりたいな。の巻

最近、色々あってなかなか日記を書ける状況じゃなかった。
精神的に。


だが、それではいけない。


やはり日記を書こう。
好きなこと書こう。


楽しいことを考えよう。


かわいい嫁がほしい。
思いやりのある子。
これ1番。
あと、
おっぱい大きい子。
「おっぱい大きい子」
思ったことが声に出てしまうくらいこれ重要。


あかん。
何か書こうとしたらろくなことが書けへん。


あ、そういえば。
この前スナックのおばはんと話してて思ったことがある。


日本を良くするのには教育が重要やなってこと。
ただ時間がかかる。


教育は自己を形成する基礎になる。
その形成過程は学校教育だけでも10年以上かかる。
おっさんになってもそのときに形成された人格は以外とそのままだ。
まぁ、大人になれてないからというのもあるんだろう。


こどもがほしいな。自分の。


その前に生きるのに必死やな。
はっはっはっ。
こういうときは笑うのが1番だ。


それにしても、書きたいことがないな……
生きる気力と正比例!?
うん。そんな感じがするぞ。
まだまだリハビリが必要なのかもしれない。


そうだ。
そういえば、楽しい妄想があった。
今度こまっちゃんに相談しよう。


あ、予備試験の論文試験が日曜にあるんやった。
弁護士倫理やるか。
「倫理」ってのが苦手が。
古典的自由主義者の俺にとって、「倫理」とは最小限の人の道でしかない。
人を殺すべからず。
そういうの。
だから、俺の歩く人の道はかなり広い。
色んな人と友達なのもそういう理由なのかもしれない。


だから「弁護士倫理」の「倫理」は肌が合わない。
ルールたくさんあるから。
ええやんそんなん、って思うこともある。
同時にステチーって思うこともある。
そんな風に成長できればいいなという努力規定的な。


ただ、弁護士になって最も優先したいことは依頼者の気持ちを満たす仕事をすること。
もちろん、違法なことまでしてはいけないし、そもそもその「気持ち」ってのが正当なものじゃないなら受任したくないが。


そうそう。
ブラックジャック
弁護士版の。
これになりたい。


「ええ仕事しまっせ」
そんなん言うブラックジャック(弁護士)。
ワロス


勉用しよー

ドラゴンズ「ドグマ」は全く関係ないが、憲法9条と原発は無関係とはいえない。の巻

日本人ほど贅沢に慢性化してる国民は世界にないと思う。脱原発え​お掲げるのと同時にそれによる不利益も明確にされるべき。雰囲気​にのまれやすい日本人は戦後の誤った教育をいかすべき。真の意味​での自己決定はメリットだけでなくデメリットの情報もなければな​しえない。

阪神淡路大震災を経験した俺からすると、感傷的になりすぎて正し​い判断ができなくなる状態はマインドコントロールと同じで、それ​はオウム真理教の過ちと同じだと思うわけで。東日本大震災を忘れ​ろとは言わないが、それをドグマにしてはいけない。

国民はそろそろ「危機管理」ということだけでも知るべき。

今まで何の合理的根拠もなく憲法9条によって日本国が平和であっ​たということを主張する人がいるが、日本国憲法によってマインド​コントロールされてる。
戦後間もなく日米同盟によって米軍によっても守られていることや​、日本の自衛隊が世界的にみれば小国を木っ端みじんにできるほど​の実力を備えているのに、自衛隊は「軍隊」ではないらしい。

アホかっちゅうねん。

日本国民は騙され続けているのは原発と同じだった。
日本の平和が維持できているのは正に自衛隊や米軍があるから。
にもかかわらず、このような実力を持つことを否定する憲法9条で​平和が維持できたというのは現実をしらないからだろう。

現実を知れば、この矛盾に気付く。

そもそも防衛力としての実力が世界トップレベルの自衛隊が日本に​存在するのか?
専守防衛の実力は侵略のための実力以下」というアホなことをい​う人もいる。

おいおい、ドラえもんを知らんのかい。
のび太が実力でジャイアンの攻撃を無傷で防ぐには、ジャイアン以​上の実力がないとなしえないわけで。
ジャイアンと同じ実力(戦闘力)なら、最終的には両者消耗して血​まみれです。

専守防衛とはそんなたやすいことではない。

それでも自衛隊は不要というなら、それは尊重されるべきだと思う​。
それはすなわち、北朝鮮や中国、ロシアが日本に侵略してきたとき​は死ぬ覚悟があるという意味だから。その覚悟があるなら、そのイ​デオロギーはほんまもん。

しかし、似非左翼どもはそうじゃない。

自衛隊はいらん。だが、守れ」という。

こんな矛盾はないわけで。

それもこれも、これまでの政府の責任が重い。
国民を騙し続けた責任。
自衛隊侵略戦争ができるほどの実力はない」
上記、ドラえもんのび太VSジャイアンの例からこれは嘘だという​ことがわかるだろう。

だが、国民にも責任がある。
少し考えればわかるような嘘をなんとなく納得しちゃってるから。

嘘を嘘を見破るにはマインドコントロールから脱しなければならな​い。
そして、それにはメリット・デメリットの真実を知らなければなら​ない。

橋下市長が以上のことを原発問題において同様の趣旨でつぶやいて​いた。

橋下徹@t_ishin

安全は完璧ではないけど停電リスクがあるから動かしますと正直に​言うべき。安全は完璧ではないけど動かすとなればメディア始め非​難ごうごうだろうけど、それに対して真正面から停電リスクの怖さ​を説明すべき。政治家が怖いと言って頭を下げれば国民は理解して​くれるはずと訴えました。
最悪なのは国民を騙すこと。安全でないものを安全だと言い張るこ​と。このような訴えをしたら、大商の佐藤さんや同友会の大林さん​、鳥居さん、製造業の社長さんは皆そうだと同意して下さった。そ​れを政府に言いに行こうと。

Winny事件最高裁判決のちょっとした考察。の巻

Winny事件控訴審判決は無罪だった。
これに対しては、理論的な部分で刑法学者がかなりかみついていた。
なるほどなーと思うものから、アホやなーっと内容まで色々だったけれど、結論の無罪に対する批判が多かった。


考えられる最高裁の判断としては、

  1. 控訴審の法令解釈の判断・結論維持
  2. 控訴審の法令解釈の判断・結論誤り
  3. 控訴審の法令解釈の判断誤り、結論維持
  4. 控訴審の法令解釈の判断維持、結論誤り

の4通りが考えられ得る。
結論として最高裁は、3の「控訴審の法令解釈の判断誤り、結論維持」という立場をとったことになる。結局、無罪が維持されたということである。


以下、最高裁の内容を見ていく。
まず、問題となった従犯について説示している。最高裁も丁寧になったもんだ。受験生になんてやさしいんだ。

 刑法62条1項の従犯とは,他人の犯罪に加功する意思をもって,有形,無形の方法によりこれを幇助し,他人の犯罪を容易ならしむるものである(最高裁昭和24年(れ)第1506号同年10月1日第二小法廷判決・刑集3巻10号1629頁参照)。すなわち,幇助犯は,他人の犯罪を容易ならしめる行為を,それと認識,認容しつつ行い,実際に正犯行為が行われることによって成立する。
 原判決は,インターネット上における不特定多数者に対する価値中立ソフトの提供という本件行為の特殊性に着目し,「ソフトを違法行為の用途のみに又はこれを主要な用途として使用させるようにインターネット上で勧めてソフトを提供する場合」に限って幇助犯が成立すると解するが,当該ソフトの性質(違法行為に使用される可能性の高さ)や客観的利用状況のいかんを問わず,提供者において外部的に違法使用を勧めて提供するという場合のみに限定することに十分な根拠があるとは認め難く,刑法62条の解釈を誤ったものであるといわざるを得ない。

つまり、「幇助犯は,他人の犯罪を容易ならしめる行為を,それと認識,認容しつつ行い,実際に正犯行為が行われることによって成立する」犯罪であるという大前提の理解から議論を出発させている。ここを間違えると適切な判断ができない。
そうすると、他人の犯罪を容易にするものという認識だけで幇助の故意は認められそうだ。
にもかかわらず、控訴審は、「インターネット上における不特定多数者に対する価値中立ソフトの提供という本件行為の特殊性に着目し,『ソフトを違法行為の用途のみに又はこれを主要な用途として使用させるようにインターネット上で勧めてソフトを提供する場合』に限って幇助犯が成立する」と判断している。
このように「当該ソフトの性質(違法行為に使用される可能性の高さ)や客観的利用状況のいかんを問わず,提供者において外部的に違法使用を勧めて提供するという場合のみに限定」するのはおかしいんじゃねーかと最高裁は言う。
確かに、冒頭の幇助犯の理解からすると、Winnyというソフトを提供することが、著作権侵害という犯罪が容易に行われるもので、そのことを認識していたならば、幇助の故意は認められることになる。
現に行われようとしている具体的な著作権侵害を認識してWinnyの公開、提供を行ったものでないとしても、実際には当時からそのほとんどが違法なアップロードファイルばかり流れていたWinnyの利用実態を考えると、制作者はWinny著作権侵害という犯罪に利用されるものということを抽象的な一般的可能性は認識していたといえそうだ。


しかし、最高裁は、そんな抽象的な認識では幇助の故意は認められないという。その理由が以下のとおりである。

 もっとも,Winnyは,1,2審判決が価値中立ソフトと称するように,適法な用途にも,著作権侵害という違法な用途にも利用できるソフトであり,これを著作権侵害に利用するか,その他の用途に利用するかは,あくまで個々の利用者の判断に委ねられている。また,被告人がしたように,開発途上のソフトをインターネット上で不特定多数の者に対して無償で公開,提供し,利用者の意見を聴取しながら当該ソフトの開発を進めるという方法は,ソフトの開発方法として特異なものではなく,合理的なものと受け止められている。新たに開発されるソフトには社会的に幅広い評価があり得る一方で,その開発には迅速性が要求されることも考慮すれば,かかるソフトの開発行為に対する過度の萎縮効果を生じさせないためにも,単に他人の著作権侵害に利用される一般的可能性があり,それを提供者において認識,認容しつつ当該ソフトの公開,提供をし,それを用いて著作権侵害が行われたというだけで,直ちに著作権侵害の幇助行為に当たると解すべきではない。
 かかるソフトの提供行為について,幇助犯が成立するためには,一般的可能性を超える具体的な侵害利用状況が必要であり,また,そのことを提供者においても認識,認容していることを要するというべきである。すなわち,

  1. ソフトの提供者において,当該ソフトを利用して現に行われようとしている具体的な著作権侵害を認識,認容しながら,その公開,提供を行い,実際に当該著作権侵害が行われた場合や,
  2. 当該ソフトの性質,その客観的利用状況,提供方法などに照らし,同ソフトを入手する者のうち例外的とはいえない範囲の者が同ソフトを著作権侵害に利用する蓋然性が高いと認められる場合で,提供者もそのことを認識,認容しながら同ソフトの公開,提供を行い,実際にそれを用いて著作権侵害(正犯行為)が行われたとき

に限り,当該ソフトの公開,提供行為がそれらの著作権侵害の幇助行為に当たると解するのが相当である。

まず、最高裁控訴審と同じくWinnyが価値中立性を有することに着目している。
すなわち、包丁が料理を作るという適法な行為から、人殺しといった違法行為といったものまで可能とするものであるのと同じで、それをどのように扱うのかはあくまで個々の利用者の判断による。
包丁を売ってる人が、100本に1本は犯罪に利用されていると仮定した場合、そのことを知って販売したら犯罪を幇助したとされるのは誰もがおかしいと思うだろう。
そういう意味では、最高裁Winnyについて、「適法な用途にも,著作権侵害という違法な用途にも利用できるソフトであり,これを著作権侵害に利用するか,その他の用途に利用するかは,あくまで個々の利用者の判断に委ねられている」と説示した部分は当たり前のことだが幇助犯の成否においては重視すべき点である。
これは以前の日記でも書いていたことで、多分他でもこういうことは言われていたはず。


しかも、Winnyの提供行為は他の普通のソフトの提供と変わらない態様であった。例えば、著作権侵害のアップロードを目的にした人たち限定で提供していたりしたわけではないということである。
ちなみに、「新たに開発されるソフトには社会的に幅広い評価があり得る一方で,その開発には迅速性が要求される」という最高裁の適切な理解が第一審ではまったくなかった。


で、重要なのが、Winnyのようなソフトの提供が幇助犯となるには、「一般的可能性を超える具体的な侵害利用状況が必要であり,また,そのことを提供者においても認識,認容していることを要する」という点である。
すわなち、幇助の故意が認められるには、

  1. 「ソフトの提供者において,当該ソフトを利用して現に行われようとしている具体的な著作権侵害を認識,認容」するか、
  2. 「当該ソフトの性質,その客観的利用状況,提供方法などに照らし,同ソフトを入手する者のうち例外的とはいえない範囲の者が同ソフトを著作権侵害に利用する蓋然性が高いと認められる場合で,提供者もそのことを認識,認容」すること

を要するという。
Winnyという匿名性のあるソフトの利用においてその違法な利用者を具体的に特定していない本件では、1は認められないのは明かだろう。
2について最高裁は以下のように判示している。

 本件当時の客観的利用状況をみると,原判決が指摘するとおり,ファイル共有ソフトによる著作権侵害の状況については,時期や統計の取り方によって相当の幅があり,本件当時のWinnyの客観的利用状況を正確に示す証拠はないが,原判決が引用する関係証拠によっても,Winnyのネットワーク上を流通するファイルの4割程度が著作物で,かつ,著作権者の許諾が得られていないと推測されるものであったというのである。そして,被告人の本件Winnyの提供方法をみると,違法なファイルのやり取りをしないようにとの注意書きを付記するなどの措置を採りつつ,ダウンロードをすることができる者について何ら限定をかけることなく,無償で,継続的に,本件Winnyをウェブサイト上で公開するという方法によっている。これらの事情からすると,被告人による本件Winnyの公開,提供行為は,客観的に見て,例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高い状況の下での公開,提供行為であったことは否定できない。
 他方,この点に関する被告人の主観面をみると,被告人は,本件Winnyを公開,提供するに際し,本件Winny著作権侵害のために利用するであろう者がいることや,そのような者の人数が増えてきたことについては認識していたと認められるものの,いまだ,被告人において,Winny著作権侵害のために利用する者が例外的とはいえない範囲の者にまで広がっており,本件Winnyを公開,提供した場合に,例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高いことを認識,認容していたとまで認めるに足りる証拠はない。

Winnyを入手する者のうち、「例外的とはいえない範囲の者が同ソフトを著作権侵害に利用する蓋然性が高いと認められる場合」にこれを認識しているかどうかということが幇助の故意の成否を左右するわけだが、

Winnyのネットワーク上を流通するファイルの4割程度が著作物で,かつ,著作権者の許諾が得られていないと推測されるものであった

ということから、Winnyを入手する者のうち、「例外的とはいえない範囲の者が同ソフトを著作権侵害に利用する蓋然性が高いと認められる場合」であったことを認めている。
したがって、このような認識を有すると幇助の故意が認められることになる。
そして、最高裁は、金子(Winny制作者)には、「Winnyを公開,提供するに際し,本件Winny著作権侵害のために利用するであろう者がいることや,そのような者の人数が増えてきたことについては認識していたと認められる」とまで認めている。
にもかかわらず、幇助の故意を否定した理由は、

 いまだ,被告人において,Winny著作権侵害のために利用する者が例外的とはいえない範囲の者にまで広がっており,本件Winnyを公開,提供した場合に,例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高いことを認識,認容していたとまで認めるに足りる証拠はない

という点にある。
つまり、「Winnyを公開,提供するに際し,本件Winny著作権侵害のために利用するであろう者がいることや,そのような者の人数が増えてきたことについては認識していた」だけで、それ以上に、Winnyを入手した者のうち、「例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高いことを認識,認容」まではなかったということである。


最高裁の評価からすると、違法なファイル共有率が4割程度だと「例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高い」状況ではないようだ。このような理解は不自然にもみえるが、そうではない。


なぜなら、Winnyを入手した者のうちアップロードする者の数が4割というわけではないからである。
1人がアップロードして違法なファイル共有率の4割占めたとしても、ダウンロードのみ行う者(犯罪ではない)が99人ならば、99%は犯罪行為をしていないわけで、たった1%が犯罪者だとすれば、「「例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高い」状況とはいえないだろう。


とはいえ、Winnyの構造上、ダウンロード者もキャッシュを共有することになるので、その時点で公衆送信権侵害という著作権侵害となるので、Winnyの利用者はダウンロード者も含めて著作権侵害者の可能性が出てくる。
キャッシュのことも考えると、「例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高い」状況といえそうだが、どうやら最高裁は、いわゆる一次放流主のみを著作権侵害行為者とみているのだろう。
だが、検察官の立証次第では、キャッシュを維持している者も同様と解す余地があるので、それを含めると「例外的とはいえない範囲の者がそれを著作権侵害に利用する蓋然性が高い」状況となる可能性があるだろう。


今後の鍵はキャッシュかもしれない。


ひょっとすると、第二の制作者逮捕も来るかもしれない。
そういう意味では無罪の結論を維持した最高裁の論理は極めて巧みなのかもしれない。
「これからはちゃんと著作権侵害の利用に使った割合を証明して、そのうえでそのことを認識したと言えよー」
ってメッセージなんだろう。
そして、この証明って、要するに一次放流主(最初にアップロードした人)と二次放流主(キャッシュ保持者)の割合を示せってことなんだろうな。
ただ、一次放流主の場合にはあまり問題にならないが、二次放流主の場合、その者が著作権侵害者として立証する場合、その者の故意も問題になるんじゃないか?
あまり技術的に詳しくない人だと、「ただダウンロードしただけでなんで違法アップロード者として犯罪者とされるんだ?え、キャッシュ?ナニソレおいしいの?」ってケースも稀じゃないだろう。
そう考えると、二次放流主の犯罪性を立証するのも大変だろうな。


っていうか、そもそもそういうの個別にやるってまず不可能だわな。
しかもWinny入手者のうち「例外的とはいえない範囲」の者が著作権侵害行為に使っているってことを証明する必要があるってことやし。


ということで、制作者の安全は保護されるのかねえ?
まだまだ予断を許さない状況かも……


■参照リンク
Winny事件に関する刑法学者と知財学者の憂鬱
Winny事件 高裁は逆転無罪。だが、著作権侵害が許されたわけではない。の巻
「Winny事件大阪高裁判決は全くおかしい」が全くおかしい。の巻
ダウンロード違法化が始まったがWinnyやshareによる適法ダウンロードが始まる日も近い。の巻